アキヤマヨウコ

産後うつとうつ病になること3回。現在も服薬中。不健康真っ只中。9歳の三毛猫、8歳児、3…

アキヤマヨウコ

産後うつとうつ病になること3回。現在も服薬中。不健康真っ只中。9歳の三毛猫、8歳児、3歳児の3姉妹の母。

最近の記事

45歳からの教習所

前々から思っていた。車の免許を取ろうか、やめた方がいいのか。 そもそも車に酔いやすいたちで、子供の頃は車や観光バスに乗るのが憂鬱だった。家族で車で出掛けるのも近場で、移動手段は専ら電車。家は駅近で、さほど不便を感じずに生きてきた。 それからもうひとつ、取らずにきた理由がある。事故を起こしやすい性格だと自覚があるからだ。時々、大きなうっかりミスをやらかす。それが致命的になる気がしていた。自分だけならまだしも、人様を傷つけるわけにはいかない。いくつになっても、わたしは自分を全

    • さよなら、先生

      年賀状で繋がっている人がいる。それぞれ違う場所でがんばっている友人、恩師、なぜか卒業以来交流が無くとも毎年送ってくれる同級生。 小学6年生まで通っていたアトリエの先生は、何年か前に故郷の広島に戻り、変わらず子どもたちに絵を教えていた。頚椎を怪我し、思うように字も絵も描けなくなってしまったと、2年前に「年賀状は今年で終わりにさせていただきます。」と書いてあり、心配していた。 ところがその数ヶ月後、突然手紙が届いた。文面こそタイプしていたが、宛名は、自由の利かない手で書いてく

      • トラウマなんて、簡単に癒えないんだ。

        わたしには、いくつかトラウマがある。 1番しんどかったのは、術後腸閉塞でイレウス管を入れる施術を受けた時。喉にお情け程度の麻酔を塗られ、小腸の入口まで太い管をズルズルと入れていくという、単純だが何とも恐ろしい処置だ。管が動く度に、身体の中に溜まっていた緑色の液体を何度も吐いて、それでもなかなか管が進まない。2時間近くかかっただろうか、身体は冷え切ってガチガチになって、終わってからもすぐには楽にならなくて、身体から水分がどんどん無くなるから怠くなるわ、それでまた大量に点滴され

        • うつ病を経て失ったもの、手に入れたもの

          かつては、ジャンルを問わず、本や映画や音楽に触れていた。それができなくなったのは、初めて産後うつになってからだ。 本の内容が入ってこない。そもそも読みたくない。映画ももちろん、音楽もだ。 急性期を乗り越えた頃、ようやく漫画なら読めることがわかって、気力があれば実家に保管していた漫画を読んでいた。 普通に過ごせるようになった今でも、わたしは物語を読めない。TVドラマも観れない。音楽は聴けるが、内容によってはものすごくエネルギーを使う。登場人物の気持ちに共感しすぎる→それを引き

        45歳からの教習所

          今年の夏は何も起こらなかった。そして雑記。

          一昨年の夏は、義父と父が病に倒れた。昨年は、わたしが網膜剥離で入院、手術した。今年は何事もなく平穏に夏が終わっていった。それにものすごくほっとしている。 9月から下の娘も幼稚園に通い始めて、自分の時間がたくさん持てるようになった。まずは家の片付け。どんどん増えたものを精査し選定して、少しずつ減らす。そして普段手の回らない場所の掃除、庭の草むしりや伸び放題の庭木の手入れが待っている。というより、何かしていないと色んな悲しみが襲ってきて危ない。それを避ける手っ取り早い方法が、掃

          今年の夏は何も起こらなかった。そして雑記。

          もう1年⑤

          父が亡くなったと母から連絡が来てから、直ぐに病院に向かった。幸い、夫が休みの日で全てを任せることができた。父を入院させた日も運良く夫が休みで、わたしはこういうことに割と恵まれている。 母と病院の待合室で落ち合って、呼吸器を付けられた父と対面した。触れるとまだ温かく穏やかな顔をしていて、まだ生きているようだった。お医者さんの話によると、急に呼吸が乱れてそのまま逝ったらしい。もう長いこと意識も無かったから、さほど苦しいという感じなかったと信じたい。外には雪の溶け残りがあり、前回

          もう1年④

          父の面会に行ったのはたったの2回で、その2回目が去年の1月の始め。その時は既に昏睡状態で、父と会話することは叶わず、ただ眠っているのを母とずっと見ていただけだった。一見したところ、いつも家で昼寝をしている父の様だけれど、頬は痩けていて、髪もボサボサで、顔色も悪くて、確実に死に近づいているのだと感じた。窓の外には溶け残った雪が見えて、「お父さん、雪が降ったんだよ。子どもたちと雪だるまを作ったよ。」と報告した。上の娘が2歳の頃、大雪が降って、父と雪だるまを作っていたのをよく憶えて

