見出し画像

書籍解説No.29「脳科学は人格を変えられるか」

こちらのnoteでは、毎週土曜日に「書籍解説」を更新しています。

前回の投稿はこちらからお願いいたします。

今回取り上げる書籍は「脳科学は人格を変えられるか」です。

【「快楽を求める」「危険を避ける」】

人間は長い進化の過程を通じ、「快楽に向かうこと」「不安を遠ざけること」という2つの動機付けによって脳内に複雑で多様な回路を発達させ、それらの集積が快楽と恐怖をそれぞれ司る回路を形成してきました。

「快楽に向かう力」
快楽の回路は、生存上良いものごとを確実に人間に捜し求めさせる役目を果たす。
「危険を避ける力」
恐怖の回路はたえず危険に目を光らせ、予測不能な世界の中で身の安全を守る役目を果たす。

(本文より引用)

これらはいずれも生きるうえで欠かすことができず、この二つのバランスが、一人ひとりの物事に対する受け止め方や感じ方(ポジティブ思考/ネガティブ思考)を形成しています。

以下、楽観的な人と悲観的な人の性向を簡略にまとめています。

楽観的な人は、困難を歓迎することはないにしても、たとえ悪いことが起きたとしても「必ず対処できるはずだ」と信じている。
そして、生じた問題は単なる一時的な障害として捉え、現実から目を背けずに立ち向かおうとする。

悲観的な人
は、人生の明るい部分よりも暗い部分に目を向けがちになる。
「自分は不幸な人間だ」「良いことなど何も起こらない」のような無力感を抱くことで、物事に対する消極的な態度や意欲の欠如につながり、このような悲観主義はやがて不安症や抑うつ症へと発展する原因にもなりうる。

楽観的・悲観的といった性格の違いに関わらず、苦労や困難を欲する人はそう多くないでしょう。
しかし自明のことではありますが、楽観的な人はそれを成長や昇進のチャンスと捉え、悲観的な人は障害として捉える傾向があります。このような苦難に対する態度の違いは、それぞれの幸福度や性向、そして健康にまで影響を及ぼすことが科学的に証明されています。

つまり、物事を楽観的に見るか悲観的に見るかで、実際にその後どのような出来事を経験するかが大きく変わってくるということです。

【性格は変えられるのか】

「あなた」が外出中に歩道を歩いていると、道路を挟んだ反対側に友人が見えたため手を振ってみた。その友人はこちらを確認するも反応はなく、そのまま立ち去ってしまった。

手を振った「あなた」はこの状況についてどう思うでしょうか。
「なんて無礼なやつだ」
「私は友人に嫌われている」
「もしかしたら私ではなく他のものを見ていたのかもしれない」
「今度会ったらまた話しかけてみよう」

この例からわかるように、たとえ同じ状況が起こったとしても、楽観的傾向のある人と悲観的傾向のある人とでは解釈の仕方が大きく異なります。

人間の意思決定には多くの先入観、固定概念、過去の経験などの影響を受けており、自覚の有無にかかわらず良いことや悪いことを察知したり、どちらともとれるような社会的状況を自分の良いように、あるいは悪いように解釈する傾向があります。
このような偏見や先入観のことを「認知バイアス」といいます。

それでは、このような性格を形作る要因は何でしょうか。
そして、性格は変えられるものなのでしょうか。

これらについて簡略にまとめます。

【性格(楽観と悲観)を形成する三つの要素】
①どのような構造の遺伝子を授かったか
②どのような出来事を経験するか
③起きた出来事をどのように見たり解釈したりするか

楽観と悲観はどちらも、「人がどんな遺伝子をもっているか」「どんな出来事を経験するか」「世界をどのように見、解釈するか」の複雑なからみあいから生じるのだ。(本文より引用)

まず、性格(楽観と悲観)を形成している要素は、①遺伝 ②経験 ③解釈の仕方 の三つがあります。

①の遺伝子は、生を授かった時点で決定されることから残念ながら変えることができません。
しかし、②の経験と③の出来事の受け止め方・捉え方であれば、努力を要するものの可変であることが、文中で描かれている広範な研究から証明されています。

まとめると、人間の脳は変化する可能性を秘めており、「遺伝」は性格形成における重要な要素であるもののそれは一要因に過ぎず、それだけではなく「経験」「解釈の仕方」によって楽観的思考にも悲観的思考にもなれるということです。
つまり、個々の人生観を形作っていくための「環境」が非常に重要な要素といえます。

