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学校の怖かった話

学校の怖かった話

小学校一年の一学期で校舎が移転した。入学式は当然、旧校舎で行われたが、木造で、全体的に薄暗く、体育館に目が丸い、椅子に腰掛けた女の絵が飾ってあってそれが薄暗い壁に不気味に溶け込んでいるのだった。

桜の木の下に回転遊具があって、遊んでいると毛虫がポトポト落ちてきた。それを踏むと絵の具のような原色の中身が出てきた。黄色、黄緑色。階段の手すりは小学生にとっては滑るものだ。滑ったあげくに局部を打って、それを見ていた先生にげんこつを食らうというのがお決まりのパターンで、みしみし言う縦板の廊下を雑巾がけして競争するのもまた子供たちの定番だった。

夏休みが終わると、いきなり真っ白なコンクリートの明るい校舎に登校するようになった。体育館もまっさらで、あの陰気な丸い目の女はどの壁にも掛かっていなかった。とにかく教室も廊下も白く、廊下は木製のタイルだった。明るい水飲み場には細い鎖でつながれたぺなぺなのアルミのコップが下がり、みかん袋の中に入った石鹸も吊られていた。ときは七十年安保、ヒッピーやフーテンの時代。

いつもと違う階段を通ってみると、明るい踊り場にポスターが貼られていた。髑髏の目から一輪のバラが生えて咲いている絵だ。シンナー乱用をやめよう、みたいなポスターだったが、明るい踊り場でバラの絵が妙に赤く、私はすっかり怖じけてしまい、その階段を二度と通れなくなってしまった。当時六年に姉が居たが、そのことを話してもあまり相手にされなかった。そもそも学校内で弟に会うのを避けているようだった。

それから、何年かして校内を探検していた悪ガキは体育館の倉庫の中に、あの丸い目の腰掛けた女の絵が無造作に立てかけてあるのを見つけた。風通しのいい倉庫で、こちらも少しは我も出た頃、もはや絵は恐れるに足らなくなっていた。絵は卒業まで飾られることはなかった。

そして、それから、何十年もたって、市役所の分室に住民票を取りに行くと、広報誌などが並べられたテーブルの上でチラシの中のあの女の絵と目が合った。四十年ぶりの再会だったが、一瞥してすぐチラシを元に戻した。そのため、作者や題名はわからないままだったが別にいいや、となぜか思った。


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