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端の席に座りたがる日本人 ?

こんにちは、yuuです。 中学3年、高校受験の際に小論文を書く機会があり、そのお題を今でも覚えている。 それが「電車で日本人は端に座る人が多い」ことに対しての文章だった。 記憶に「日本人」であることが残っているので、恐らく日本人はその傾向があるがとか、他の国の人と比べてというような記述のある文章だったのかもしれない。 その辺はよく覚えていないが、私の記憶では、端の席に座りたがる日本人について、それが可か不可か、いくつかの肉付けをした文章で考えを論じたように覚えている。

    • 我慢強さと閾値

      こんにちは、yuuです。 今まで生きてきた中で、一番我慢すべきでなかったと覚えている場面は、一人目の娘を出産し入院している時だったと思っている。 女性の方が痛みに強いだとか、産みの苦しみだとか、そういった一般的な痛みに対する我慢という意味ではなく、何かこう「そんな状態なら我慢せず早く言いなよ」的なやつだ。 もちろん、帝王切開で初めて切り開かれた腹は痛かった(くしゃみをすると滅茶苦茶痛かったので、くしゃみを抑える技を身に着けた)し、今まで入院とは無縁の生活だったので、初め

      • 得すること、損しないこと

        こんにちは、yuuです。 得することと損しないことは、イコールの関係だろうか。 混同する場面もあるが、答えは明確にノーだと思う。 得することは損することを内包するが、損しないことは必ずしも得することではないからだろう。 株の売買で考えれば単純明快だ。 100万投資し、5年後110万になっていれば得をし、100万のままだと損をしておらず、90万になっていれば損をしていることになる。 日常生活において、私は損をしないで生きていけたらと考えている。 お得に憑りつかれてしまうと

        • 講釈をたれるお爺さん

          こんにちは、yuuです。 私の父と祖父は、よく二人で飲みかわすと講釈をたれていたように思う。 内容は仕事のことであったり、人間関係のことであったり、政治や世論的なことであったり。 特に結論は出ず、時に熱くなりながら議論を交わしていたように思う。 実際は、二人の酔っ払いが好き勝手自分の考えを垂れ流していただけかもしれないが。 小さい頃は、酔っぱらって小難しい話を男二人がしている様子が、少し怖かった。ただ、祖父は私が話しかけると相好を崩し、話を中断してくれたので、なんか難しい

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          旅を認識する五感

          こんにちは、yuuです。 旅行に行くと、楽しい、面白い、思わぬハプニング、様々な思い出を作る人が多い。その際、どの感覚が思い出と結びついているかは、人それぞれ違うのだと感じたことがある。 一緒に何度も旅行に行った人と、普通なら思い出は共通のものとして語り合えるものであろう。 あの時のこれ、面白かったよね。この時はこんな事があったの、覚えてる?といった具合に。 私は、「視覚」が思い出と結びつきやすい方だと感じている。 感動した風景といった大それたものでなくとも、ふとした瞬

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          自己肯定と自己評価

          こんにちは、yuuです。 自己肯定感を上げる、これが大切だと言われ始めたのはいつ頃のことだったか。 子育て、自己啓発、コーチング、その他さまざまな場面で自己肯定感について触れる機会は多い。 自己肯定感が上がれば、人生の幸福度が上がる的な考えは、至極まっとうなものであると思うし、それが出来れば苦労しないのに、と考える。私は自己肯定感の低い人間だと、自分を理解している。 ただ、自己評価は高いほうだと思っている。 自己評価は、自分を客観的に捉えて、何が出来て何が出来ていないか

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          確認すること 疑うこと

          こんにちは、yuuです。 日常的に、私たちは確認しながら生きていると思う。 鍵を閉めたか、クライアントへのメールの締め切りはいつだったか、子どもは出かける前トイレに行ったか、明日の持ち物は準備できているか、今日の夕飯の買い忘れはないか等々。 自分に関する事柄について、自らに対して無意識的に確認することの多いことよ。 それに対して、相手に確認することも、又多いのではないか。 子育てをしていると、子どもに対して確認することはとても多い。 確認するという行為の裏側には、やはり

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          期待と信じること

          こんにちは、yuuです。 子どもと接していると、「期待すること」と「信じること」は近い距離にあるのに全く違うものだなと感じることがある。 子どもに限らず、友達や恋人、他者と関わる際には同じような場面がいくつもあるのだろうけれど、特に子育てという場面では、より強くこの違いを感じているのである。 親になってから、無意識に子どもに「期待する」ことが多かったように思う。習い事をする、園での行事、学校でのテスト、お友達との関わり、子どもの生活の至る所に、親の期待ポイントが存在してい

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          小さな親切とお節介

          こんにちは、yuuです。 「小さな親切大きなお世話」とは昔から言われることで、それに近い感覚として「お節介をやく」ことがあると思う。 私は日々、娘たちに対してお節介ばばあ的な存在だろうなと自覚している。 お菓子のゴミが机に置きっぱなしであれば「これどうしてここにあるの、捨てとくよ。次から自分で捨てて」と言うし、テレビ画面に近づいてyoutubeを見ている時は「もう少し離れて見たら」と声をかける。 親として正しくありたいと思って声掛けをしているが、子供からすれば煩いなと思う

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          お家賃レンジ

          こんにちは、yuuです。 お家賃レンジ、って言うのが正しいのかよくわからないのですが、 昨今は家電がハイテクになっていて、一か月の家賃と同等くらいの値段でレンジが売られていますよね。 我が家もいくつも機能が付いていて、そこそこのお値段だったと記憶している。 そして、数年前に買ったこのレンジ、以前から扉付け根の部品が劣化することで、きちんと扉が閉まらず、温め機能がポンコツになってしまうことがある。 過去にそれでメーカーに問い合わせて、劣化部分を交換してもらったこともあるの

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          名は体を表す

          こんにちは、yuuです。 ある時、次女が新聞の広告か何かを見ているなと思っていると、 「お母さん、中山がでてるよ」と声をかけてきた。 中山って誰よ?と思いつつ近づくと、彼女は新聞広告に起用された「なかやまきんにくん」を見つけた様子であった。 その場で笑ってしまい、次女には「どっちかって言うと、きんにくんの方が伝わるかもね」と言い、二人で新聞紙を眺めたのだった。 芸名やハンドルネームやペンネーム、SNSの発展によって本名ではない名で自身を示す機会が圧倒的に増えているように

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          足るを知る、身の丈に合った生活

          こんにちは、yuuです。 昨今、ミニマリストという言葉や選択が世の中に浸透してきており、 私も「ミニマリストになりたい!」と息巻くほどではないにせよ、 ミニマリスト的な思考は好ましいものだと感じている。 こんなことを書くくらいだから、きっと家の中は物が少なく、 服も最小限を着まわしている、と想像していただけるとよいと思うのだが、 現実はそうもいかないもので。 子どもの物を勝手に捨てると怒られる、という至極当たり前の経験を経てきているため、塗り絵や制作物のようなモノは溜ま

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          散文にしたためる

          noteを始めてみました yuuです。 日々感じたことを自由に、日記になるのか、テーマを設けるのかすら、まだ決まっていないのですが、ここから始めてみようと思います。 まずは自己紹介を書いたほうが良いのだろうと思うのですが、 それは気が向いたときに書いてみようと思っています。 (面倒くさいだけとも言います。。) 子どもたちは夏休み終盤、多くの学校で読書感想文の宿題が出ているのだろうと思います。 私は小学生の時、必須の宿題ではなかったものの、何か一つやってくるという課題とし

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