パワハラが発生する会社に圧倒的に欠けているものとは
パワハラが日常化していた会社を辞めて2ヶ月経つと、当時を思い返して「あれは変だったなぁ」「ヤバかったなぁ」と思う事が色々ある。
✳︎パワハラがある環境で起こりがちなこと✳︎
具体的なエピソードを挙げるとキリがない。ただ、大雑把に言えば私の場合、こんな事が起こっていた。
①指示系統の混乱やマネージメントの方法など、組織的な問題を部下個人の人格に起因する問題としてすり替えること。
②指導は基本的にネガティブな事象が発生した時に今後の再発を防ぐ為に行われるもののはず。しかし実際はきっかけが無くても行われたり、個人の人格の批判否定に終始し、改善に向けての話など、内容のベクトルが建設的な方向に向かわないこと。
③指導の根拠が毎回やたら大雑把で、『今回のこれこれこういう場合』という話にならず『とにかくいつも全てあなた1人に原因がある。』『あなたという存在に原因がある』など、具体性を欠く形に終始すること。
④「指導」や「面談」という名目で頻繁に密室に呼び出されて①〜③を繰り返されるうちに、次第に部下が自己肯定感を失い、視野が狭くなった結果、上司の言うことを全て認め、叱責と謝罪がひたすら繰り返されるという上司のストレス発散を目的とする謎の儀式の場と化すこと。
✳︎パワハラが起こる環境のヤバさの原因とは✳︎
では、こういうことが日常化する環境がなぜヤバくて危険なのか。それは「境界線」という感覚が極めて薄い、もしくは無いからだと思う。
本来なら、例えば一つの問題に関しても、「組織の構造的な問題」「上司のコンプレックスの問題」「上司の物事の捉え方の癖」「上司の指導の方法」「コンプライアンス意識の欠如」「部下の考え方」「部下の仕事の進め方」「上司と部下の関係性や連携方法」「その時の状況や環境」など、大抵は複数の要因が重なっていて、多面的な視点から分析出来る場合が多い。
しかしハラスメントの現場では、多くの場合、「これは組織の構造的な問題」「これは上司の問題」「これは部下の問題」など、本来細かく分析して切り分けるべきはずのものをごちゃ混ぜにされて論じられている事が多いように感じた。
また、コミニュケーションが成立する為には、関わる双方が業務を遂行させるという共通の目的達成の為、相手と健全な会話を成立させようという意思があることが前提となる。
しかし実際はその前提条件が崩れていることも多々ある。例えば私がいた会社では、上司がプレイングマネージャーの場合、上司にとって部下は部下であると同時にライバルでもあるため、上司が自分の部下のデマを流したり、情報を隠すなどして足を引っ張る事も珍しくなかった。
したがって、例えばもし上司が、部下を嫌うあまりコミニュケーションを取る気がない場合、部下がどんなに表現方法や対応を工夫したところで実際に話す内容に関係なく悪意をもって解釈される事も当然あるわけで、部下1人がどれだけ強く叱責され、詰められたところで、自分一人で対応出来る範囲はどうしても限定的となる。
結局、対応出来ないものを対応しろと言われ、叱責と人格否定が毎日繰り返されてひたすら謝罪していれば、誰だって追い詰められ、精神的に崩壊するのは目に見えている。
だからこそ「境界線」という概念を失った環境下で働くことは、メンタルを危険にさらす可能性が非常に高いと私は思うのだ。
✳︎「知らんがな!」と思えるよう、自他の境界線を保持しよう✳︎
人間関係なので、もちろん色んな事情がある場合もあるだろう。でもハラスメントは一般的に本来なら切り分けるべき境界線を越えて、一方的に問題を押し付けるという構造で発生する事が多い。
だからこそ被害者にならないために、また、ハラスメントを発生させないために、「境界線」という感覚を保持することが大切なのだと私は思う。
そしてもし、自分がハラスメントの被害者になりそうになった時、上司が立場にかこつけて正当性を力づくで押し付けてくることもあるかもしれない。だけど出来るだけ正気を保ち、冷静に問題を分析して切り分けて、自分でコントロールできる範囲以外の責任を負わされそうになった時に「知らんがな」と思える視点を常に保持し続ける事。そしてそれが許されない環境からは逃げる事が、ハラスメントから身を守る上で大事なのではないかと私は自分の経験を通して考えている。
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