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気分で選択しない

どちらかといえば気分に振り回されがちな29歳女です。

最近大事にしていることのひとつが「気分で選択しない」。

気分で選択するというのは、例えば「農作業が楽しい!農業を本業にしよう!」と思って突き進むこと。

もちろん本当に農業を本業にしたいならそれでいいんだけども。

わたしの場合は、一時的に熱烈にハマったものを「これこそがわたしのやるべきことだ!」と過剰に思い込み、気持ちをそちらに傾けて、現実を嘆く癖がある。

でも一時的なものだから、しばらくしたら熱は緩やかになる。農作業は好きだけど、マルシェで出せたり、友達に配れたら十分で、たとえば月15万円を農業で稼ぐ必要はないな、という結論にたどり着く。

また、何かが上手くいかなかったり、自信がないときに、やたら別のところにあるものを自分の天職だとか思ってしまう。

たとえばわたしの場合、少し前にやたらと農家に憧れて脳みそがヒートアップしてたけど、深掘りすると実は、現職(マーケティングの仕事)を本当にきわめていけるのか自信を失くしている時期だったりする。

今いる場所は合ってるのか自信ない→(無意識に)別の場所に憧れる→そっちが自分にあってると過信する

性質としては、気分が思考のベースにあり、思い込みが強く、物事を短期的で考えてしまう癖がある。

わたしは発達障害の傾向が強いと医師から言われているので、それに沿うと、ASDの思い込み系の特性や白黒思考と、ADHDの衝動性や飽きっぽさ、怒りっぽさと、そのへんが混ざって、思考として出てるんだと思う。

(あまり発達障害を気にせずに生きてるけど、やっぱりゴリゴリに特性を持ってるので、気にしないどころか定期的に気にしな、自分。)

ただ大人になって決定的な(壊滅的な)行動にうつる前に立ち止まれるようになったから、生活が崩壊するまではいかない。

これが行き過ぎた場合どうなるか?といえば、

短期で転職を繰り返したり、

気分で新しいことを始めては即辞めたり、

Aという問題を解消するためにA"という行動をすべきところでなぜかZの行動(的はずれな行動)を取ってしまったり、

急に人間関係を終わらせる人になったりするんだと思う。

気分で最終的な行動を決めるのが癖になると、年齢とともに積み上がるはずのものが何も積み上がらずに、ぶつ切りの人生になると想像できる。

ぶつ切りの人生でも良ければ、それはそれで良いと思う。人の自由だから。

でもぶつ切りの人生だと、足し算も、掛け算も、複利みたいなものも発生しなくて、クレーンで何度もスタート地点に戻される感じになる。

それはもったいないなぁと思うので、年々積み上がる人生にしたい。そのための一つが「気分で選択しない」。

だからといって気分を軽視するわけではない。むしろ逆で気分のことは大事にしている。

気分の扱い方?位置付け?が結構ポイントだ。

気分をそのまま受け取って、行動の判断材料として即採用するのは避けたい感じ。

気分→行動 を基準にするのは避ける。

気分の要因を探ったり、気分自体をコントロールしながら生きたい。

行動→気分 といえばいいのか。

気分に左右されながら行動(選択)するんじゃなくて、適切な行動により気分をコントロールして、気分をなるべくキープしたまま快適に過ごしたい。

気分は勝手に出てきてコントロールできないものではなく、工夫次第でコントロールできるものだから。

気分に振り回されながら選択をするのではなく、気分に対して自分で手を加えながら耕す感じでいきたい。手を加えてより良いと気分を作っていく。そういう感じ。 

同じように気分に振り回される人(気分のせいで不適切な行動を取りがちな人)は、頑張って生きていこ〜。まず自分は気分屋なんだってこと、思考の癖、認知の癖を把握するところがスタート。

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