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もし、いたのなら、

2月24日。土曜日。くもり。
ちょっとだけ感傷的な気持ち。

仕事を終えかけた時にいらしたお客さまが、偶然、知り合いの方だった。
「あの、○○先輩のお母さまですか?」
「えっ!?そうです、ええと、」
「わたし、小学校のとき、ソフト部で先輩のひとつ下の後輩だった恵です」
「えーっ、ちょっと!マスクしてるから気が付かなかった!!」
元々にこやかだったそのお顔が、さらににこーっ!と、笑顔の質感が変わったのが嬉しかった。
その方の旦那さま(つまりわたしの先輩のお父さま)は、この町で素敵な飲み屋さんをやっているので、たまに、母と一緒にお店のほうに行っていますよ、と言葉を続けた。すると、その方はさらににこやかになった。

「そう!たまに恵ちゃんのお父さんとお母さんがお店に来てるって、話聞いたりしてる!」

あっ。と思いながら、そのまま曖昧に頷く。
「うちの娘はね、いま東京にいる!」
「わ、そうなんですね!先輩も、お元気ですか?」
「元気元気!たしか……お兄ちゃんがうちの娘と同じ学年だったよね?」
「いえ、わたしのきょうだいは、弟がひとりですね!野球部の」
「あれっ、そうだったっけ……!」
そのあともちょっとだけお話をして、またここに来るね、声をかけてくれてありがとう!と笑顔でその方は去っていった。わたしはそれを見送ってから、帰り支度をした。

その方は、わたしの名前に聞き覚えはあったようで、でも細かい情報はうろ覚えの様子だった。わたしが先輩と同じ学年ならともかく、同じ部だったとはいえ、ひとつ下の後輩なのだから、そのお母さまがわたしをきちんと覚えていなくても、それはそうだなあ、と思う。



(声をかけてみて、喜んでもらえて、よかった)

自分の車へと向かいながら、ぼんやり頭のなかでひとりごとをつぶやいていた。

(パパが亡くなっていること、言えなかったけど……まあ、しょうがない、よね?たぶん言ったら、悲しくなっちゃうし……)

歩きながら、ふっと考えた。

(まあ、もしパパが生きていたら、ママと一緒にあのお店に飲みに行ってたかもしれないよね!)

あっ。これは。と気がついた時にはもう目はうるんでいて。慌てて歩くペースを早めた。車に入ってエンジンをかけて。肌寒い車内でひとりじんわりと泣いた。

(そうだよなあ、パパはもういないけれど、本当なら、まだ、生きていたかもしれないんだよなあ……)

先輩のお母さまの言葉に、傷ついた!とか、不快だった!とか、そういう気持ちは全然湧いていなくて。

ただ、寂しいなって。思った。


15分くらい、車でゆっくり泣いて、そのあと帰路についた。ちょうど車で流していたCDが米津玄師のアルバムだったので、「カナリヤ」と「Lemon」を聴いた。運転しながら、やっぱりまたちょっと泣いた。

わたしが19歳だった冬に、パパが亡くなったこと。あのとき49歳だったパパ自身が、自分でそれを選んで亡くなったこと。
自分の中ではもうそれは、事実として受け止めていたつもりでいる。ただ、その感覚の延長で、知らないうちに。今ここに、パパがいないことを、もう当たり前のように思い込んでいた。

でも、もしかしたらここに。わたしのもとに。すぐそばに。
58歳になったパパが、まだちゃんといたのかもしれないんだなって。今日みたいな日にたまに、ハッとふいに気付いて、そのたびに新鮮に寂しい気持ちになってしまう。涙が出てきてしまう。

落ち着いた照明の、あの居酒屋さんの店内で、美味しいお酒とお料理を口にしながら、パパとママが笑いあっている。

さっき、ふいに思い浮かべてしまった光景を、生きているうちにこれから見ることはないこと。
いつもなら当たり前に分かることが、つらく胸に迫ってきている。

寂しいなあ、やっぱり。
本当はずっとずっとこんなに寂しかったのかもなあ、わたしも。無意識に、ちょっと強引に忘れようとしていたのかもなあ。この寂しさ。

もし、いたのなら、って。さっきみたいに考え出したら、いろんな光景や表情を想像してしまいそうで、すこし怖い。
だって、それはきっと美しくて、全部ありふれていて、でももうありえないものだから。

わたしの気持ちのために、できる限り、いたはずのパパを想像するのは止めておかなきゃ。
考えてしまうのなら、もしもを想像する代わりに、本当にいた、わたしが目にしていたパパのことを、思い出したほうが、きっと良い。そうしよう。

眠れないって、甘えた時。わたしの髪や頬をそっと撫でて寝かしつけてくれていた、優しいパパを。

ゆっくり思い出して。ちょっと泣いて。
そうやって今日は寝よう。

寂しくて、恋しい。

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