yuzummm

日々の思いを本音で書いていきます

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最近の記事

大丈夫大丈夫

大丈夫君は悪くないあいつがわるい この世は弱肉強食だけど、死んだら皆同じだ 心配しなくていい。今やっていることに集中しろ。 結婚なんかしなくてもいい。 結果を引き受ける覚悟さえあれば。 嫌になったら死んでしまってもいい。 大人気なくていい。 ベストをつくして、ダメなら仕方ない。 大丈夫大丈夫 頑張らなくてもいい 諦めてもいい 許せなくてもいい あいつがわるいから 虚しくてもいいし虚しくなくてもいい 人を愛しても愛さなくてもいい 大丈夫大丈夫

    • 大丈夫だよ

      死んでもいいし。死ななくてもいいよ 頑張ってもいいし、頑張らなくてもいいよ 大丈夫だよ 人を信じなくてもいいし、信じてもいい 友だちを作ろうとしても、しなくてもいいよ 生きる意味なんてないから安心しなよ 何かをしてもいいし、しなくてもいい 人を嫌いでもいいし、嫌いじゃなくてもいい 大丈夫だよ

      • ああーむかつく

        自分のことを棚上げして他人にきつく当たる人間ってなんで存在するんだろう。 相手がいった話を少し忘れていただけで、聞いていないも同然だと切れられた。忘れるなんてありえないみたいな顔をされた。 じゃあ今日あなたは自分が書いた書類の内容を忘れて私に内容について聞いてきたが、それはどうなるんだよ!!!!!! じゃあ自分で書いた内容を覚えていないなんて書いてないも同然じゃねえかあああああああああ 本当に腹が立つ 怒られて、あっそうですよね、、 しかいえんかった自分にも腹が立

        • 彼女の気持ちがわからない

          最近、女の子の友達から恋愛相談を受けていた。 どうやら彼女は、相手のことがあまり好きになれず、別れようか悩んでいるというような話は前々から聞いていた。そしてもう次の会う約束も億劫で、ほぼほぼ無理だとは感じているものの、もう一度会って自分の気持ちを確認し、今後の方向を決めたいと話していた。 しかし、会う当日悩みすぎてなのか非常に体調が悪くなってしまい、待ち合わせには行ったが、体調の悪さやもう好きではない気持ちのあいまって、相当ひどくそっけない態度をとってしまったらしい。

        大丈夫大丈夫

          死にたい気持ちがなくならない

          毎日毎日飽きもせず死にたいと考えている。 私は病気なのだろうか。 隙あらば、他人の不幸がネットに落ちていないか検索して、それをみて安堵したのも束の間、 死にたくなる。 人生はうまくいかないことだらけだし、それはどんな人であってもそうだと思う。 でも、前向きに生きていける誰かと私の違いは自尊心の高さの違いだと思っている。 私の自尊心は低すぎる。 でもこんなにもなぜ低いのか。 原因は、そこそそ努力して生きてきたからだと思っている。 学生時代は、進学校に通い、そこそこいい大学を

          死にたい気持ちがなくならない

          向上心を煽る世界が嫌いだ

          向上心を持つことは、一般的に世間では評価されるし、持つべきものだと思われていると思う。 向上心を持っていないと発言すれば、怪訝な顔をされるし、実際私も職場の上司やお偉い方々には向上心がないなんて発言はできないと思う。 しかし、私は向上心がない。ないというか、ないふりをしている。それはなぜかといえば、向上心は自分も他人も傷つけるものだと考えているからだ。 そもそも向上心とはどういう意味なのか、この記事を書くにあたって調べてみた。 以下が引用である。 ”現在の状態に満足

          向上心を煽る世界が嫌いだ

          同期が転職をする

          離れた拠点にいる同期が転職することが決まったらしい。 今までも幾人か同期は辞めていったけれども、 彼女は同性で最後の同じ職種の同期だったため、より一層寂しさを感じている。 彼女と私を含め同期は、約一年ほど同じ場所で研修をうけ、同期みんなで遊びにいったり、2人でご飯を食べに行ったりして、仲を深めた。 食べ物に関して保守的であまり異国の料理を好まない私だったけど、彼女が誘ってくれたおかげで初めてインドカレーを食べて、すごくおいしくてインドカレーが好きになったのはいい思い出だ。

          同期が転職をする

          評価を聞きたくない

          ※完全にとりとめもない愚痴なので、読まなくていいです。 私は評価の話を聞くのがもううんざりだと感じている。特に自慢話というか恋人が俺ってすごいだろっていう話をしてきたときのうんざり度は120パーセントをこえていく。俺がすごいだけの話ならまだマシだがあいつらはできないけど、俺はできるんだみたいな話をされた時なんかは、他人のこと等放っておけよと思ってばかりいる。 そもそも、他人より自分ができるからってなんなんだろう。私の価値観でいくと人の評価をあーだこーだいう人間は、なんてダ

