端の席に座りたがる日本人 ?

こんにちは、yuuです。

中学3年、高校受験の際に小論文を書く機会があり、そのお題を今でも覚えている。
それが「電車で日本人は端に座る人が多い」ことに対しての文章だった。

記憶に「日本人」であることが残っているので、恐らく日本人はその傾向があるがとか、他の国の人と比べてというような記述のある文章だったのかもしれない。
その辺はよく覚えていないが、私の記憶では、端の席に座りたがる日本人について、それが可か不可か、いくつかの肉付けをした文章で考えを論じたように覚えている。

今思えば、日本人でない人でも端が好きな人はいるだろうし、そもそも地方によってはボックス席が主の電車だってあるのだから、端が存在しないことだってあるだろうが、と議題に対して斜めから意見をしてみたくなる。

ただ、中学3年の単純な受験生からすると、日本人はそのような傾向があると言われればその通りだと思い、自分もそのようにしてしまうであろう、なぜならば~的な肉付けの仕方で、受験対策を乗り切ったのであろう。

中学3年時も今も、カテゴライズすることに慣れてしまっているように感じる。
中学3年時は、日本人=電車の端席に座りたがる民族とカテゴライズしてこの小論文に取り組んだ。
今は、そのような決めつけや偏見に抗いたいのに、結局は王道のカテゴライズを実践している自分を残念に感じている。

母親は明るく子どもに理解を示す、子どもは元気に子供らしく学校や園に毎日行き、休日は家族が楽しく一緒に過ごす。
王道の幸せを目指してみるものの、現実はそうもいかず、勝手にカテゴライズした幻想が叶わないことに落胆してみたりする。

見方を変え、斜めから切り込んでみると、意外な発見もあるだろうに、王道が好きな自分が存在しているのだ。
癖のようなものだから、意識し続けないと途端に王道に引き戻されてしまうので、こうしてまずは自覚し、文章化してみたりしている。

小論文のように、一片の立場でのみ是か非かを声高にできるほど、世の中単純には出来ていない。
今日もまた、そんなことを考えながら、空いた電車では端の席に吸い寄せられてしまうのだろう。

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