子どもをもつ親であれば、日常の関わり方や提供する「環境」によってその子の感情のスタイルは規定され、それ次第で取り巻く世界も変化していきます。親から虐待を受けた経験、乱れた食習慣、飲酒や喫煙といった環境的な要因は間違いなく子どもに影響を与え、世代を超えて譲り渡されていきます。
そして、世界に対してどのように向き合うかという姿勢によって個人を取り巻く環境や起こりうる出来事も変化し、巡り合うチャンスや困難も変わってきます。

なお、養育・教育にまつわる環境の重要性については、以前まとめた「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」「新・日本の階級社会」 の記事をご参照ください。

【楽観的な人になるべきか】

ここまで読むと、楽観的な人の方が人生を楽しく前向きに送れることができ、悲観的思考は排除しなければならないと思う方もいるかもしれません。しかし、人間は不安や恐怖心を抱かずに楽観的であるべきかと問われたら、それは必ずしも首肯できません。

脳はあらゆる恐怖をたやすく学習し、記憶する作用があります。それは人間の進化の過程において、危険をすばやく察知することは生存のために不可欠だったことに由来します。
この「危険を避ける」という思考は生存のために必要な能力であることは明らかですが、それが行き過ぎればあらゆる状況が脅威に感じられてしまいます。直面する物事一つひとつに対して不安を抱き、論理的な思考も妨げられてしまい、場合によっては抑うつ状態に陥ってしまう可能性もはらんでいます。
しかし一方で、過度に楽観的傾向な人はその性格ゆえに身を滅ぼしてしまう人がいることも知る必要があります。

著者はサセックス大学で「楽観」と「刺激追究度」の関連を確かめるための実験を行いました。「刺激追究度」とは、感覚的な快楽や興奮を欲する度合いであり、この度合いが高い人ほど強烈で激しい経験を追い求める傾向があるというものです。
すると、刺激を強く追求する人は快楽中枢の活動度が低く、楽観を抱きやすいということが判明しました。

無謀ともとれる投資をする人や命の危険を冒すような挑戦をする人、あるいは大胆なばくち打ちや大音量のなかで乱痴気パーティを繰り広げる人など、あらゆるジャンルで危険を冒すチャレンジャーがいますが、彼ら・彼女らは「危険」への感度が低く、楽観的傾向であることが一因となって行動しているということになります。

もし恐怖へとつながる回路が脳になければ、人間は日常生活上のあらゆる危険を危険と考えられなくなり、おそらくすぐに命を落としてしまうことになるでしょう。
反対に恐怖の回路が過剰に反応してしまえば、人間は不安や恐怖に苛まれて不安症や抑うつ症といった症状を抱えてしまうことになります。

【まとめ】

とはいえ、誰しも精神的疾患にはかかりたくはないし、できることなら前向きに明るく生きていたいと多くの人が望んでいるはずです。そして、その傾向は間違いなく多くの利益をもたらします。

【楽天的な思考形式による三つの利益】
① 健康と幸福度の向上
② 危機のあとでも元気を取り戻す能力
③ 成功する可能性

楽観が幸福につながるのは、思考のもつ魔法のような力(そんなものがあるとして)のせいではなく、そうした心の傾向が有益な行動と結びついた結果であることは、ほぼまちがいない。
(本文より引用)

ここから、楽観主義とは受動的な心の傾向ではないことがうかがえます。

つまるところ楽観主義とは、困難に対してふさぎ込むのではなくアクティブに取り組み、人生をポジティブに捉える姿勢を意味します。

著者は、悲観的傾向を抑え、不安症や抑うつ症の治療に最適な方法として「認知行動療法」「認知バイアス修正法」「マインドフルネス瞑想法」が挙げています。
これらの詳細については、実際に本著を手に取ってご参照ください。

また本著には、先に触れた「遺伝子」と「環境」の密接な関係性について詳しく描かれており、非常に興味深い内容となっております。
専門的な脳科学の解説も盛り込まれているため、章によっては読み進めることが難しい場面もあるかもしれませんが、脳科学に興味がある方、心配性・ネガティブな性格に思い悩んでいる方、幸福感を味わいたい方、養育・教育に携わる方にとって有益な情報が詰まっています。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。