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もう1年⑤

父が亡くなったと母から連絡が来てから、直ぐに病院に向かった。幸い、夫が休みの日で全てを任せることができた。父を入院させた日も運良く夫が休みで、わたしはこういうことに割と恵まれている。

母と病院の待合室で落ち合って、呼吸器を付けられた父と対面した。触れるとまだ温かく穏やかな顔をしていて、まだ生きているようだった。お医者さんの話によると、急に呼吸が乱れてそのまま逝ったらしい。もう長いこと意識も無かったから、さほど苦しいという感じなかったと信じたい。外には雪の溶け残りがあり、前回来た時と同じような景色なのに、父の命は確実に絶えてしまった事実だけが違う。兄や葬儀屋さんに連絡したりしているうちに、どんどん冷たくなっていく父の額や手に時々触れ、それでもまだ死んでしまったんだという事実を実感できないまま、バタバタといろんな手続きが始まった。

父は生前、葬儀をすることを望んでいなかった。単純にお金がかかるのが嫌だと聞いた気がする。母もそれを知っていて、家族葬で済ますつもりでいた。しかし、父には囃子や祭の仲間や友人が多く、家に挨拶しに来てくれる人が次々と訪れるだろう。すると、母の負担も増える。通夜と葬儀をしたほうが1度に済むだろうし、実際、父に会いたい人と申し出てくれる人もたくさんいた。残念ながらコロナ禍で、入院中にも面会は許されなかったから余計に。
結果、通夜と葬儀をすることに決めた。父は淋しがっていたから、みんなに会えたほうが喜ぶだろうと。(続く。)

(写真は、父が可愛がっていた上の娘。もう2年生になった。)

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