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私の命の恩人、ブハラの人々【ウズベキスタン旅③】

2017年の夏に20代女子2人でウズベキスタンを旅した時に出会ったウズベク人とのエピソードを紹介するnote。今回はブハラでの出来事。
前回は、サマルカンドで偶然出会った家族と観光をした話↓

ウズベキスタン5日目。サマルカンドからブハラへ。ブハラもサマルカンド同様、シルクロードの主要な都市で、2000年以上の歴史がある都市だ。旧市街地は歴史地区として保存されていて、当時の面影が残っている。

カラーン・ミナレットとカラーン・モスク
アブドゥルアジスハーン・メドレセ。この建物の装飾が一番好きかも。内部には赤や茶色など暖色系の色が使われていて、他とは一線を画している。
ミル・アラブ・メドレセ

ブハラの人々は私の命の恩人だ。
命の危機とは今となっては大げさだけど、私はブハラ観光中に中等症の熱中症にかかってしまったのだ。熱中症は重症になると命を失ってしまうくらい危険だ。学生時代に野外活動が多いサークル活動をしていたから、熱中症の危険性と対策をとことん仕込まれ、水をこまめに飲むこと、帽子をかぶる事などは徹底していた。そんな対策をとっていたにも関わらず、ウズベキスタンの油っぽい食事で胃炎になっていたこともあり、気づけば、観光を終えてホテルへ戻る途中で歩けなくなってその場にうずくまり、吐いてしまっていた。

気を失ったら終わりだ、死んでしまう、と本能が言っていた。なんとか意識があることに安心したが、立つのもやっとで歩くことができない。体が熱くて、お腹も痛くなってきた。
その時、友人が私に駆け寄って介抱するとほぼ同時に、道の向かいにいたウズベク人の物売りのおばちゃんが私がうずくまっているのを見て慌てて駆け寄ってきた。ウズベク語でわあわあと、とにかく私のことを心配してくれている。友人が、私をとにかく休めるところに移動させようとしてくれているのを、おばちゃんは周りのウズベク人に掛け合って助けてくれた。

友人の肩を借りながら、おばちゃんや、おばちゃんが呼んでくれたおじさんたちが、私たちをすぐ近くにあるホテルまで案内してくれた。ホテルのフロントのお兄さんはすぐにトイレまで案内してくれて、水ももらった。そのままホテルの椅子に横たわって休ませてもらうことができた。

20~30分ほど休ませてもらって、だんだん体が楽になって冷静になると、ああ、私は熱中症にかかったんだと気づいた。体が熱くてたまらないのに、寒気がするのだ。体の体温調節機能が壊れてしまっていることからくる症状らしい。さっきより歩けるが、しんどくて到底あと10分ほど歩いてホテルまで帰ることは難しい。友人がホテルのフロントに掛け合って、タクシーを呼べないか聞いてくれていた。

フロントのお兄さんが、車が来たと呼んでくれて、私はありったけのお礼を言ってホテルの外に出た。

ホテルの外に来てる車は、パトカーだった。

フロントのお兄さんによると、このエリアは歴史保存地区で、一般車両が入れないため、警察に助けを求めたとのことだ。このパトカーで、警察官が私たちをホテルまで送り届けてくれるとのこと。

なんと、またしても警察にお世話になるとは・・・と、この状況がおかしくて友人とホテルに戻って笑ってしまった。

またしても、と言うのはサマルカンドでも警察官とのエピソードがあったのだ↓

今回の警察官は無表情できっちり自分の任務を果たし、もちろん料金は求められなかった。

ホテルに戻り、ホテルの人から飲み水が入ったポット、塩と砂糖をももらい、自分で経口補水液を作ってひたすら飲み、寝て休んでなんとか体温を下げて、夜には体を動かせるようになった。

ようやく頭が冴えて、一連の出来事を振り返ると、私が倒れてから近くのホテルに運んでもらうまで、なんとスムーズだったんだろうと感動した。

まず、道の向かいにいたおばちゃんが直ぐに駆け寄ってくれたこと。外国人が倒れて吐いているところを、何も躊躇せずに熱心に助けてくれたこと。そこから、ホテルまで案内してくれたおじさん、泊まってもないのに休ませてくれて、警察に体調が悪くなった観光客の送迎を頼んだホテルのスタッフさん、パトカーに乗せてホテルまで送ってくれた警察官。

ウズベキスタンの食事と、天気が熱中症にさせたのは事実だけれども、ウズベキスタンじゃなかったら私はすぐに回復できていただろうか。
私は彼らのことを、命の恩人と言って、全く大袈裟じゃないと思っている。

次の街のお話

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