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短文

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2020年6月の記事一覧

製鉄所の桜

製鉄所の桜 今はなくなってしまったが、製鉄所の桜はソメイヨシノだけではなく、白い、山桜も咲いていた。三度その開花をみた。平日は殆ど毎日、二年間は製鉄所へ通った。いろいろな手だてで仕事を進めた。ミスをすると恐ろしいことになった。土日も気が休まらなかった。製鉄所は炉を止められない。一度高炉に火を入れたら、廃炉まで火を絶やせないのだ。 夜になると電気代の安いオレンジ色の灯が灯る。その一帯がぼおっと橙に光り立つ。その中ではいろいろな建屋やパイプや鉄橋やベルトコンベヤや鉄道がしつら

ウランガラス

ウランガラス 東北の方には光る石というのがあるらしい。何人かのそちらの出身の人から聞いた。ウランらしい。ウランはそれ単体ではとくに身体に影響はないらしいが詳しくは知らない。しかし、その光る石で遊んだという人はすこぶる元気な初老の人だった。 で、ウランはガラスに混ぜられる。すると、ブラックライトでぼおっと光る。それがウランガラスだ。 マスカットゼリーのように黄緑に透き通ったウランガラスが手元にある。古物のオークションで手に入れた。ウランガラスの時計なのだが、残念ながら時計

妻が出ている

妻が出ている 静かだ。テーブルの上には子供に作った弁当の彩りがのこっている。食べてみるとほうれん草の炒め物だった。味が濃い。息子は熱っぽい体をおして学校へ、娘は癖の付いた前髪をとても気にしながら学校へ。窓は結露に覆われ樹や電柱が水滴の向こうにかすんで見える。寒く、曇っている。出窓に、さつまいもが四五本蔓を出したまま枯れて乾いている。花が枯れた後の植木鉢の上に置いてあったものだ。ディスプレイは黒い。時間が経つと、勝手に消える。前のディスプレイはマウスを動かすと再度灯ったが、今

吹き抜け

吹き抜け 何件もの家を見てきたが、大きめの物件には吹き抜けのある建物がいくつかあった。玄関が吹き抜けとなって上階の高いところに明かり取りの窓がある。ちなみに開かない窓をはめ殺し窓という。明るく、開放感があり、より空間が広く見える。その分、地震には弱い。梁や柱がないのでその部分の強度が弱まる。 そのような家に住んだことがないのでわからないが、空間が広い分冬は寒いだろうなと思う。夏はどうなのか。窓を開け放して風が通るところであれば涼しいかもしれない。しかし、風が通るところとい

空芯とスイッチ

空芯 第二次世界大戦中に学徒出陣ということで大学生が徴用され戦地に送られたことは出陣式の映像で校旗とともに行進する当時のエリートたちの姿として記憶されているのだが、その後の明暗がこんなにきっぱりと別れたということを中井英夫の著作で知った。 中井英夫は耽美派というのか華麗な幻想世界を独自の美意識に基づいて描く作風で、バブル期の文学青年だった私は麻疹のように熱を上げた作家であったものの、四十を過ぎる頃から虚構の小説世界に急速に興味を失ってしまったのでもしかして二度と再読しないか

かりあげクン難解ネタ

かりあげクン難解ネタ 植田まさし作「かりあげクン」。以前マンガ雑誌を何誌も買っていた時期があり、漫画アクションに掲載されていた四コマの漫画。 そういえば一時期四コマの漫画雑誌がとんでもなく何誌もコンビニに並んでいた時期があった。その中のマニアックな雑誌も実家に行けばあるがその話は別にするとして、その、かりあげクン自体はなんて言うことはない四コマ漫画(だからといってとてもではないが私には描けない)なのだが、時折、せりふもなく難解なものが出てくることがあった。 先日、新聞で同じ

学校の怖かった話

学校の怖かった話 小学校一年の一学期で校舎が移転した。入学式は当然、旧校舎で行われたが、木造で、全体的に薄暗く、体育館に目が丸い、椅子に腰掛けた女の絵が飾ってあってそれが薄暗い壁に不気味に溶け込んでいるのだった。 桜の木の下に回転遊具があって、遊んでいると毛虫がポトポト落ちてきた。それを踏むと絵の具のような原色の中身が出てきた。黄色、黄緑色。階段の手すりは小学生にとっては滑るものだ。滑ったあげくに局部を打って、それを見ていた先生にげんこつを食らうというのがお決まりのパター

