見出し画像

ウェルビーイング時代の陰翳礼讃デザイン|『陰翳礼讃』

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』1933

短い間だがAirbnbでホストしていた時期がある。いまは例の恥ずべき自滅的な法規制によって撤退を余儀なくされ止めている。これについての怒りは別の機会に書くとして、その記念すべき1人目のゲストがWisconsinからきた写真家であり、バーテンダーであり、クリエイターのあるコミュニティのWisconsinのホストという方だった。

仮にPaulとしよう。Paulはアメリカ人のイメージに対してはひどく落ち着いていて、物静かな大人らしい大人だった。生姜焼きをつくるため少し前にコンビニで買っていた日本酒をJapanese sakeとか言ってあげてみた。すると、Paulはなんと日本酒の本を取り出して調べ始めた。そういう大人なのだ。

はじめは会話もぎこちなかったが、翌日には少しは親しく話せるようになっていた。日本酒のお返しに、朝からウイスキーをストレートで飲まされるくらいだ。そんなPaulが「いま、これ読んでるんだけどさ、、」って感じで見せてくれたのが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だったのだ。英語タイトルをみてもピンとこず、ググったら漢字が難しくて読めない。谷崎潤一郎もほとんど知らないし、『陰翳礼讃』のWikiには日本の陰に対する美意識と文化について書かれたものみたいな説明がある。それでPaulは写真家だから読んでるのかと合点はいったが、もてなしている家も西洋的で陰影はほとんどない。

そんな恥ずかしい体験から数ヶ月が経って、ふとそれを買った。いま主に出回っているのは中公文庫のものだと思うが、それには「陰翳礼讃」の他にも「懶惰の説」とか「恋愛及び色情」とか「客嫌い」とか他のエッセイも収められている。これらも毒があって面白いのだけど、今回は「陰翳礼讃」に限ることにする。

陰翳礼讃

陰翳という漢字は難しいがいまなら陰影と書く。暗がりや影のことだ。谷崎はこのエッセイで日本の衣食住や芸術を、陰翳から読み解いていく。夏目漱石が毎朝の楽しみにしていたと言う厠(トイレ)での生理的快感を得るためには陰翳が必要であるという話に始まり、電燈、椀、蒔絵、歌舞伎、能、文楽、女性へと及んでいく。

われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。

画像1

例えば、蒔絵。わたしたちがそれをみるときは、明るく照らされた空間でみるのがふつうだ。蒔絵はぴかぴかと光を反射し輝いていて、それを見ては「ああ、すばらしい」などと感嘆してみたりする。

しかし、谷崎はそれは蒔絵ではないと言う。蒔絵の金は、暗がりの中で使われてることを想定してつくられたものであり、陰翳の中で角度によって一部が光り浮かび上がったり、燈火を優しく反射したりしたときに日本人の琴線に触れるようデザインされているというのだ。いま実際に試したわけではないが、似たような体験はしたことがある気がするし言っていることもわかる気がする。

このように日本の数多くの文化そして女性までもが、陰翳を前提として発達してきた。この主張を谷崎は実体験などから面白可笑しく語ってくれる。なぜ谷崎がこんなことを書いたか。それは、世の中が西洋の真似事に考えなしに躍起になっており、日本が育んできたユニークな美や風流が失われてしまうと危惧したからだ。しかし、2018年を見渡せば陰翳礼讃をコンセプトにした賃貸なんて見つからないし、どこの住宅も真っ白い壁に明るいライトで空間から闇を追い出そうとする。住宅に限らずとも陰翳礼讃をみつける方が困難だろう。

建築と陰翳

とはいえ、建築の世界では陰翳礼讃を意識したプロジェクトが出始めているようだ。NHK DESIGN TALKS+の「癒やしの空間」でゲストだった照明デザイナーの東海林弘靖さんは、明らかに陰翳礼讃の価値を理解したうえで、自然のようにゆらぎ、変化する照明を創造していた。東海林さんは「バブルの頃はとにかく明るくすることだけが求められた」と笑っていた。QOLの時代が進展してきたいまこそ、再び陰翳礼讃の価値を見出すチャンスがありそうだ。

Webと陰翳

Webの世界では多くのメジャーなプラットフォームが白をメインカラーとしている。Webでメインカラーを黒にすると若いイメージになりがちだが、そうではない陰翳礼讃なWebというのを探ってみる価値は大いにありそうだ。それからここ最近、well-beingへの世界的潮流によってダークモードが当たり前の存在になっていくことは間違いなさそうだ。つまり、日が沈めばWebだって暗くなる。これは谷崎潤一郎が正しければ、かつて陰翳礼讃の独創的な美を生み出した日本にはチャンスと考えるのが良いのではないか。もしその美的感覚が保存されているならば(そうだと信じている)。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

これ頂けたときはいつもiMacの前に座ったまま心の中でパーリーピーポーの方々みたいに踊って喜んでます。基本的に書籍の購入費に充てさせて頂きます。