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うつ病を経て失ったもの、手に入れたもの

かつては、ジャンルを問わず、本や映画や音楽に触れていた。それができなくなったのは、初めて産後うつになってからだ。

本の内容が入ってこない。そもそも読みたくない。映画ももちろん、音楽もだ。
急性期を乗り越えた頃、ようやく漫画なら読めることがわかって、気力があれば実家に保管していた漫画を読んでいた。
普通に過ごせるようになった今でも、わたしは物語を読めない。TVドラマも観れない。音楽は聴けるが、内容によってはものすごくエネルギーを使う。登場人物の気持ちに共感しすぎる→それを引きずる→まるでもう1つの人生を勝手に歩んでいるように疲れる→日常的に支障をきたす、と、こんな具合なので、最近はようやく受け入れて諦めつつある。代わりにエッセイをよく読むが(読みたい欲はあるのだ。)内容によっては最後まで読めずに積読しているものもある。

しかし、音のない空間で過ごすのが苦手という厄介なところもあって、テレビをすぐ付けていたのだけれど、流れてくるのは悲惨な事件やら興味のないゴシップやら…ある時、自分の想像以上に心が削られているのに気づいた。そして、たくさんの情報は無意識でもどんどん蓄積していって疲れることを実感した。なので、テレビもSNSも控えめにしている。観るのは好きな芸人さんが出ているバラエティ番組。こうすれば笑って1日を終えられる。

そんなわたしが今、いちばんハマっているのがラジオ。オールナイトニッポンやジャンク、ポッドキャスト、GERAで好きな芸人さんやアーティストの番組を家事をしながら聴く。聴覚しか使わないって、こんなに楽なんだ!そして、とにかくおもしろい。今やリトルトゥースであり、リトルジャンガであり、クソガールであり、タンタミンである。(そのほかにも多数。)
東京都某市でクソガールのキャップを被っている人を見かけたら、それはわたしかもしれません。未だ誰にも気づかれず。どうやらわたしの周りにはラジオリスナーが夫以外にはいないらしい。

もともと過敏だった感覚が、病気になったことで(加齢もあるかもな。)増幅している感じがしている。でもそれは、感受する力が高まったとポジティブに捉えることができるようになってきた。(時々ヘコむこともある。)

失くしたもの、手に入れたもの、プラスマイナス0ではなく、プラスだったと思える。でももう、うつ病になんかなりたくない。あんな苦しい思いはごめんだ。

(娘の運動会もクソガールのキャップで参加。)

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