bloodshadow
あけましておめでとうございます。昨年途中から更新が途絶えていましたが2月中旬の修論発表まで気長に続けられたらなと思ってます。 最近実験をしていてふと気づいたことについて話します。 現在大学院で太陽電池の研究を行なっているのですが、先日実験中にピラニア溶液(名前からして危なそうですよね、硫酸と過酸化水素の混合溶液です。手が溶けます。笑)を加熱してました。いつもと同じ時間だけ加熱し、ホットプレートの温度が130度で一定になっていたので、準備完了と思いました。ところが溶液の様子
若くして優秀な方の下でインターンという形で働いているのですが、機械学習のスペシャリストで、一つの事象から取り出せる情報の量が半端じゃなく、しかも、それを綺麗に構造化して整理して、抽象度もコントロールして相手に届けられるため、毎回感心しています。 常に色々なことに興味をもち、情報通で、人当たりもすごく良い方です。仕事がものすごく早く、的確で、とても尊敬しています。 全く人に対して奢る事なく、相手のことを常に思いやってコミュニケーションをとる方で、相手の気持ちが見えてるんじゃ
大学受験に失敗して浪人していた時に、ふと本を読もう!と決意した。それまでの人生であまり本を読んで来なかったので、読解能力を鍛えるためにも少しずつ読もうと思った。そこから本を読むことに対して抵抗は無くなってきたが、最近読書の意義が少し変わってきた。ほんの数ヶ月前までは、自分にメリットがある、これを読んだら何かが変化すると期待して読んでいた。しかし実際にはそんな変化することはなかった。あくまで自分の人生を変えるのは自分の選択であり、行動だ。自分を磨く上で出会う問題を解決する一助と
仕事とは、自分の能力を社会と分かち合うことだと思います。自分の提供できる価値を世の中に共有することで、社会の活動が前へ進み発展していくのだなと思います。これはどんな仕事でもそうです。良い悪い、楽、苦しいなどはあくまでも人の主観的な判断で決まるもので、今回は置いて起きましょう。なので、時給という考え方よりも、どんな価値提供をしたのかが、自らを客観的に評価する指標にしようと思います。もちろん、その報酬が努力に対して見合わないものならば、交渉したり、別の契約を結んだりしたら良いので
明日こうしようと思ったとして、そのための具体的なアクションが伴わないと結果に繋がらない。何時に起きるただそれだけでも、そのためには早く仕事を完了させて寝れる状態へ持っていく必要があるし、それ以外のことも、済ませておく必要がある。 うまく行った事例をどうやって自分のところに移植するか。単にその行動だけ取り上げても、自分の習慣との乖離があれば、起きれない。 仕事も発散させようと思えばいくらでも発散させることができる。けど、それを短く効率的に終わらせるためには工夫が必要になる。
前回の生存バイアスと繋がってる話だけど、普段の何気ない行動、自分の判断基準て、物事を構造化して客観的に捉えているかというと、かなり主観的なレベルで判断して行動しているなって思う。今日、いつも来る訪問販売のお弁当屋さんのスポット(車はお弁当置いたら一度帰る)に向かった。普段は11:40頃に来て売ってくれてるんだけど、ちょっと早いかな?と思いつつ11:20頃に向かったら、いつも建物の角から見える車がなくて、 あ!もう置いて車は先に帰ったんだと思い、建物に入ったら、まだやってなか
与える側ってしんどい事の方が多い。目に見える形のアウトプットを出すまでに、色んなことを考えて、検証して、失敗して、ギリギリ作って、いいコメントも厳しいコメントもいただく。 出すことによって自分の中にあったものが明るみになってインプットに変わる。だから作る側に回ることが一番メリットを享受できる。 セミナーも行く側より、作る側に、 講演も聴く側より、聴かせる側へ、 スポーツも見る側より、見せる側へ。 そのためには色んな工夫が必要。すでにパンパンだから減らす工夫を。 ま
これがあるからいいと思う気持ちってある種謙虚なのかもしれないけど、もっと遠くにある限界を自分から近づけていないだろうか。こんだけ頑張ったから及第点とか、自分自身で評価を与える事に意味ってあるのかな。 客観的に自分の事を評価される環境に身を置いていないと、段々といいやいいやが進んでしまうんじゃないかな。見られてないからいいやとか、知らないからいいやとか、なんかそれだと段々エネルギーが減っていく感じがするな。 新しい分野に挑戦するもよし、コンペに出るもよし、周りとの交流を持つ
