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無力感に苛まれる


とてつもない不条理な事象を前にすると、何ともやりきれない気持ちになる。
世界中を震撼させた感染症のパンデミックや、隣国に攻撃をしかけている某国の暴挙に対して、不安や怒りを感じても、私自身何もできない。

感染症に対しては、ワクチンや経口薬を開発、製造することなどできないし、ひたすら自粛し自分が感染しないようにすることしかできない。

外国の戦争に関しては、ボランティア活動や、ジャーナリストになったつもりで取材目的で渡航するということもできない。

今、この瞬間にも、大勢の人々が銃弾に倒れ
血を流し、そして息絶えてるかもしれない。
また、隣国に死にものぐるいで避難し、その避難の途中でミサイルや銃撃によって、負傷したり命を落とす人々もいるだろう。
一方、私はベッドでスヤスヤと眠り、普通に食事を摂り、平和な街の中を車に乗って出かけ、買い物し、当たり前の日課のように入浴している。

ハッと我に返る。罪悪感のようなものを感じる。
戦争で心身共に傷つき、逃げ惑う人々に悲しみと憐れみを感じていても、私は平和な国で平和であることを当たり前のように暮らしていて、時に平和であるということすら忘れている。
外国の出来事を、やはりどこか対岸の火事のように思ってるのかもしれない。

ところで、親ガチャ、という言葉がある。
親ガチャとは、生まれてくる時、親を選べないという意味らしい。
だから、国ガチャ、というのもあるのかもしれない。
生まれた国によって、人生が翻弄されてしまう。
それは運命というより、宿命なのかもしれない。
この世に生まれてくる時、どこの国にしようか?
などと選ぶことなどできないし。

今日も私は、外国の戦争のニュース映像を見ながら
溜め息をつき、そして、何もできない自分に無力感を感じる。


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