          評価を聞きたくない

          憎しみのループ

          今ただただ辛い状況にある。 なぜ辛いのか、 それは浮気をして私をこっ酷く振った元恋人が浮気相手と無事結婚したようだからだ。 なぜ、結婚したようだと表現しているかというとそれは確信はつけていないからだ。 私はフラれた結果、著しく体調を崩し、 鬱状態になり、仕事にも行けなくなってしまった。 体が動かなくなり約3ヶ月間は仕事を休んだ。 その内1ヶ月間は、動けずただただ布団から天井を見つめる日々であった。 無事復帰した時は、前にいた拠点から移動させてもらい今は、元恋人の情報はほぼ入

          憎しみのループ

          決定権と運命

          〜してもいいし、〜しなくてもいいという言葉は、私の気持ちを楽にしてくれる。 例えば、 頑張ってもいいし、頑張らなくても良い。 結婚してもいいし、結婚しなくてもいい。 人を好きになってもいいし、人を好きにならなくてもいい。 といった具合である。 なぜ、こうすると楽になるかというと、 そう考えるだけで、自分に決定権があると感じるからだと思う。 上記で挙げた例の内容についてのいずれに関しても世の中は、前者であるべき、または、前者である方がいいという風潮があると思う。 つまり、頑

          決定権と運命

          文句を言わない人ができた人間だという価値観なんかなくなれ

          文句を言わずに只々自分のやるべきことをやる人の世間一般的な評価は良いのではないかと思う。 少なくても私は、そう思ってずっとずっと生きてきた。実際に自分が文句を言わず我慢して他人を優先させたことに対して「偉いね」と評価してくれる人もいた。だから、我慢することに対してあまり抵抗はなかった。むしろ自分が他人から褒められるようなことをしていることが快感だったし、我慢できない人間より我慢できる自分がなんだか上の立場にいるような気がしていたのだ。 しかし最近になって、他人を優先したと

          文句を言わない人ができた人間だという価値観なんかなくなれ

          損するより怒られることが嫌い

          損をすること 例えば、自分の不注意でお金を多く払ってしまったとか、友達に合わせて自分へ負担が多くなってしまったとか、そういった類のことがあった時、自業自得とはいえ落ち込んでしまう人が多いのではないだろうか。 しかし、私はそういった時、一番心配してしまうのは、それによって母親に怒られてしまうことだ。 うちの母親はとにかく損をすることが嫌いだ。だから、私が何か損をしてしまったとき、損をした自分よりも大げさに落ち込み、そして馬鹿だなあと怒られる。 こういった母親の元で育って

          損するより怒られることが嫌い

          プラダを着た悪魔と上司と部下

          先日、プラダを着た悪魔という映画を初めて見た。 様々な方のお気に入りの映画としてもよく挙げられていることもあり、前々からこの映画の存在自体は知っていた。 しかし、ジャケ写からしてもファッションやブランドなどにあまり興味がない私には合わなさそうな映画だなと思い見たことがなかった。 が、たまたま昨日テレビをつけた時、金曜ロードショーがはじまるところだったのと、その時、プラダを着た悪魔についてのレビューを調べたら、”私の仕事の考え方の原点だ”と書いている方がおり、それが妙に気になっ

          プラダを着た悪魔と上司と部下

          争うくらいならみんな滅びればいい

          人間が生きている限り、比べる対象がある限り、争いは生じてしまう。 私は、争いが嫌いだ。でも世間はみな割と競争が好きなんだと思う。 誰々が優れているとかいないとか、自分のほうが優秀だとか、そうでないとか、、 そういった類の話題はつきない 自分が優秀であることをすごく誇りに思っている人も多くいると思うし、そうでないことを嘆く人間もいる しかし、そもそもそんなに他人より優れているということは重要なのだろうか でも私にも自分より優秀な人間への嫉妬の感情がある。 そんな感

          争うくらいならみんな滅びればいい

          見下されたくないし、見下したくもない

          タイトルに書いたことは、私が常々思っていることだ。 なぜ人間は、自分と異質な存在を見下すのだろうか。 誰かが誰かを見下した言動やバカにした態度をとっていることころに遭遇した時、仮にそれが自分に全く関係のないことでも非常に嫌な気持ちになる。 それはなぜなのか考えてみたのだが、自分が常に見下される対象であると思い込んでいるからであると思った。 そのために相手の言葉を敏感に受け取り、自分にしろ誰かにしろ向けられた言葉に対して、見下されたかどうかチェックしてしまうのである。

          見下されたくないし、見下したくもない

          因果応報なんてない

          因果応報なんてないと思う。 なぜなら、もし仮に私が人ひとり殺したとしても死刑になることが稀だからだ。 つまり、自分が人を殺したとしても 自分は殺されないわけだ。 私の価値観からすると、そんなことはおかしいと思うし、人を殺すなら自分も殺される覚悟でやるべきだと考えている。 しかし、世の中はそうはなっていない。 やったもん勝ちだし、なぜか仕返しをすると、仕返しした人のほうが悪く見られたりするときさえある。 だから、もし誰かにひどいことをされても、忘れるしかな

          因果応報なんてない