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足るを知る ー 執行役員になっている人と、重度の精神疾患になっている人との捉え方の違いについて ー

仕事をしていて、最近よく「足るを知る」という言葉を痛感する。

✳︎今、自分が手にしている物のありがたみ✳︎

私が普段、職場である就労支援施設の利用者さんと接していてよく思うのは、『今ご自身が手にしている豊かさに気づいていない人がめちゃくちゃ多い』ということだ。

例えば自身の持つ「優しさ」だったり、「淡々と物事を続ける力」だったり、「文章をまとめる力」だったり、「力持ち」だったり、「お金持ち」だったり、「人当たりの良さ」や「髪がツヤツヤ」「家が駅から近い」「家の近くに公園がある」「行きつけの店がある」「挨拶が出来る」とかもそう。

もちろん発達障害の「普段と何かが変わることに対しての抵抗感が強い」などの特性の影響で文句が多い、というのはある程度は仕方ないと思う。

でも一方で、例えば発達障害を持っていて、周りの人と同じテンポで物事を進められなくて、結果苛立った周囲の人から酷い扱いを受けたのがトラウマになっているケースや、精神疾患のきっかけとなった出来事や環境などの影響で自己肯定感が低く、それらの結果、他人の得意な面と自分の不得意な面を比べては常に『私には無い』と言って凹んだりひがんだりするという『負け戦に挑む事が好き過ぎるクセ』がある人もめちゃくちゃ多いなぁとも感じる。

自分の事、それも自分の出来ないことや調子の悪い面だけが見えていて、自分の長所や恵まれている環境、家族などの周りの人の配慮、身近な花々や空の美しさや風の心地よさ等が全く視界に入っていない人の多いこと!多いこと!もっとも、それこそまさに病気の症状だとも言えるのだけど。

✳︎自分が持っている物を指摘されて喜べるか、まだなお、無い物にこだわるか✳︎

私は会社員時代、役員会や総会担当で、社内外の会議や接待の場に事務方として同席する事も多かったので、偉い人の横に座ってお酌をしながら気分良くお喋りしてもらう為の相槌や、その日の会議をスムーズに回すために相手を普段から観察しておいて相手の得意な事や長所、「今日のネクタイ、なんだかいつもに増して素敵ですね!」的な話題の振り方を会議前の打ち合わせの際のアイスブレイクとしてよくしていた。

なので今と昔とやっている事自体、「相手がもともと持っている能力を発揮しやすいよう場を整える」という意味では実はあまり大差無い。だけど相手の反応があまりにも逆なので、いつも興味深いなぁと感じる。

会社の執行役員と一般就労が困難な精神疾患・発達障害の人とを比べると立場的にはほぼ真逆なので、だからこそ余計に目につくのかもしれない。だけど自分が心身の調子を崩した経験を踏まえても、やはり精神的に調子を崩すか否かのカギは「視野を広く保っていられるか」だと私は確信している。

もちろん何かに集中する事は大事。だけど、マクロの視点とミクロの視点を自由に行き来できる程度の客観性を持てる位の余裕を残した状態を維持する事も、心身の健康の為にめちゃくちゃ大事なことだと私は思う。

無い物に集中して、嘆き続けていても先には進めない。もちろん、挫折を乗り越える為には嘆く期間も人生には必要だろう。だけど、『嘆きのフェーズ』から『自分の持っている資源をどう活かすかを考えるフェーズ』に入っていけるかの差は、その人のその後の人生の満足度や挫折をバネに変えれるか否かに大きく影響していくような気がしている。

✳︎ある少年のペルソナ✳︎

少し前から私はある少年の担当になり、何度か家の様子や生活の状態などを聞いている。まずは初回。少年は「明日、お母さんとハンバーグをつくる」「彼女にオムライスを作って持っていったら喜んでくれた」となどと笑顔で話してくれた。

その後何度か話を重ねたり、彼の自宅を訪問するなどしているうち、次第に彼にとっての現実が、オムライスやハンバーグ、自分や母が料理をする事とは遥かに遠い物だと知るようになった。

この少年にとって、オムライスやハンバーグは、単なる食事のメニューやわざわざすぐバレる嘘や見栄などではなく、手が届かない温かい家庭の象徴であり、少年にとっての夢であり、憧れなのだ。

✳︎当たり前に持っている物のありがたさに気づく✳︎

私の仕事では、他にも障害や精神疾患などで生活保護を余儀なくされ、頻繁にヘルパーさんと些細な事で喧嘩しては切ってしまって、結局ヘルパーさんの引き受け手が居なくなったり、セルフネグレクトでゴミ屋敷になってしまったり、ベタベタの床に散乱した様々な物やペットに溢れた、まさにカオスとしか言いようが無い家で無気力に暮らす人のお宅を訪問して相談を受けたり、ヘルパーなどの社会資源とむすびつけたり、そういった支援を受けながらリハビリし、再び社会との接点を持てるようになるためのお手伝いなどもしている。

そんな感じで昼間外回りをして家に帰ると、私には親がいてご飯があって、何より清潔な家と健康な体がある。

これって、なんとありがたいことだろうと最近改めてつくづく思う。

そして今はコロナやそれぞれの生活で忙しくてなかなか会えなくて、SNS経由な事も多いけど、「元気?」「大丈夫?」と声を掛け合ったり、しょうもない事で笑い合える友達がいる。

それらもどんなにありがたい事なのか。最近改めて痛感する。

当たり前にあって気づかない様々なもの。その有り難さに気づかずにいられていることの、幸せやありがたみ。

『足るを知る』

最近心から感じている。

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