木いちごの家

木いちごの家 幼少時の家には物干し台があった。その物干し台から隣の家の繁みが見える、というより手が届いた。その中に木いちごがなっていた。黄色い粒々。米粒半分ほどの。それがすこしずつかたまってなっている。最初は少しの粒ずつとって口にする。ぷちっと皮が破れ中から酸っぱく甘いそして少し土臭い汁が飛び出す。殆ど汁。はじめはすこしずつ口に入れるのだが、取る固まりがだんだん大きくなっていく。白い花も咲いている。黄色い蝶が行き戻りしている。甘い木いちごだった。ほんのひとときだけ食べられる

美術館

美術館 美術館はどうなっているのだろう。 竹橋の国立近代美術館ぐらいしか行ったことがない。しかも、数回行っただけだがいつも雨が降っていたり、夜だったりした。小倉遊亀の「浴女(その1)」という日本画が確か所蔵されていた。エメラルドグリーンの湯が浴槽のタイルを歪ませて妙に印象に残った。ほかには萬鉄五郎という人の赤黒い絵(なんと乱暴なものいいだろうか)や戦争画などをみた記憶がある。 私の見た戦争画は南方戦線のもので、素晴らしく晴れた空と青く透き通った海のさなかで戦闘が行われて

あなたの思い出

あなたの思い出が聞きたい。 生きてきて、いろいろな思い出をあなたは持っている。 そのままの思い出が聞きたい。 あなたなりに、あなたの言葉で、微にいり細にいり、できるだけ詳しく聞かせて。 話の順序が前後しても構わない、話が上手くなくてもいい、求めるのは、本物の思い出を語っていただくことだけ。 記憶違いは仕方がないが嘘だけはいけない。 いろいろな思い出、美しい思い出、嫌な思い出、忘れたい思い出、楽しかった思い出、つらかった思い出、懐かしい思い出、死ぬかと思った出来事、あのときが人

香港

香港 私が香港に行ったのは中国への返還前のことだった。まだ九龍城もあった。やたらビルから横に看板が木の枝のように延びていたのを覚えている。その当時、香港では道行く人がみんな手に大きなトランシーバーの様な携帯電話を持って歩いているのが目に付いた。まだ、日本では誰もが携帯を持っている時代ではなかった。それから、煙草を町中で吸っている人が全くいなかった。屋外での喫煙が今の日本のように厳しかったのだろうか。当時私は煙草を吸っていたが、ここで吸っていいのだろうかという場所でおっかなび

富士五湖線

富士五湖線 月曜日早朝、長いトンネルをぬけて富士五湖へと高速が分岐する。上りも下りも、時に全く車が走っていない。私の車一台だけ。家を出てきたときにはまだ夜の終わりだったのだが、このあたりを走るときはもう朝がはじまっている。車線に沿ってずっと続いている稜線とまばらな集落。刺激がなく、睡魔がぴったりと目の回りに貼りつく。膜のように隙あらば目をふさごうとする。サービスエリアもパーキングもしばらくない。曲がりくねった下りの坂道より、単調な直線の方がよほど難所だとそのとき知った。一度

山林、傾斜地

近くに山林で50万円程度の土地が売りに出た。問い合わせると「建築不可、傾斜地、しかし固定資産税や私道負担は無し」とのことだった。 番地を頼りに観に行ってみた。 国道をしばらく行き、県道に入る。なんのことはない田舎道だ。 ナビの通りに路地へ入り、徐行しつつ目的地を探す。畑と住宅が入れ繰る町内を何度か巡回し、行き止まりに詰まりつつも、竹林の下り道を降りていく。 すると写真でみた、街路鏡と白い樹が田圃をはさんだ細い道の向こうに見えた。 明るい霧雨の日で全体的にぼやっと空気が湿ってい

置いて行かれる

置いて行かれる すっかり置いて行かれてしまった。もう追いつく距離でもない。なんとなく置いて行かれる気はしていたのだが、どうにかなると甘く考えていた。さて、どうしようか。連絡を取る気にもならない、というよりその考えは頭から抜け落ちていた。先に行ったひとたちと後から合流したとしても、そもそも私はそのグループに不可欠な存在だったか。いつもできるだけ下座にいて、発言を求められないようにうつむきながら、次々に自分も考えていた思いつきを先回りして言われ、どんどん非現実的な方向へ考えが向