見出し画像

残ることばと、残らないことばと。

「新聞記者は忘却のために書くもので、自分の憧れは、記憶と時間のために書くことだ」

ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「砂の本」の35ページのことばだ。
私もまったく同じことを、一介の記者として思う。

私たちは1日にどれだけの言葉を目にし、口にし、耳にしているのだろう。ことばに包まれた日々の積み重ねが「オギャア」とこの世界で呼吸を始めた時からある。私たちの前にはとんでもない数のことばとの出会いがある。

では、この世界にあることばの海の中で、そのことばの一滴一滴をどれだけ大切にしてきたのだろう――顧みれば、反省の一言に尽きる。

そこで、私は「ことばのノート」というものをつけるようになった。
小説でも詩でも歌詞でもなんでもいいのだが、とりあえず「いいじゃん」と思った言葉をただ書くだけのものだ。大学1年くらいの時からやっているが、だらだらとやっているうえ、毎回1冊につき1~2行しか書かないので10年くらい経ってもまだ2冊目という体たらくである。

そのなかに昔の歌でチューリップの「夕陽をおいかけて」という名曲のこんな一節が書いてある。

いつからだろう 父は小言の たった一つも やめてしまっていた
いつからだろう 母が唇に さす紅を やめてしまったのは
長生きしてねの 一言さえも 照れくさく言えず 明日は出ていく日
戻っちゃダメと 自分に言った 切り捨てたはずの ふるさとだから

この歌詞を初めて聞いた当時、わたしは大学生で独り暮らしをしていて、尋常ならざる郷愁に駆られたのを覚えている。

というのも私も中3のときに「すぐ家から出てやる」と決めて、故郷を切り捨てることを心から志向していたからだ。大学になり下宿を始めたときは、実家というもののすべてが煩わしかったせいか、解放された気持であった。
しかし、ときどき実家に戻ると、故郷は次第に廃れていることに気づく。学校帰りによく食べた、油でギトギトのメンチカツを50円で売っていた店は廃墟同然となり、建物は壊されて駐車場が増えていく。自分が覚えていた景色は少しずつ無くなっていることに気づいて虚しささえ覚える。
そして家に帰れば父は弱く、力なく笑うただのじいさんになり果てている。幼年期のときに感じていた恐ろしさはどこにもない。
「一体、ここは本当に自分の故郷なのだろうか」――と感じたとき、何年たっても昔のままの故郷を見続けている自分がそこにいたのだ。
そして、何かから離れるということは、それを通じた変化も甘受しなくてはならない強さが必要なのだ、と強く意識させられたのである。

このような印象的な言葉というのは、受け取る側の人生における体験と言葉とが重なったときに生まれるのである。間違いなく、こういう経験が多く紡がれていくことは幸福なことだと思う。人生の様々な経験を想起し、そして己の発する言葉の力を一層増すはずだからだ。

では、発信する側としてはどうすればよいのか、というと、たぶんだが受け取る側以上の強い感情を発露させる必要がある。
有名な話だが、「好き」という思いを伝えるときにある作家は「月が綺麗ですね」、ある作家は「話したいことよりも何よりもただ逢うために逢いたい」、ある作家は「お菓子なら頭から食べてしまいたい」とそれぞれ表現した。
こんな風にたかだか「好き」という二文字の感情を伝えるために人間はここまでこだわって、本来の表現より長いことばを紡ぎあげるのである。
これは技術やスキルだけでは限界がある。ほとばしる感情や言いえぬ何かを言おうと奮闘する結果、こういうことばたちが出てきたはずだ。
そしてその言葉に潜む強烈な感情に触れたとき、受け取る側は「好き」という言葉より少しだけ深い理解に及んで、自分への思いを感じ取り、そして確かにことばは記憶に刻まれていく。

人生の意味の一つは、言葉を真に理解し、印象に残すための強烈な経験を積むことなのかもしれない。その果てに、確かな重みのある言葉がこの世に少しでも多くなれば、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?