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空芯とスイッチ

空芯

第二次世界大戦中に学徒出陣ということで大学生が徴用され戦地に送られたことは出陣式の映像で校旗とともに行進する当時のエリートたちの姿として記憶されているのだが、その後の明暗がこんなにきっぱりと別れたということを中井英夫の著作で知った。
中井英夫は耽美派というのか華麗な幻想世界を独自の美意識に基づいて描く作風で、バブル期の文学青年だった私は麻疹のように熱を上げた作家であったものの、四十を過ぎる頃から虚構の小説世界に急速に興味を失ってしまったのでもしかして二度と再読しないかもしれない作家だ。彼には小説のほかにも戦時中の日記があり、そこに中井の従軍の生活が記録されているのだが、その生活が戦時における明として私の中に残っている。

中井が配属されたのは市ヶ谷つまり戦争の中心頭脳部署で、銃をとることはなかった。そこは企業で言うところの営業の前線ではなく営業企画部署であり、軍人のほかにも女性の事務員も存在する。そこで刻時変化する戦況を憂い早く戦争が終わることを願いながら日常を記録した。そこには戦争の空芯ともいえる平穏な風景が描かれる。軍務の昼休みに女性事務員とバレーボールをした、という記載があったと記憶しているが原典に当たれないので確かではない。しかし事実だろうが違おうが中枢ではそのような暢気な空気が流れていることは経験上十分あり得ると思われる。前線は司令部から無理難題を押しつけられてその不十分な準備の中で最善を求められ、司令は目先の戦況の変化でころころと指示を変える。司令も楽ではない。戦況の責任を最後にはとるのだから。それはわかるが当時の大学生といえば学士様の時代である。前線では司令官だったかもしれない。しかし部隊の多くは全滅した。南方に送られた大学生もあまたいた。


運がいい、運が悪い。タイミングが悪い。生きていればある。私は運がいいがタイミングは悪いと今までを振り返り思い返す。そしてそもそも戦時に生きていない。これは大きい。ではタイミングは。

「いままで」があらゆるところで通用しなくなって来ている。言わなくても分かれ、気合いが足りない、自分で考えろ。前の時代のことばは下手すれば凶器扱いだ。いままでが崩れだした時代のタイミングでスイッチする先はどこだろう。ともかく勤め人からはスイッチしてしまったのでもうもとには戻れない。

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