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書くのが怖かった。

「わたしは、世界がリズム的に成り立っていると思うんです。」彼女はとつぜん、遠い先の未来に想いを馳せるみたいにそう呟いた。

「よくわからないんだけど、それはどういうものについてなの?」ぼくはそう問いかけた。

「すべてです。すれ違う人の声のピッチ・トーン、靴の掠れる"コツッ"という律動音、工事現場から聞こえるドリル、自分の拍動。そのすべてが私を色付けて、そのすべてに私はいまも揺れ動かされ続けているんです。わかりますか?」

「うん。」
ぼくは彼女の考えが理解出来ずにいた。理解出来ているとしたら、たぶん10分の1くらいだろう。でも、ぼくは彼女を哀しませないように、

「なるほど。君らしいね。」

と、粗素っ気ない返事をした。

分かってもらわなくてもいい。彼女はそうやって世界のすべてを見越したような目をして、そのまま独り言みたいにこう言った。

「はい。笑顔を作るにしても誰かを褒めるにしても同じなんです。すべてに自然なリズムやタイミングがあって、わたしはそれが合っていないと『自然じゃない。考えたリズムしてる』って思うんです。だから人が"考えて"喜びを生み出している時、それが嘘だと分かってしまう。わたしはそこに幸せなんて感じないんです。作られた"遊び"だとしか思えないんです。」

そう、彼女は不思議な程に慈愛の精神に満ち溢れていた。自分が例え不都合な状況に置かれていても何を恨むこともなくそれが世界の望むことならば悦んで飲み込もう。そんな強ささえも感じた。

ああ、彼女だったら、ぼくの"ほんとうの"声を聴いてくれるかもしれない。そう思った。でも、そんなことを思ったのは生まれて初めてだった。はっきりいって、ぼくはなにもかもぎりぎりの状態だった。ぼくを支えていた数少ない撚り糸は既にバラバラになり、解けても可笑しく無い状態でそこに存在していた。

「ねえ、先輩も早く目覚めてください。私たちはこの世界で"誰と出逢うかさえも"プログラムされているんです。逢いたいと思った人にすぐ会えることが当たり前なんだと、思い込みすぎている。そしてそれに慣れては誰かのせいにして、他の場所に行けば同じことを言うんです。「ぜんぶ、お前のせいなんだ。」って。馬鹿らしいじゃないですか、人間が作り出した思想に人間自身が囚われ続けているなんて。しかもそのことに人間自身が気づいていないなんて、かわいそう。」

ぼくは突然悪寒のような、どうしようもないゾクゾクした不快なふるえを全身に感じた。彼女に近づいては駄目だ。そう直感的に感じたが、それは既に遅いようだった。彼女の前では「隠すこと」は即ち「正体を明かすこと」と同意なのだ。月のように清らかな美しい彼女の前で、狼人間であるぼくは自分の全てをさらけ出さなくてはならない。

そして彼女はこう続けた。
「わたしは Nil Admirari の域に達していながら、純粋で、どこまでも感覚的だった。わたしはそこに存在していながら、そこには存在していない。世界がわたしの全てであり、わたしが世界の全てだった。

世界を究極なまでに否定した先、そこにいるのは"わたし"よ。"わたししかいない"。わかる?」

それからぼくは、自分自身のことを詳細に語り始めた。いや、語らなければいけないような気がした。彼女の前では水が流れるみたいに、言葉が止めどなく溢れ出てしまう。それを塞き止める力はぼくにはないのだ。

"同じ場所に同じ水は二度と流れては来ない"。

そうしてぼくは、子どもの頃から秘密の隠し事から、過去にした惨めな恋愛まで、1つひとつ、事細かに説明した。彼女は言葉を手に取って観察し、自分の頭の中で整理しているようだった。ぼく以外の人間であってもきっと、そのような姿勢で話を聞いているのだ。だとしたら、彼女はいったい幾つの人間の秘密を抱えているんだろう。いったい幾つの「悪」を、その華奢な身体の中に蓄えているんだろう。

でも、きっと僕がそれを知ることは永遠に、来ないだろうな。


彼女にすべてを打ち明けてしまったあと、ぼくは自分が空っぽになってしまったような気持ちになった。それは、身体が、全身が、自然に、溶け込んでいるような感覚だった。

ぼくは舞った。
風に流されるようにふんわりと。
川の流れのように、一定のリズムで。
植物みたいに大きく、包み込むように。

そしてぼくは言葉にならない叫びを身体の底から感じ取り、天に向かってこう叫んだ。

"ああ!!ぼくは自然だ!!自然になったんだ!!"

『ふふ。わたしになった?』
『うん。君になってしまった。』
『でも。わたしのこと、まだまだ知らない。』
『そう。だから君のことを少しずつ、少しずつでいいから、理解していきたい。』
『ずっと、わたしになりたい?』
『うん。ずっと、きみになりたい。』
『あなたを、愛し続けたいんです。』


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