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映画「窓際のトットちゃん」を観て、   結局親ガチャ?と思ってしまった話

三連休の中日の日曜日、前々から観に行くと予定していた映画「窓際のトットちゃん」を観に行った。
小林宗作先生の子どもへの愛情に溢れた学園、トモエ学園。
公立小学校で問題児として扱われたトットちゃんが、そんな学園でのびのびと成長していくという物語。
ベストセラー小説としても有名な作品のアニメ映画版である。

公立小学校で上手く周りと馴染めないトットちゃん、そんなトットちゃんに悩みながらも優しく見守る両親、そしてそんなトットちゃんを深い愛情で包み込み、「きみは本当はいい子なんだよ」と言うトモエ学園の小林先生。
トットちゃんほどではなくても、なんとなく世間から疎外された感覚を持ったことのある私には、トットちゃんにその両親、小林先生、その他の人たちが自分や自分の周りと重なった。
周りと馴染めなくて「普通」になれないと悩み、時に「普通」な人間に嫉妬しては羨望の念を抱き、心にある疎外感を抱え続けて生きている私のような人間にとって、そんな自分を肯定してくれる存在は本当に本当に大きい。
そして、そんな自分を肯定してくれる存在と自分を結びつけるきっかけを与えてくれる両親の存在は、もっともっと大きい。
幼い頃から教室に通わせて私に英才教育を施した両親、(英才教育を施されたわりに、私はまったくもって大した人間になっていないが)そしてその教室で出会った、「本当にいい子だね」と言って幼い私をひたすら肯定してくれた先生。
中学生になってからは入りたいと言った劇団に入れてくれた両親、疎外感に耐え切れなくなった私に居場所を作ってくれ、少しでも夢に近付いて欲しいとひたすらに応援し続けてくれた演出の先生。
その他にも、自分を肯定し続けてくれた大勢の大人たちが目に浮かんだ。
それもあって、劇中でひたすらトットちゃんを深い愛情で包んでは肯定し続ける小林先生や、娘を心配しながらも優しく見守り続けるトットちゃんの両親を観るたび、涙が溢れて止まらなかった。
自分にとって小林先生のような大人たちの存在が無かったら、自分はいったいどうなっていたのだろうかと考え続けていた。

ただ、映画が進むうちに気付いたことがあった。
トットちゃんはお風呂の付いた大きな美しい洋館に住み、戦争が酷くなってモンペになるまでは綺麗な洋服を身に着け、定期券を両親から買い与えられては毎日電車でトモエ学園へ通学している。たまに家族でお出かけしては、千疋屋に行きたいと言う。
それが現代であれば、それが何か?と思われることだろう。大きな美しい洋館は確かに凄いけど、お風呂の付いた家には殆どの人が住んでいるし、綺麗な洋服だって巷にはたくさん手頃な値段であるし、定期券を買って電車通学している人なんて沢山いるし、千疋屋だって食べたいと思えばたまになら食べれるじゃん、だから特別すごいってわけじゃない、と。
しかし、トットちゃんの場合はそんな生活を1940年代にしていたのである。
日本が太平洋戦争に突入していく時代に、そんな生活をしていたのだ。
そうやって考えると、トットちゃんが他の人たちと比べて、いかに経済的に恵まれた両親のもとに生まれたかに気付く。
トットちゃんだけではない。トットちゃんと共にトモエ学園に通い、小児麻痺を患っていた泰明くんの家もなかなかである。
トットちゃんの家と同じような規模の、とても大きな家に住み、お母さんのことをお母さんと呼ばず、お母さまと呼んでいる。
その他のトモエ学園の生徒として登場する子どもたちも、戦争が酷くなってモンペになるまでは、1940年代とは思えない綺麗な服に身を包んでいる。
映画を鑑賞したあと、トモエ学園について調べてみたところ、実在した学校であり、そして「私立」の小学校であった。
今よりもずっと自由や個性が尊重されなかった1940年代に、あのトモエ学園で小林先生の深い愛情に包まれながら幼少期を過ごし、自由にのびのびとリトミック教育を受けながら育ち、自分の才能や特性を遺憾なく発揮して、社会へ大きく羽ばたいては貢献していった子どもたち。
しかし、その子どもたちがそんな素晴らしい教育を受けることができたのはなぜだろうか。自分たちの才能や特性を、握りつぶされることなく遺憾なく発揮できたのは、なぜだろうか。もちろん、本人たちの努力だってある。しかし、本人の努力云々の前にもっと根本的な理由がある。
答えを出すのは難しいことではない。「親」である。
今よりも自由や個性が尊重されていない1940年代に、自由や個性を尊重するトモエ学園の教育方針に理解のある親だったこと。
そして、私立小学校であったトモエ学園の学費を払えるほど、経済力を持っている親だったこと。
少なくともこの2つの条件を親が満たしていなければ、あの子どもたちはトモエ学園に入って、自分の才能や特性をきちんと育ててくれる素晴らしい教育を受けることなんてできなかったであろう。

