足るを知る、身の丈に合った生活

こんにちは、yuuです。

昨今、ミニマリストという言葉や選択が世の中に浸透してきており、
私も「ミニマリストになりたい!」と息巻くほどではないにせよ、
ミニマリスト的な思考は好ましいものだと感じている。

こんなことを書くくらいだから、きっと家の中は物が少なく、
服も最小限を着まわしている、と想像していただけるとよいと思うのだが、
現実はそうもいかないもので。

子どもの物を勝手に捨てると怒られる、という至極当たり前の経験を経てきているため、塗り絵や制作物のようなモノは溜まっていく一方だし、
家の中の自分のテリトリーなんて極わずかなため、思い通りにできる空間というのは案外限られている。

服や靴やカバンといった、自分にしか関わらないものについては、ここ数年で一増一減を意識するようになっている。
かの有名な某創業者に憧れているわけではないが、TシャツとデニムでTPO的に問題がないのであれば、毎日それでよいのではと考えたりもする。

とはいえ、真夏にデニムは暑すぎるであったり、Tシャツでは参加するのは気が引けてしまう行事的な何かがあるわけで。
社会人として喪服的なものも持っていたほうが良いとされる年齢だと考えると、全然着ない服が手元に残っているという状況が現実である。

ただ、そういった現実の中で、自らコントロールできる思考は、ミニマリスト的でありたいなと思っている。
Tシャツとデニムが似合う自分でいたい→健康的な身体でいたい→程よくエネルギーが摂取できて身体に良いものを食べたい→自炊で食材を無駄にしないために必要以上の買いだめはしない→調理器具も1台3役とか使いこなせないものは買わず吟味する→。。。的な。

結局、選択肢が増えると悩む思考が発生し、それが自分の生活にネガティブに作用することが多いと感じているので、モノで悩まないようにこのような考えに至っている。
ミニマリスト的な人々も概ね似たような部分をお持ちの方が多いように感じるし、それがフィットする人間が一定数いるということなのだろう。

悩んで楽しいことだったら、いくらでも時間を費やして良いと思う。
この漫画、電子で買ったけど紙でも欲しくなっちゃったな、買っちゃおうかなという時もある。これは悩んでいるときも楽しいので、アリだ。
人それぞれ、何に時間を費やすかは異なっているため、結局は心地よい塩梅を見つけていくのだろうなと感じている。

昔から、足るを知るや身の丈にあった~という言葉があるように、
それを心地よいと感じる人々が昔々からいたのだろう。
それを周りに押し付けるでもなく、自分の中でフィットさせて日々生きていきたいと思っている。

それなのに、冷凍庫の中には何種類ものアイスが常備されており、
また今日も新しいアイスを買ってきてしまったのだが。

まだまだ、自分の充足や身の丈と向き合う日々は続くのだろう。
日本の夏が暑くなりすぎているのがダメなのだ、と自分でコントロールできないものに責任を押し付けたくなる気持ちを散文にしたためて。

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