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人を縛りつける鎖、思想主義などいらない「いつの日に結ばれる、まだ見ないあなた」と出会うために

人は何かしらの洗脳は必ず受けているもの。カルト系の陰謀論も含めて何かの洗脳をされていたいなら、いつまでもされてればいい、そう思う。何を信じるかは人の自由で、それを絶対とするならそう思っていればいい。

自分はただ事実と矛盾を指摘してきただけで、洗脳された人を無理矢理引っ張り出そうと思って何かを書き続けてきたわけじゃない。ここにはエコーチェンバーは無い、誰かが言ってほしいと思う「あるあるネタ」など書いてはいない。

誰しもがそうなんだ、仲間内でこれが絶対だと認識した思想主義のエコーチェンバーに陥ってしまう。左なら左に振り切り、右なら右に振り切る、敵対し対立する相反する側を無意識的に作ってしまう。それが固定概念となり認知バイアスとなり、偏見となりマインドコンロール、洗脳となる。

「こうでなくてはいけない」または「こうであるはず」、は全て何者かに植えつけられた固定概念、認知バイアス、マインドコントロール、洗脳と思って間違いない。そのエコーチェンバーの確認作業を行うために仲間内で群れて属して、それがより肥大化すればカルト宗教、団体や集団になる。

祖父や祖母、父親や母親、兄や姉、その家族の中にいる誰かの思想主義を絶対とした場合、それはカルト宗教の前身となる。家族の誰かから広まった思想主義が他人にまで広まり、それが肥大化するならそれは完全にカルト宗教の出来上がりとなる。

崇拝する誰かが過去に気に入らない出来事、物事があり、それを自分は嫌ってると言う、その崇拝する誰かが嫌っている出来事や物事を同じく嫌ってしまう、それが信者となった証明になる。気がつかなくても誰しもがそういった何者かの影響を必ず受けている。

有名人や芸能人、ユーチューバーやインフルエンサーのファンになれば、その人物の思想主義を絶対としてしまう。同じ思想主義に属していたいとする仲間意識、帰属意識で自分自身も同じ言葉を使い別な誰かをその思想主義で説得、勧誘しようとする。現在そういった現象がSNSを中心に繰り広げられている。

自分が今信じているその思想主義を想像し、それは違うと思うようにしたなら、必ず何者かの影が浮かび上がると思う。その人物こそが過去に自分の思考、思想を支配した誰かであり、その影があるうちはその思想主義から抜けることはできない。

その支配から抜けるためには、その何者かの影を一掃する必要がある。しかし、憎んでもいない人物の思想主義を否定するなどそう簡単にできるような事じゃない。ましてやファンになったり、リスペクトしている人物の思想主義を否定するなどできないと思う。 

だからこそ、皆何者かの思想主義の支配下になってしまうし、そこから抜け出すのも容易にはいかない、容易にはいかないから逃れられない、それがマインドコントロールであり洗脳となる。

自分が数字に操られない、支配されないようにしているのはそこに理由があるから。数字の同調圧力、数字のカーストに巻き込まれないために、左右に属さず支配されず、おかしいことを素直におかしいと自分の言葉として言うために必要なこと。

例えば、陰謀論なら、マドンナやテイラースイフトの曲が好きだった場合「それは悪魔崇拝者の曲だよ」と、偏見的な意見を持つ誰かが言った場合、その思想主義に支配されていたなら、そこに属していたい場合今まで好きだった曲を聴くことができなくなる。

それは政治でも何でも同じで、自分が属する、属していたい思想主義によって好き嫌いをその他大勢に決められてしまう。それは自分の意志じゃない、何者かに操られた思想主義から成る偏見に他ならない。

だからアメリカならトランプ崇拝側に属すならバイデンを憎み、その逆ならトランプを憎む。西側を陰謀論で憎み、東側を政治論で憎む。左翼を憎み右翼を憎む、それがローマ帝国時代からあった東ローマ帝国、西ローマ帝国の双頭の鷲、その分割統治の継承。



左脳は右半身の運動神経を司り、右脳は左半身の運動神経を司る。左が右を操り、右が左を操る、それが脳科学であり分割統治として使われてきた支配のトリック。

ニューエイジ思想主義が悪魔崇拝であるとYouTube動画を作ったが、自分はそれは間違いないと思っているし、完全に辻褄が合う推理として確信を持って語っている。



仏教もニューエイジ思想と同じ、悪魔崇拝、蛇信仰の概念が大きく影響しているので、その仏教自体悪魔崇拝と完全に把握できる。

御経を聞いてみれば解るように、あれはまったくありがたいものなんかじゃない、亡者を呼び覚ます呪いの呪文と言ってもいいぐらい不快なもの。しかしその宗教も長い間日本人の生活の中に入りこんできたもの、簡単に疑うような気持ちにはなれないと思うが、仏教ですら絶対としてはいけない。

とにかく宗教の全ては人間が勝手に作った組織的なものであり、そこには必ず特定の者により思想主義が反映されている。日本神道も例外ではなく、そこに仏教を中心とした多くの多宗教の概念が入り込んでしまっている。

日月神示に関しては完全にカルト、それは岡本天明によるペテン話術を使った、人をアポフェニアに陥れる言葉の羅列でしかない。

だから思想主義なんてものは必ずカルト化する、有名人でも芸能人でも、ユーチューバーでもインフルエンサーでも、陰謀論者でも政治論者でも、スピリチュアリストでもニューエイジ思想主義者でも、その何者かを崇拝し、その人物を絶対としてしまった時点で、もうそれは完全なるカルト化となる。

何者にも支配されたくないと思うなら、己1人の思考力で生きること、何者にも頼らない、すがらない自分として孤独と共に今を生きる。その覚悟は並大抵なものじゃない、簡単にできるような事じゃないかもしれない、でも世の中の全ての思想主義は支配であり、それに従っているうちは誰しもが必ず何者かの支配下となり、洗脳された誰か、その他大勢でしかない。


確かに、自分の言ってることはストイック過ぎるのかもしれない。そう見えるかもしれないが、思いの外自分はそんなに無理はしていない、自然にこうなれたし、こうである方が自分としては楽だったりする。

禁欲的なわけでもない、なぜかと言うならその他大勢の欲望にすがらないし、群がらないから。本当に好きな相手にでなければ愛は刺激されない、だから無意味な色欲など貪る必要もない、そんなことをやるなら、自分もその他大勢に成り下がるだけ。


自分には、その他大勢に成り下がった人とは合わない、まったく意識も話も何もかも噛み合わないと思う。まるで別世界に生きている誰か、のようになると思う。


でもいつか、必ずいる、何処かにいるたった1人の誰かが現れることを信じ続けている。自分の全てを理解してくれる、同じ志と気持ちを持った同志が、きっと何処かにいる、必ず、そう信じている。



と言うことで今回はこの曲を紹介。








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