          お父さん、お祭りだよ。

          最近、すこぶる調子が悪かった。 やる気が出ず、できることならずっと寝ていたい。食欲もない。気分が沈んでいる。とてもイライラする。もうすぐ排卵日のせいかな、気圧のせいかな、最近ちょっと無理してたかな、とかいろいろと原因を探ろうとする。もしかしてうつがひどくなったのかと不安になったり。久しぶりの落ち方だった。 こういう時は、抗わずになるべく寝る。食べたいものを無理せず食べる。うつ病を治すことを辞めた=共に生きていくことを選択したわたしは、この波風が過ぎ去っていくことをたいてい寝

          お父さん、お祭りだよ。

          一周忌が過ぎて、わたしは4年生になった

          2月11日が父の一周忌。1年前のことは、昨日のことのように憶えている。 一周忌の法要は1月に終わらせていたので、特に変わらない1日を過ごした。わたしは家事や子どもたちの相手をしながら、算数の勉強を毎日コツコツと続けている。 ずっと家でナンプレをしていた父を思い出す。毎日テレビを観ながら。 入院中「やりたくてやっていたわけじゃねえよ。」と、言って受け取ろうとしなかったナンプレの雑誌と老眼鏡。いつ頃まで解けていたのだろう?そんなことを思いながら、わたしは今日小学4年生に進級し

          一周忌が過ぎて、わたしは4年生になった

          もう1年③

          父が入院してから、面会に行けたのはたったの2回。コロナ禍で制限されていたからだ。そのうち1回は、兄が病院に掛け合って、病院側に「お父さんに家に帰れないことを説得する。」ことを条件に快諾してもらった。それが11月のこと。 その頃の父はまだ意識があって、何となく家族のことを覚えている状態だった。看護師さんの話によると、家に帰りたいとずっと言っていたらしい。それが毎日夕方頃に激しくなって、なだめるのが大変だ、とも。わたしたち兄妹も、1度は父を家に帰してあげたいと思っていた。それを

          もう1年②

          8月の始めに実家から自分の家に帰った、とはいえ、私の実家は自転車で10分もかからない場所にある。中旬にも2日連続に遊びに行って、気分転換させてもらっていた。 月末に、母から電話がかかってきた。父が認知症になったかもしれない。ここ数日様子がおかしい、買い物に出かけても何も買わずに帰ってくる、テレビの操作がわからなくなったみたいだ、という内容だった。にわかに信じがたかった。何故なら父は、暇つぶしに毎日ナンプレを何年も続けているような人である。しかし心配なので次の日に父のスマホに

          もう1年①

          一昨年から昨年にかけて、我が家はバタバタしていた。それは2021年の8月、義父が倒れたという連絡から始まった。玄関前を掃除していて脳出血を発症し、救急車で運ばれたという。 その頃、わたしは産後うつから回復しつつあり、実家から自分の家へ戻ったばかりだった。下の娘を出産してから7ヶ月余り、ようやく自力で生活する体力や意欲が戻ってきた矢先の連絡。 もちろん大変だったのは、1人息子の夫だった。というのも、義母は腰を痛めていて、生活の殆どを義父にやってもらっていたからだ。家の中は歩

          私は数学ができない

          44歳のわたしは今、小学校1年生の算数を勉強している。しかも、自分用のワークブックを買って、である。上の娘と同じレベル。 勉強は中学生までトップクラスだった。それでも理系科目は苦手意識があり、高校で完全に挫折した。数学だけではなく、数字が覚えられなかったので、日本史世界史の年号もダメ。よって赤点。完全に落ちこぼれて、摂食障害になってしまった。それとも、摂食障害になったから数字が覚えられなくなったのか?20代のうちに症状は落ち着いたが、復活する兆しはない。 夫、父、母、兄は

          私は数学ができない

          断捨離は続くよどこまでも

          先月から、断捨離欲が継続している。 使わなくなったベビーベッドに始まり、子どもたちが遊ばなくなったおもちゃ、長年使っていた布団、いつか着るかも、とか、着心地はいまいちでもデザインが気に入っていて手放せなかった服、お気に入りだけれど入院中のつらい時にずっと羽織っていたといういわく付きのカーディガン、仕事をしていた時の領収書や確定申告の書類などなど。 パンパンだったクローゼットに隙間が出てくると、少し心が軽くなった。もっと風通しを良くしたくて、処分できるものを日々探しては袋に

          断捨離は続くよどこまでも

          なるべく病まずに生きたい

          という、今年の目標。消極的過ぎるとは思う。 現在44歳。38歳で第1子を出産してから、あれよあれよと不健康になってしまった。高校生の時に摂食障害になったり、20代に入ってから冷え性になってしまったりはあるものの、風邪も滅多にひかないくらい身体は丈夫であった。ところが。 出産を境に、産後うつ(第2子でもなった)、虫垂炎で2回手術(医療ミスにより1回で取りきれていなかった)、その手術の後遺症で腸閉塞になり入院が長引き、退院後も再発、入院すること2回、腸閉塞の根治手術のため入院

          なるべく病まずに生きたい