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いまを生きる女と過去にこだわる男。

というのは…

我が家の兄妹のことです…笑


我が家には、小4の息子と小2の娘がおります。

その、2人の『こだわりポイント』が違い過ぎて、面白いのです。


子どもの喧嘩から学ぶこと


先日、久々に中華のお惣菜を買って帰った時のこと。

シュウマイを希望した娘には、6個入りのシュウマイを。
ギョーザを希望した息子には、8個入りのギョーザを、持ち帰ったのですが…


ギョーザ希望の息子、ゆっくりシュウマイを堪能する娘がうらやましくなってしまった様子。


娘に、取引を持ち掛けたのです。


『ギョーザ、半分あげるから、シュウマイも半分頂戴』、と。


ま、それは良い。仲良くわけるなら。
が…
問題はここからで。


実はこの時、娘は既に2つのシュウマイを食べており、残るシュウマイは4つだったわけで。

『いいよ、2個取って』

ご機嫌でシュウマイを差し出した娘に対し、息子がイチャモンを付け始めました。


『これ、元々6個入りでしょ。半分って言ったら3個でしょ、3個ちょうだいよ』


それに対し、ポカンとする娘。

『え。半分でしょ?2個だよ。2個あげる』


・・・この攻防は30分程続き…ついに折れない娘にキレた息子は、『もういらない!』と泣く泣くシュウマイを諦める羽目に。


薄眼で見守る母、失笑…


と、こんなことがあったのですが。


これ、2人の主張を整理してみると。


【息子の主張】
・元々シュウマイは6個あった。
・半分といえばその半分、3個だ。
(元々あった時代が、ベース)

【娘の主張】
・今現在、存在するシュウマイは4個だ。
・半分といえばその半分、2個だ。
(今現在が、ベース)

基準の違いがベースにあるのです。


基準の違いに気付くことの大切さ


そもそもの基準が違うわけだから、いくら話したところで平行線なのです 笑


これ、子どもの喧嘩ですから、笑い話ですが…

大人だって、往々にして同じようなことで争っています。

日常生活で、同じようなことに出くわすことってありませんか?

大きな声では言えないですが、それが発展して裁判にまでなっていることだって、ねぇ…


やはり、生きていく中で、『基準が違うな』と思うことはよくあります。

その場合、いくら話しても、通じません。


どちらかが折れるか、忘れる、なかったことにする、というくらいしか、解決方法って無いのでは、と思うのです。

ただ…


その、『基準が違う』所に気付くことが大切で。


そんなの、当たり前でしょ!?と思うかもしれません。
でも…


そこに気付けない人が多いから、世の中争いが絶えないわけです。
今回のコロナワクチン騒動だって同じです。

ワクチンを打つのが基準となっている人。
打たないことを基準としている人。


基準は人それぞれです。自由なのです。

その自由を、『許せない』心の余裕のなさが、ただ何となく自分と同じ意見、似た意見の人を見つけることで目先の『認められた気分』を感じて満足する、ひいては他の意見を攻撃する…


そんな阿呆のようなループにはまってしまわないためにも…



自分の基準をしっかりと持つ、ということはとても大切です。

そして、自分と異なる基準を『それもヨシ』とできる心の余裕も大切です。


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