今日、「生存バイアス」という言葉に出会った。(バイアスに関する記事) 生き残ったから声が届くわけで、その周りには多くの挫折や失敗があるってことを無視して、行動=成功みたいな発想になってしまいがち。短絡的に考えてしましがちってのはこの間の話に近いところがあるかなと思います。 世の中のほとんどのものに接する時に忘れたくはない考え方だなと。うまくいったから君も!!というのは受け取る側も気をつける必要があるなと、盲目的に信じることも大切だが、やる気搾取に合うケースもやはり多い。若
先日紹介したAzure ML Studioに続いて、Microsoft社の提供するAzure ML Serviceについて紹介します。 名前はほとんど似ていて、構造や概念にも近い部分があるのですが、大きく異なる部分があります。 大きな違いとは、ML Serviceでは、小規模で、手早くすでにある機械学習のモデルを回し解析するのに向いています。このモデルもCPUの演算で済むようなスケールです。 それに対してML Serviceは大規模で複雑なモデルの学習も行えます。これは
いろんな解釈があるけど、会社はある種の安全装置かなという話。フリーランスで働く人、個人事業主を想像すると(父が自営業)、ビジネスの入り口から出口まで一人でやらなくてはいけない。けど、会社というグループを作って仕舞えば、本来個として稼ぐ上で必要だったビジネスのプロセスを分割して、メンバーが請け負うことで全体として回る様にしている。 個人事業であれば、明日どうなるか、1ヶ月後どうなるかを考え続けることになるのだが、会社の中で役割を果たすことで、いい意味で、そのプレッシャーを外す
自分の文章力を磨きたく、人に届く文章とはという観点から本書を選択して読んでみました。第1章の段階ですが、順次更新します。 最近読んだ中で一番漫画っぽくて、ストーリーを通じて内容が伝わってくるので非常にいい印象を受けた。一章は検索エンジンのGoogleがどんなコンセプトで開発を行なってユーザーに価値を提供しているのかを説明していた。たった一つの点、ユーザーの体験に徹底的に目を向けており、ここを追求することで結果として別の副次的な物につながる。 極論ユーザーが求めているのは体
何か期待すると、その言葉ばかりに気がいってしまう。そうすると、今度はそれが気になって自分のやるべきことに身が入らなくなる、こうなったら抜け出すのは至難の技。意図的にその流れを断ち切る以外に抜け出す方法はない。自分を客観的に見る視点は大切だけど、そればかりになってしまうと、常にどこか達観していて、俺はいい、みたいな気持ちになっちゃう。実感がなくなってしまう。そんなの面白くなるわけがない。常にないがしろにしない気持ちが必要. どんな感情でもいいから、それを捉える。で、それが原動
学びって演繹的に予めこうですよと教わっても理解は深められるけど、気をつけないとあるところで思考停止してしまう。できているってことに満足してしまうから。これが世の中でいうお勉強が得意な人が陥りがちな状態。なぜ、そこに至ったのかまで理解することが深みが出るヒントかなと。今ある勉強だって、強烈にハマった人からの副産物な訳であって、それもその人、その人たちが考えたモデルを利用しているにすぎない。その場に立ち会ってもいない人にそれを伝えるのは難しいからとりあえず動く形を教えて回していく
先ほどの話の続きで、 何か新しいものに出会ったら、プログラミングでも、デザインでも、なんでもだけど、一番いい未来がすごく簡単に思いつく。でも、そこに時間という軸があることをよく忘れてしまいます。これから待っている大量の経験を見逃しがちです。ゴールしか見えてないから、さもそこにいるかのように感じ、目の前に広がってるどれぐらい果てしないのかわからないぐらいの暗闇というか凸凹道が待ってる。それで、Dunning-Krugerの自信と経験のグラフを思い出した。 面白いのが、無知の
何かと言うと、未来を予測するときに過去からの経緯を参考にするのですが、一直線で考えてしまうということです。 凸凹の丘が広がっているのに、観測した2点だけを取ると直線しか考えられないんです。人間の脳みそって所詮その程度なのかなと。もしくは自分が取るサンプル数が少ないのかな。てか、普通こんな感じを繰り返してて、この期間が短ければ短いほどよいなと思った。