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たまには、自己中心的に生きてみる

 高校生の時、初めて『お付き合い』というものをしました。私は女子バレーボール部に所属していて、彼は男子バレーボール部で、隣のコートで毎日顔を合わせていました。

 はじめは男子バレー部の他の同級生が格好いいなあと思っていたのですが、彼が私に好意があるという噂を耳にして、分かりやすく意識し始めたのを覚えています。

 バレーボールをしているくらいですから、彼は背が高くシュッとしていて、誰もが羨むモデル体型でした。対する私は小学生の時からバレーボールをやっていたにも関わらず背はさほど伸びずに、日に日に増す食い気で体重増加の一途を辿っていました。

「まんざらでもないんでしょ。付き合うのは時間の問題」
 彼の横に並んで歩くのはちょつとキツイと交際に後ろ向きな私に友人がそう言った次の日、彼とお付き合いをすることになりました。

 恥ずかしくも嬉しく、きっと甘酸っぱい感情を抱いたはずです。紛れもなく私の数少ない青春の1ページ特大版であったはずですが、その瞬間を今思い出そうにもできません。時間の経過は、過去を薄めていくものだとは言っても、全くの痕跡がないのです。

 ただ、一番嬉しかったことは、『お付き合い』をするという事実であったことは、もみ消そうにも鮮明な記憶として頭に残っています。『お付き合い』というものに憧れがあり、彼氏彼女はこうあれという想像が私の頭の中にはたくさんありました。やっとそれを実践できると意気込んでもいました。手を繋いでみたり、映画を見に行ったり。とても浮かれていたように思います。チラつく不誠実に気付きもしませんでした。

 飽き性でもある私は、一年ほどすると目新しいことへの熱が徐々に冷めていき、受験に向けての勉強が始まるのをいいことに、本格的に距離を置くようになりました。そして、日を追うごとに彼の言動や態度、何もかもが気に食わなくなっていきました。私を見下ろす高身長、細いくせに掴まれたら振りほどけない腕の力。常にイライラしていました。それは伝染するように父親へも向けられました。気持ち悪いと無視をしていた時期もあった程です。

 志望校合格が決まり、一人暮らしが決まって、離れ離れになるからと交際を終わらせました。卒業式、振り切るように彼とその感情を置いていきました。

 何故、こんなにも腹が立つのだろうか?

 理由を深く考えもせずに有耶無耶にして、新たな生活に目を向けました。数年間はしっかり蓋をして、普通に生活ができていたように思います。

 しかし、社会人になり精神的負荷が増えると、モヤモヤとした不快感が取り囲み、ずっと遠回しにしてきた感情が舞い戻ってきて、ダムが決壊するように幾度となく私の頬を濡らしました。訳がわからない。悲しい辛い。助けてほしい。そんなことばかりが頭を巡っていました。

 ただ、私はやはり飽き性で、悲観するのにも飽き始め、次第に感情を抑え込むのではなく、切り捨てて元からないものとして、空っぽに近づくことで自己防衛に徹することを覚えました。少し楽になりしたが、それ以上前に進むこともありませんでした。だらだら過ごしていくと怠惰が身について、休日は半分以上を睡眠にあてるようになりました。

 きっかけは本当にひょんな事からでした。日課のネットサーフィンでたまたま目についたエッセイ漫画です。題名がバイオレンスで衝撃的で、でもどうしてか読みたくなりました。

 その漫画には著者の性癖と性について掘り下げられ、また恋愛への考え方が記されていました。少し共感できる部分がありました。しかし、まるで分からない部分もありました。 

 けれど、その少しの共感は、ずっと誰とも共有できない部分にあった隠したかった感情でした。

『セクシャルマイノリティ』
『LGBTQ』
有り難い時代です。出不精の人見知り引きこもりにも、すぐに調べられる環境が整っています。そして、数日を要して答えらしきものにたどり着きました。二十数年してやっと私は、私の性に理解を示したのでした。

 Xジェンダーという言葉の第一印象は、『なんか格好いいな』でした。X-MENみたいで強そうで、ヒュー・ジャックマンがカッコいいからです。ミュータントと言われても納得できますし。

 まあ、一口にXジェンダーと言ってもいろいろあるようで、私は流動的なタイプであると言えそうです。元々気分屋であるのも関係しているのかもしれません。普段男性よりな分、女性による日は涙もろく弱気になる傾向があります。

『どちらでもあり、どちらでもない』

 これが私の性を説明するお気に入りの文であります。あやふやな性に、Xジェンダーという名前がつくと、反発していた感情が少しずつ落ち着きを取り戻してきました。Xジェンダーだからどうこうと言いたいわけではありませんし、これから変わるかもわかりません。その名前を見つけたことで、私はやっと生まれたのだと思いました。ある種の解放を感じたのです。

 そうなってくると、過去に感じた理解不能な感情の理由を知りたくなるものです。

 あの時に感じたあれは?この時は?何でああ言ったのか?私は人生で集めた感情を理解したいと思いました。

 そうして、彼を思い出したのです。

 彼は私に優しく、紳士的でした。羨ましがられる彼氏でした。そんな彼に嫉妬のようなものを感じていたのだと思います。私は女として産まれました。彼は男として産まれました。
「お前、男に産まれていいなあ。セコいなあ」
言いがかりをつけたのです。難癖をつけたのです。(男に産まれたかったとは思うけれど、今から男になりたいとは思いません。私の中には女性に近い部分もあって結局中途半端になるからです)

 今思い返せば、当たり屋のようなことをやっていました。やっかみも甚だしいです。

 思い出すと『あーーー』と叫びだしたくなる感情が沢山ありました。けれど、床にのたうち悶ながらも向き合っていきたいと思います。

 感情の理由は確かにあって、それを探すことが自分探しの旅の一歩ではないでしょうか。

 性格と同じように性別も十人十色。個性であるのだと今なら思えます。名前のない性を苦しく思うこともありました。しかし今は、私という性は私だけの感覚だから、私がまず歩み寄らなければならないのだと理解しています。

『一冊の本が人生を変える』

 そんな大仰に言わないでくれと思っていましたが、なんてことはない、出会ってしまえばこんなものです。

 運命も偶然もどこかに転がっていると思えたなら、内ばかりに籠もらず、たまには他に目を向けるのも悪くないでしょう。

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