手離す、諦める、許す
ある時、うつ病を治そうと思うことをやめた。
長女を産んだ後、産後うつになった時は、本当に早く治りたいと思っていた。娘と一緒に楽しくお出かけしたい。自分の家に帰りたい。実際に、半年後には寛解して断薬もできた。
けれど、2回目になった時(入院のストレスからのうつ病だった)絶望した。また薬を再開しても、しばらくは辛い症状(常に動悸がする、そわそわする、ただただ泣く)が続き、数ヶ月後にようやく症状がある程度落ち着いて、また日常生活を「普通の人のように」送れるようになった。けれど…「1度かかると再燃する可能性が高い」という、なにかで読んだ言葉は本当だった。そして実際に、第二子を産んだ後にも産後うつになったのだった。
それから3年、午前中はやっぱり調子がいまいちだし、疲れやすいし(これは歳と運動不足のせいもある。)、気分の浮き沈みが激しい(これもホルモンバランスの影響もあるであろう。)、夕方になると何となくそわそわする、夜の方が気分が上向きだ。病気以前の自分と比べると、やはり波が荒い。
先日、うつ病だと公表したサカナクションの山口一郎さんのドキュメンタリーをTVで観た。食い入るように。彼は、わたしが行き着いた同じ決意を語った。「病と共に生きる。」闘うのではなく、一生付き合っていくのだ、と。
逃げることもできない、治したくても治らない、抗っても結局負ける。それより、毎日薬を飲んで、しんどくなれば寝て、周りの人に頼ることにした。病気のことは、敢えて人に言ったりしないけれど、親しい友人には伝えたし、聞かれれば隠そうとも思わない。なってしまったのは仕方がない。生きようとさえ思えれば、少しでも笑える時間があれば。それでいいかな、と今は思う。
それは、諦めとも言えるし、自分を許容したとも言える。自分自身を苦しめていた「完全に治したい。」という気持ちを手放した。元来、完璧主義なところがある自分だから、そう思えるまでは時間がかかった。でも、結果的にとても心が楽になったのだ。
やっぱり自分はまだ病気なんだ、と落ち込むこともある。なんで生きてるのかなって、どん底まで落ちることもある。だけれど、健常な人と同様に選択肢は無数に存在している。この歳でも、うつ病で薬を飲んでいても、車の免許は取れたし、やってみたいこともいろいろある。
わたしは、共に生きていくことを選んだ。でも、絶対に治そうと思う人を、とても強くて羨ましいと思う。
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