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「宝塚大好き、ここで働く以外考えられない」というただひとつの真実を守るために、Twitter(X)をやめる話

【追記】
結局Twitterを辞める方法が分からず、Twitterのアカウントは残しました。が、Twitterはかなり見る頻度が少なくなりました。今後は、noteの記事の宣伝や、その記事に対して反応をくださった方への返信を中心に使おうと思います。
‪✂︎‬------------------キリトリ線-----------------‪✂︎
昨年9月30日のことだった。
いつものように、夜中にテレビで宝塚を観ていたら、スマホに衝撃的なニュースが飛び込んできた。
観ていた演目は月組の「Dream Chaser」、大好きな演目ではあったものの
スマホに飛び込んできたニュースがあまりにも衝撃的すぎて、大盛り上がりしている場面をよそにテレビを消した。

そんな9月30日から今日まで、インターネット(特にTwitter)をはじめとする場所では、大量の情報が放出されては転がっている。
そんな大量の情報たちの中には、実に色々な情報が含まれている。
新聞社が報じる会見の様子や、歌劇団側の声明、遺族側の声明はもちろんのこと、遺族に対して誹謗中傷を行う人が発する情報、逆に加害者だとされた上級生に誹謗中傷を行う人が発する情報、歌劇団の関係者と知り合いだと”名乗る”人が発する情報など…。
あまりにも情報が転がりすぎていて、情報網は混沌を極めている。
混沌を極めた上にゴロゴロと転がっては広がる、大量かつ様々な情報に触れていると、脳が溶けていくような思いがするようになった。
訳が分からなくなっていくのだ。頭の中がどんどん混乱していく。
推測、憶測、デマ、虚偽、真実、中傷…。
そんなものたちが飛び交う場所を見ていると、自分の気持ちがいつしか分からなくなっていた。
もう少し詳しく言うと、様々な情報に触れていくたび自分が抱く歌劇団への感情が二転三転しては、嵐のように変わっていっていた。
宝塚歌劇団は地獄のような場所…、宝塚歌劇団は愛に溢れた場所…、宝塚歌劇団は時代遅れの場所…、宝塚歌劇団は世界で唯一無二の素晴らしい場所…、宝塚歌劇団は…。

歌劇団を批判する情報に触れれば、宝塚歌劇団を地獄で時代遅れな、最悪の場所だと思うようになり、逆の情報に触れたり、OGたちが公演を観劇する情報に触れたりすると、宝塚歌劇団を愛に溢れた、世界で唯一無二の素晴らしい場所だと思うようになった。
あまりにも感情が揺れるので、本当に脳も心も溶けそうになってしまう。
特に宝塚歌劇団のスタッフとして働きたいと思っている私にとって、そんな感情の揺れは、将来の見通しの揺れにも繋がった。
将来を宝塚歌劇団に懸けるなんてあまりにも危ないのではないかと思っては、歌劇団を批判する情報を沢山読んで、なんとか宝塚歌劇団を嫌いになって、他の職業を見つけるように自分を持っていこうとしたりした。
しかし、心から大好きだと思える宝塚歌劇団を嫌いになるという作業は、私にとってあまりにも酷な作業だった。
心から大好きだと思い、将来の全てを懸けようとここ数年思ってきた場所を、なんとかして強制的に嫌いにさせようと言うのだ。
これほどまでに難しい作業が、他にあっただろうか。
脳が宝塚歌劇団を嫌いになるように私に命令しても、心身というのはあまりにも正直で、私はだんだんと体調を壊し、毎日頭痛と吐き気を催すようになってしまった。さすがに日常生活に支障をきたしそうなので危ないと思い、この作業はやめることにした。
私は宝塚歌劇団を嫌いになれなかった。大好きなままだった。
毎晩毎晩観るDVDやBlurayに映し出される宝塚歌劇の舞台はあまりにも華やかで美しく、自分がずっと求めていた風景そのもの…。私の憧憬を全て詰め込んでは鮮やかに描き出された、歌劇の国の風景だった。

昨年9月30日から今日まで、いちファンであって、完全部外者である私の
ような者が、今回の件についての真実に触れたことは果たしてあっただろうか?
真実に近いものに触れたことはあっても、完全な真実には一度たりとも触れたことがないというのが、おそらく現実だろう。
それだけ今の状況下は、あまりにも多くの情報が転がり落ち過ぎて混沌を極めたものになっていると私は思うからだ。
ただ、そんな混沌を極めた今の状況下でも言える真実がひとつだけある。
宝塚歌劇団が世間からどんなに叩かれようが、どんなに批判されようが、私は宝塚歌劇団が大好きで、宝塚以外の場所で自分が働く姿すら想像出来ないという真実である。
傍から見れば、私はおかしな人間かもしれない。
わずか9歳であの歌劇の世界に惚れ込み、たゆまずひるまずひたむきに10年間必死にファンを続け、あのような出来事が起こってもなお、宝塚大好き、宝塚で働くこと以外考えられないと言っている。
盲目的で、まさに宗教のようだと批判する人も少なからずいるだろう。
それでもなお、私はこの真実を大切にしたいと思っている。
人生は一度きり、こんなにも夢中になれて大好きでいられるものがある人生なんて、いくら生まれ変わっても、もう二度と巡ってこないかもしれない。

自分の中にあるかけがえのない真実を守るためにも、私はとりあえず最大の情報網であるTwitter(X)をやめることにした。
様々な情報が次から次へと入ってくるのを見ると、どんどん自分の中の真実が崩れるような、激しく揺さぶられるような気がしてならないし、なんせ時間の無駄である。
これからは自分の中にある真実を宝物のように大切に大切にしながら、歌劇団の行く末がより良いものであることをも願いつつ、大好きな歌劇の世界に時間の許す限り没頭しようと思う。







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