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さよなら、先生

年賀状で繋がっている人がいる。それぞれ違う場所でがんばっている友人、恩師、なぜか卒業以来交流が無くとも毎年送ってくれる同級生。

小学6年生まで通っていたアトリエの先生は、何年か前に故郷の広島に戻り、変わらず子どもたちに絵を教えていた。頚椎を怪我し、思うように字も絵も描けなくなってしまったと、2年前に「年賀状は今年で終わりにさせていただきます。」と書いてあり、心配していた。

ところがその数ヶ月後、突然手紙が届いた。文面こそタイプしていたが、宛名は、自由の利かない手で書いてくれたであろう字が並んでいた。そこには、かつて自分はグラフィックデザインやコピーライトをして生計を立てていたこと、うつ病と間違われて薬を処方されて、思うように文章が書けなくなってしまったこと、なので絵を教えることだけをしている、ということが書かれていた。そして、懐かしい写真が同封されていた。わたしが通っていた頃のものだ。実家にもまだ同じものがあるはず。彼は、写真を撮るのも趣味だったのだろう。手紙の最後には、こう書かれていた。「よかったら〇〇ちゃん(私の名前)の半生も聞かせてください。」

しばらくそのことを忘れていたわたしは、ある日ふと返事を書こうと思い立った。自分が選んだ道、仕事、思い、病気のこと、父を亡くしたばかりだということ、現状。なるべく簡潔に、でも思いを込めて返信した。程なくして届いた返事には「〇〇ちゃんは、いささか苦労をし過ぎたかもね。」と書いてあった。そうだね、わたしもそう思うよ、先生。お互い様だね。

今年も当たり前のように年賀状を送ったら、住所不明で戻ってきた。え?なんで?と思い、パソコンを開きメールを送ったら、このアドレスは存在しないと戻ってきた。愕然とした。

広島に行く事があったら、会いに行こうと思っていた。それはいつになるかわからなかったけれど、大人同士として話したかったよ。
急に手紙を送ってくれたのも、何かを感じたからなのかな?30年以上、気にかけてくれていた。ありがとう、先生。わたしは、なんとかやっているよ。

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