名は体を表す

こんにちは、yuuです。

ある時、次女が新聞の広告か何かを見ているなと思っていると、
「お母さん、中山がでてるよ」と声をかけてきた。
中山って誰よ?と思いつつ近づくと、彼女は新聞広告に起用された「なかやまきんにくん」を見つけた様子であった。

その場で笑ってしまい、次女には「どっちかって言うと、きんにくんの方が伝わるかもね」と言い、二人で新聞紙を眺めたのだった。

芸名やハンドルネームやペンネーム、SNSの発展によって本名ではない名で自身を示す機会が圧倒的に増えているように思う。
それこそ、伝えたいメッセージであったり、目立ちたい!という気持ちであったり、そういうものを内包する名であれば、まさに名は体を表すということになるのであろう。

なんか真面目そうな名前だよね、といった印象を与える名前も存在していると思う。古風な名前がこれに該当するだろうか。
太郎とか、花子とか、小学生の時のプリントに見本として書かれていた名前のようなもの。
一方、名前負けしてるという言葉もあるように、過度に本人の印象とは離れた名を持っている人もたまにいると思う。
名前は派手そうなのに本人は地味とか、何かスポーツやってそうな名前なのにインドア派とか。

結局は、名から想起されるイメージの問題なのだろうと思う。これは主観的なものであって、勝手に名前負けしてるなんて印象をもたれる方からしたら、ほっといてくれよと言いたくもなるだろう。
ただ、主観的なイメージではあるが、これが社会の中で刷り込まれてきたものであった場合、集団意識としての印象になり得たりもするのだろう。

親からもらった名前に似合った生き方をする必要なんて全くないと思うのだが、私としては自分の名前を好きでいたいとは思っている。娘たちにも同じように感じてもらえたらいいなとも思っている。
親が子に名付ける時だって、勝手な期待と刷り込まれた印象に左右されている場合もあるのだろうが、長く付き合う名なので、できればポジティブに自分の名と付き合えたらと思っているのだ。

前述の次女には、人との縁を大切にしてほしいなといった意味を含めて名付けをしたので、彼女のなかやまきんに君を「中山」と呼ぶセンスで、より多くの人と楽しく付き合ってくれたら良いなと感じている。

この文章を書いている途中で、サンシャイン池崎さんを「サンシャイン」と呼ぶ人もあまりいないし、言われたところでピンとこないなと思った。
やはり名前が人に与える印象とは面白いものだなという感想を、散文にしたためて。

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