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もう1年③

父が入院してから、面会に行けたのはたったの2回。コロナ禍で制限されていたからだ。そのうち1回は、兄が病院に掛け合って、病院側に「お父さんに家に帰れないことを説得する。」ことを条件に快諾してもらった。それが11月のこと。

その頃の父はまだ意識があって、何となく家族のことを覚えている状態だった。看護師さんの話によると、家に帰りたいとずっと言っていたらしい。それが毎日夕方頃に激しくなって、なだめるのが大変だ、とも。わたしたち兄妹も、1度は父を家に帰してあげたいと思っていた。それを判断する目的もあって面会を頼んだのだ。

わたしたちが訪れた時、父は眠っていた。それは、いつも家で昼寝をしている時と何ら変わらない寝顔だった。声を掛けると父はすぐに目を覚まし、涙を流した。やっと会えた、やっと帰れる、そんな気持ちになったのだろうか。しかし、彼が自分の息子と娘をちゃんとわかっていたかどうかは疑わしい。名前は思い出せないようだったし、そもそも自分の子供相手に、涙を流す人では無かったから。(実は涙もろいけれど、照れ屋で隠していた。)そして話しているうちに、彼の中でわたしたちは病院の先生になったり、看護師さんになったりしていた。「歩けるようになったら家に帰れるよ。」そんな風に母に諭されていた父は、よほど帰りたかったのだろう。リハビリをして、入院直前よりはずっとしっかり歩けるようにはなっていた。でも、すぐに忘れてしまう。歩いているところを見せて、と父に言っても、なぜ靴を履いて立ち上がったのか忘れて、すぐに座ってしまうのだ。

父と会話できたのは、この日が最後だった。別れ際、父と写真を撮った。大人になってから、最初で最後の記念写真。そして、帰りの車の中で兄との意見は一致した。家に帰してあげるのは、もう無理だねと。続く。

(写真は、父がかわいがっていた上の娘と、先日の雪の日に遊んだときの写真。名前こそ忘れていたが、写真を見せると「かわいいなあ」と言っていたので憶えていた、と思う。)

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