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エッセイ・コラム

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2022年5月の記事一覧

他人のことなどよくわからないものである

他人のことなどよくわからないものである

「共感」「他者理解」は、言うまでもなく大切なものだ。
つらいなあと思う人に「つらいよね、そうだよね」と思いやり言葉をかけること、そして言葉を発せない人たちの状況を慮って言葉をこちら側が紡いであげること。
人間同士が平和に生きるうえで極めて重要なことだ。

ただ、そうした理解というのは、往々にして表面的なものになりがちである。
というのも、経験したことがないことだと、そもそも理解ができないのである。

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残ることばと、残らないことばと。

残ることばと、残らないことばと。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「砂の本」の35ページのことばだ。
私もまったく同じことを、一介の記者として思う。

私たちは1日にどれだけの言葉を目にし、口にし、耳にしているのだろう。ことばに包まれた日々の積み重ねが「オギャア」とこの世界で呼吸を始めた時からある。私たちの前にはとんでもない数のことばとの出会いがある。

では、この世界にあることばの海の中で、そのことばの一滴一滴をどれだけ大切にしてきた

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裏側を見ようとすること

裏側を見ようとすること

小学生のころの話である。生活科か何かの時間に、学年全体で菊を育てることになった。
植木鉢にひとりひとり名前のシールを貼って、種を一人一人土にぶっこんだところまでは覚えているのだが、私はそれ以降一切の世話をせず菊を放置していた。

それから数か月、菊に関心もないまま自由に過ごしていたのだが、たまたま休み時間に「そういえば」と思い立って菊の様子を見てみると、ほとんどが枯れ果てるなか、すこぶる立派な菊が

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久しぶりに会った女性にどぎまぎするやつ

久しぶりに会った女性にどぎまぎするやつ

社会人になりたてのときくらいだったか、昔一緒に水泳をやっていた女の子に約10年ぶりに偶然再会したことがあった。

驚きのあまり私のコミュニケーション能力は一気に下がってしまい、「えー!」とか「うわー!」とか「うおー!」とか意味のない言葉を発するばかりでついに意味のあるコミュニケーションが出来なかったが、久々の邂逅ほど喜ばしいものはない。

小さい頃の「久しぶり」というものなんてたかだか2~3年くら

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平成は遠くなりにけり

平成は遠くなりにけり

以前ルミネで「平成レトロニスタ」というキャンペーンをやっていた。
ビビットな色合いにブリブリの化粧をした女の子が描かれていて、いわゆる「ギャル」の隆盛を象徴するようなポスターになっている。

そして同時に、平成は「レトロ」なものとしてノスタルジアを喚起する対象になっているということに、平成生まれの私は驚いたものである。

今やインターネットなど当たり前に存在していて、一家に一台パソコンがあるなんて

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人には、人生を賭けるギャンブラーの魂が必要だ

人には、人生を賭けるギャンブラーの魂が必要だ

小さいころ、父親はよくわたしを競輪場に連れて行ってくれた。父は自転車によく乗っていて、競輪も含めた「チャリンコ」が好きだったのである。
当時競輪なんてわからないから、私はただジュースを飲みながら、父についていく。それだけだった。

そんな道中、トイレに行きたくなる時がある。
父親にトイレに行きたいと伝えると、大体連れていかれたのはパチンコ屋だった。
それもそのはず、パチンコ屋は結構トイレがきれいな

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邂逅とあいさつと

邂逅とあいさつと

最近、年齢も年齢だけに結婚式ラッシュが来ている。4月は初頭にも末にも結婚式があった。ちなみに5月にもある。
4月の挙式は高校の友人のものだ。大変めでたいことである。

結婚式には必ずあいさつがある。
新郎新婦の勤務先の先輩なんかがいろいろ喋るわけだが、ちょうど4月初めの友人の挙式で出くわした、某銀行の支店長のあいさつがあまりにもひどかった。
冗長で、内容も薄っぺらく、そして何よりつまらない。
大体

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卒アルを見て「こいつ誰?」と感じた時に

卒アルを見て「こいつ誰?」と感じた時に

だいぶ前の話だが「大学の卒業アルバムが届いた」と親から言われたことがあった。
そもそも、大学に卒業アルバムがあったことすら知らなかった私である。
当然アルバムに私の写真はない。なぜ母は買ったのかとよくわからなかったのだが、せっかく届いたのだし…と、とりあえずアルバムを広げた。

学部ごと、ゼミごとの写真が広がる。自分のいた外国語学部を見ても「こんなやついねえよ」と思いながらページをめくる。
大学と

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