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星空の下の回覧板

私が今住んでいる地域には、回覧板の制度がある。
実家に住んでいた頃以来の回覧板に、正直テンションは上がっている。

幼少期の私は家に回ってきた回覧板をお隣さんに届けに行く役割を担っていたのだが、持ち前のかわいらしさと愛嬌で届け先のおばあちゃんをメロメロにしていた。回覧板と引き換えにお菓子をゲットし、意気揚々と帰還していた。

そのおかげかお年寄りとの接し方は比較的上手な方だと思う。

今思うと私が生まれ育ったまちはいわゆる過疎地域で、道を歩けばすれ違うのは、おじいちゃん、おばあちゃん、どっちかわからない人の3パターンであった。

田舎は田舎でよいこともあり、通った学校は生徒人数こそ少なかったが男女皆仲良しだったし、木登りやザリガニ釣りなど自然の中で遊ぶことに抵抗なく育った。

一方で、歳を重ねれば重ねるほど、自分の住んでいたまちの田舎っぷりが凄まじかったことに気が付き始めた。

電車が1時間に1本しかないことが当たり前でダイヤに人間が合わせるのが普通だと思っていたが、県外に通学し始めるとその不便さに気が付く。

家の鍵を締めずに外出することに抵抗はなかったが、他地域では"防犯"という概念があることを知る。

野グソをしているおばあちゃん(おじいちゃんなのかもしれない)は珍しくもなんともなかったが、他所ではツチノコと同義らしい。

決して嫌いではない我が地元だが、もしかして普通ではなかったのかもしれないという思いが、社会を知った私の心にじんわりとインクのように広がっている。

頭に浮かんでくる地元の景色は真っ暗で、何もない。
自販機もコンビニも風俗も何にもない。

夜になると明かり一つない暗いまちだった。

ふと目を閉じて、思い出してみる。
そうだ。星空は綺麗だった。

つらい時も悲しい時も、涙がこぼれないように見上げた夜の空は、私をぎゅっと抱きしめてくれるような広く暖かく輝いた星空だった。
何もない田舎だからこそ、かけがえのない大切なものがあったことを思い出した。

眠れない夜にふと見上げたあの星空が、いつまでもずっと、綺麗でありますように。
綺麗な星空に照らされて野グソをするおばあちゃん(おじいちゃん)も、いつまでもずっと、元気でありますように。

そんなことを向かいの家に回覧板を届けながら、暗い星空を見上げて思い浮かべた。

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