松下幸之助と『経営の技法』#133

6/27 需要見込みと供給の義務

~今年の消費は全体でいくらか。自分はいくら供給する義務があるか。~

 私は需要の見込みを立てるのに、こういうことを標準にしてやっている。要するに人間の嗜好性、また経験性が加わることによって、消費の面は進歩するわけであるから、貧乏、金持ちということを超越して、消費の面は贅沢化するというか、進歩する。第一に、そういうことがどの程度伸びるかということを考える。もう一つは、国民所得はどうなるかということを考える。それと、習慣とか景気によらず、文化水準の向上、そういうものを勘案して、今年は何ぼの売りという見込みを出す。それ以上はやってみなければわからないものだ。そういうことによって、今年は全体で何ぼあるから、自分のほうは何ぼ供給する義務があるか、またそれだけの力があるかということによって、自分の商品を供給している。
 私は今まで30年間そういうやり方でやってきて、ほとんど誤ったことがない。今年は何ぼ生産する、来年は何ぼ売れるということによって、会社経営の基準を立てて、資金計画をやる。銀行から借りるものは借りる。戦前もそうであったし、戦後もそうである。その数字はほとんど、ピチンと合って狂いがない。「なんで君、そんなに合うのか」とよく聞かれるが、その根拠は科学的に説明できない。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編・刊]/2018年9月)

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 最初は、松下幸之助氏の手法を整理します。
 すなわち、①商品へのニーズの高度化の程度、②国民所得増加の程度、③文化水準向上の程度、の3つの事情を、グループ分けやセクター分類せずに大きく一つのカテゴリーのまま、予想し、後はここから自社の供給量を考える、としています。
 いずれも、経済成長が前提となっているようで、デフレが長期化している現在の日本経済ではどのように考えるべきなのか、今となっては分からないことばかりです。
 けれども、この中で特に注目されるのは、①でしょう。顧客層を、収入によってセグメント化しないのですから、裏返せば商品ごとのセグメント化もしない、ということのように思われます。多くの会社では、個別商品ごとに見通しを立て、それを積み上げることによって予算を立てることが多いでしょうが、松下幸之助氏の手法がこれと異なり、会社の商品売り上げ全体について、予想伸び率を掛け合わせる方法のようです。
 次に、この一括方式が、よく「当たる」理由を考えてみましょう。
 積み上げ方式の場合には、各担当部門が予算を作成して上に上げてくるでしょうから、各部門ごとの視点や、強気弱気の度合いによって、評価にばらつきが出ます。これが全体として相互に相殺し合い、評価のブレのリスクが小さくなっているうちは良いのですが、例えば会社全体が強気であれば、一つひとつの予算が上振れしやすくなり、全体として大きく上振れするリスクが高まるなど、「集団心理」による変動が懸念されます。この上振れするリスクは特に、会社が大きくなり、各部門が上の意向を気にする傾向が強くなるほど、大きくなるように思われます。つまり、それぞれの部門の立場が、数字に影響を与える可能性があるのです。
 これを、おそらくは会社の全ての商品の状況が頭に入っている松下幸之助氏自身が、一つひとつを積み上げるのではなく、全体を一括して方向性を決めますので、各部門の立場や思いなどを捨象することが容易になります。各部門が作成しないだけでなく、各部門ごとの内訳を問題にしない(しにくい)方法にすることで、「うちはもっと行けそうなのに、なんでこんな数字に見られているのだろう、経営者は期待していないのではないか」、等という余計な心配事を作らずに済みます。内訳を示してしまうと、担当部門としては、経営が自分たちの業務をどのように評価しているのか、をそこから読み取ろうとするのは当然ですから、予算を作成する経営としては、次第に、その数字が各部門に対する叱咤激励のメッセージを含むようになってしまいます。
 けれども、全体を一括し、内訳を示さないのであれば、各部門に対する叱咤激励などの余計な政治的配慮をしなくて良くなります。その分、予算を作成する経営者としても、純粋に経営と経済の予測に集中できるように思われます。
 すなわち、松下幸之助氏の手法が「当たる」のは、会社の社内政治などの余計なことを考えず、純粋に次年度の経営予想に集中できる環境にあったことが、一つの原因のように思われるのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、その手法はともかく、できるだけ沢山売上げよう、とするのではなく、しっかりと予想を立て、その予想にできるだけ近い数字を出せる経営者の方が、経営を安心して任せることができます。全ての事業が新しく、市場で何が起こるか予想がつかない状況であれば、事業の内容を自分自身も把握できていませんから、それは仕方のないことかもしれません。
 けれども、ある程度事業の内容がわかってきて、市場の反応なども経験を積んできた状況を考えてみましょう。
 結果的に、商品が予想より沢山売れたとしても、それが事前に予想できない、想定外の事態であれば、経営者が売り上げをコントロールできていないことになります。それは、たまたま今年は良かったが、いつか逆の方向でコントロールが効かないのではないか、ということになります。
 つまり、投資の世界では、リスクを「振れ幅」(ボラタリティ)で計測しますが、自分の立てた予想から大幅に外れる結果しか出せない経営者は、この「振れ幅」が大きく、ビジネスをコントロールしておらず、むしろ博打のような経営をしていることになります。投資家として投資すべき対象である経営者として見た場合、この経営者は「振れ幅」が大きく、リスクが大きい、ということになるのです。
 そして、松下幸之助氏の予想が、自分自身もわからないところがあるとしても、常に予想から大きく外れずに当たってきているわけですから、投資家から見た場合、振れ幅が小さく、リスクが小さい経営者(投資対象)ということになります。つまり、会社側から見た場合、商品と市場を十分把握し、適切にコントロールできている経営者、ということになるのです。

3.おわりに
 松下幸之助氏の予算作成の手法が、一括方式であることを仮定して検討しました。もしかしたら、一括方式の方が積み上げ方式よりも精度が高く、素晴らしい方法であるように思えたかもしれません。
 けれども、一括方式は、見方を変えるとどんぶり勘定と言われかねず、経営者の経営手腕としてどこまで現場をコントロールできているか、という観点から見た場合には、それがさっぱり見えてこない、という欠点があります。社内政治のような余計な影響を与えなくても予算を作り上げる方法はあるでしょうから、「集団心理」やそのようなバイアスを避け、会社の業績予想をより詳細に積み上げる方法の方が、経営のツールとして見た場合、より精緻で好ましいはずです。
 だからと言って、松下幸之助氏のやり方を非難するつもりではなく、氏の方法が「当たる」最も重要な理由は、氏が会社全体を詳細まで把握しつつ、大所高所から見渡すこともできた点にあると考えます。
 すなわち、日ごろから現場を十分に把握しているからこそ、現場の情報に直接つながる詳細な積み上げ方式など不要であり、むしろそのことを基礎に、②③のような市場や社会の方の動きも十分に考慮できる能力があったからこそ、一括方式を使いこなせていたのです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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