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忘れない 忘れたくない

未曾有の東日本大震災に対して、節目という言葉を用いるのはどうなんだろう。
節目だから、何か変化した、悲しみが癒えた、
というわけではないと思うのだが。

昨年、震災から10年が経ち、1つの節目を迎えました、と新聞やテレビで報道していた。
肉親を失った遺族や、家や仕事を失った被災者達がインタビューを受けていた。
皆、一様に同じことを言っていた。

10年経ったからといっても、気持ちは変わらない。
破壊された町が徐々に復興しても、愛する人を失った悲しみは、少しもなくなることはない。
心の復興は、まだまだだ、と。

私は被災者ではないけど、共感できる部分がある。
それは、愛する人、両親を亡くした寂しさだ。何年経っても消えないのだ。恐らく、生きている限り消えないだろう。
だから、大震災という、とてつもない非日常の最中で愛する人を失ったのだから、私以上に寂しさと悲しみに襲われているはずだ。
10年の節目を迎えたからといって、寂しさや悲しみが減ることはないだろう。節目という表現は、適切だとは思えない。

もう1つ、気になったことがある。
❲釜石の奇跡❳ というタイトルだ。
釜石市の中学校の全生徒が速やかに避難し、全員が助かった。それを、釜石の奇跡と表現しているらしい。だが、それが誤解を招いているようなのだ。

まるで釜石市の人々が、全員助かったような表現だが、津波から逃げ遅れて命を失った人々も多数いることも事実だ。だから、釜石の奇跡、という表現に違和感を感じる。 そう思ってる人が、たくさんいる。
そのようなことが新聞に書かれていた。

実は、私もそうだった。間違って解釈していた。
タイトルに気を取られて、釜石の人々は、皆避難して助かったのだ、と。


震災から11年を迎える今、どのようにして報道していくのかが問われているという。
最近読んだ新聞には、次のように書かれていた。
例えば、被災者にインタビューし、肉親や知人を亡くした凄絶な体験を語ってもらう。そして、視聴者が涙するというパターンが定番のようになっているが、毎年そのような報道でいいのか否かが議論されていると。

昨年、テレビ番組で被災者の方が家族を失った話しを聴き、感情移入しすぎて泣いてしまったことがある。
また、ある動画では家族全員を失い、避難所のボランティア活動を終えた後に、自分も命を断つつもりだと、1人の男性が語っていた。
どちらも、自然災害が各々の運命を激変させてしまった。日常が、非日常にすり変わってしまった。理不尽という言葉だと軽すぎる。
あまりにも不条理だ、と言っていいだろう。
日頃、避難訓練をしたり、早めの避難でも助からなかったのか。

作家のカミュは、災厄も戦争も、またきっと起こる。それに抗う手段は記録であり、つまりは言葉である、言葉への信頼だと言っている。

どんな表現や方法でも、やはり毎年震災の報道をしてほしい。
たくさんの不条理を、私は忘れたくない。

震災から11年目の今年は、どんな報道がされるのだろうか。


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