お父さん、お祭りだよ。
最近、すこぶる調子が悪かった。
やる気が出ず、できることならずっと寝ていたい。食欲もない。気分が沈んでいる。とてもイライラする。もうすぐ排卵日のせいかな、気圧のせいかな、最近ちょっと無理してたかな、とかいろいろと原因を探ろうとする。もしかしてうつがひどくなったのかと不安になったり。久しぶりの落ち方だった。
こういう時は、抗わずになるべく寝る。食べたいものを無理せず食べる。うつ病を治すことを辞めた=共に生きていくことを選択したわたしは、この波風が過ぎ去っていくことをたいてい寝逃げで乗り切る。薬にも頼る。最低限の家事をして、子どもには映画を観ていてもらって(今はアナ雪にハマっている)寝る。寝る。寝る。実家の母に頼って、子どもを見てもらうこともある。
夕方には少し盛り返すから、子どもたちとお風呂に入って、夕食の準備をして(冷凍食品大活用)、子どもらの歯を磨いたり、おやすみーと寝室に見送って、なんとか自分の時間を確保して遅くならないうちに薬を飲んで寝る。とはいえ、昼間散々寝てしまっているから、眠剤を飲んだとてなかなか眠れず、結局日をまたぐことになる。悪循環…。
そんな日を4、5日間送っていたら、GWに突入していた。久しぶりに遠出(と言っても都内)して少し気分が晴れて、ここではないどこかへ行くことは必要なのだな、と実感した。出掛けるまでは、どこか不安で億劫なのだけれど、意外と大丈夫だった。コロナ禍を理由に随分と行動範囲が狭くなっていたわたしは、新宿駅の変わりように驚き、1人では迷子になっていたに違いない。都内の西側には赴いても、都心方面には近寄らない3年間だった。ちょうど妊娠、出産も重なっていたし、小さな子を人混みに連れていくのは気が引けた。そうこうしているうちに、下の子も2歳になり、コロナ禍も終わりを告げようとしている。出掛けてみたら、今年はいろいろな所へ行きたいと思えるようになっていた。
今年は、亡くなった父の唯一の趣味で楽しみにしていた祭りもようやく行われた。お弟子さんが(父は囃子の先生であった)山車に父の遺影を飾ってくれて、その写真を送ってくれた。写真の中の父は家では見せないような笑顔で、とても楽しそうだ。「よかったね、お父さん」と思わず声が出た。祭直前になると自ら法被にアイロンをかけ、新品の足袋を履いて、ビシッと着こなして出掛けて行った父の姿が忘れられない。意識のある間、最期まで気にしていたのは囃子のことだった。囃子の練習や祭が再開されるのを、ずっと待っていたのだ。
その写真を見て、またセンチメンタルな気分になり、気持ちが上がったり下がったりしながら、もうすぐ日常が戻ってくる。
よかったね、お父さん。またお祭りが始まったよ。
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