もしも、トモエ学園に通っていたあの子どもたちの親が、自由や個性を尊重することを重視しない親だったら。
もしも、トモエ学園に通っていたあの子どもたちの親が、子どもを私立小学校に通わせることなど到底出来ない経済力の親だったら。
小林先生のような周りと馴染めない自分を肯定してくれる大人に出会えず、親からも肯定されない状態が続いていたら…。
トモエ学園に通った人生と同じような人生を、あの子どもたちは送ることができただろうか。

周りに馴染めないような子どもたちは、トモエ学園に通う子どもたち以外にもたくさん居たはずである。
だが、そんな子どもたちはみんながみんな、自分を肯定してくれる大人や存在に出会うきっかけを与えられただろうか。もちろんそんな人だっているだろうが、最後までそのような人たちと出会うきっかけも与えられず、周りに押しつぶされては才能や特性を摘まれてしまった人は、少なくないはずだ。

もちろん、トットちゃんをはじめとして、トモエ学園の子どもたちが、小林先生の愛情に包まれながら素晴らしい教育を受けて、才能や特性を遺憾なく発揮して社会に大きく貢献していったことに、本人たちの努力があったことは分かっている。
しかしながら、そもそも自分の才能や特性を潰されることなく、きちんと伸ばす教育を受けることが出来た1番の理由は「親」であると私は思う。
理解があって経済力もある親のもとに生まれた、つまり親ガチャに成功したから、才能や特性がきちんと生かされて発揮された訳である。
劇中、のびのびと成長していくトモエ学園の可愛い子どもたちを見ながら、才能も特性も持っていたのにも関わらず、それが生かされることなく潰されていってしまった子どもたちのことについても思いを巡らせた。

私はどうだろうか。自分の才能や特性を生かしてくれるかという、かなりの親ガチャに成功しただろうか。
私は、親ガチャに成功したと思っている。顔はかなり可愛くないし、スタイルも悪くて太りやすいので、一見はかなりの親ガチャ失敗である。
しかし、私の両親は娘である私に、2歳から英才教育教室に通わせて徹底的な教育を施し(徹底した教育の末にできあがった、私という人間の結果の良し悪しは別として)、習いたいと言ったらダンスもバレエもミュージカルも習わせ、自分の興味が引かれて欲しいと言ったら大抵のものは買い与えてくれ、観たいと言ったら宝塚歌劇に連れて行ってくれるような人達である。
確かに不満はあるけれど(いびきがうるさい、食べ方が汚い、たまにかなりの理不尽など…)、酒も飲まずギャンブルもせず、暴力を振るうことも叫ぶこともなく、アメリカ留学をしていたからかTOEICの点数を伸ばすことが趣味の父親、勉強する私に偉いと言い続けては、妙に干渉することもなく自由気ままな猫のように放置しつつも見守る母親。
自分の才能や特性が何なのか、それは未だによく分からない。
普通の文章を書く才能なのか、それとも舞台脚本を書く才能なのか、それともそれ以外の才能なのか。
いずれにせよ、私は自分の才能や特性を、思う存分発揮できる両親の元に生まれている。親ガチャ成功である。
親ガチャ成功者になった以上、私には責任がある。
自分の才能や特性を必ず生かし切るという責任と、生かした先のものを自分のためだけに使わないという責任である。



















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