我慢強さと閾値

こんにちは、yuuです。

今まで生きてきた中で、一番我慢すべきでなかったと覚えている場面は、一人目の娘を出産し入院している時だったと思っている。

女性の方が痛みに強いだとか、産みの苦しみだとか、そういった一般的な痛みに対する我慢という意味ではなく、何かこう「そんな状態なら我慢せず早く言いなよ」的なやつだ。

もちろん、帝王切開で初めて切り開かれた腹は痛かった(くしゃみをすると滅茶苦茶痛かったので、くしゃみを抑える技を身に着けた)し、今まで入院とは無縁の生活だったので、初めての入院と初めての出産で慣れないことこの上なく、ただただ不安だった。

ナースコールを押せば、看護師の方が来てくれて何かしら対応をしてくれることもわかっていた。実際、硬膜外麻酔だったため、術後背中の違和感が強く何度かナースコールは使ったし、痛み止めももらった。

それでも、私は我慢していたようだった。
原因は「新生児黄疸」が出ていたことが原因だった。
二人目の時も経験したし、今となれば別にどうってことないのだが、初めての出産後、新生児黄疸という聞きなれない言葉を聞かされ、すごく娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

なるべく自然な形で黄疸に対応するために、頻回に授乳をすることを指示され、そうすることでしかこの子を助けることはできないとでも思ったのか、一生懸命に授乳をした。

今思えば、ミルクに頼っても良かったと思うし、授乳の上手さは子供側の個人差もあるし、最終的には紫外線治療をした(一人目の時も二人目の時も同じだった)ので、もっと気楽にいればいいものの、とにかく2時間おきくらいにせっせと授乳をした。

もちろん、眠いし疲れるし、一人目なので上手ではないし、娘も大して量を飲む子ではなかったように思う、すごく空回っていた。
入院から5日目の夜中、授乳後に娘が盛大にリバースし、服もシーツも汚れ、どうしようもなくなり、ナースコールを押した。
看護師の方が来て、片付けやら色々と手伝ってくれて、私は嗚咽を漏らして泣いた。

出産って幸せなものだと幻想を抱いていたとも言えるし、黄疸に対して敏感になりすぎていたようにも思うし、とにかくその時は、こんなに頑張っているのに上手くいかなくて悲しすぎる、みたいな心境だった。

結果的に、娘たちはすくすくと今育っているし、思い返すと呆れてしまうような話なのだが、本当に我慢せず早く自分の気持ちを看護師の方や見舞いに来ている家族に吐き出してしまえばよかったのにと、今なら思う。

忙しそうに仕事をしている看護師の方に、遠慮をしていたのだと思う。
産婦のケアだって仕事のうちだし、こっちは金払ってるのだから愚痴くらい聞いてくれよ、くらいに考えられれば違ったのだろうが、なんか遠慮していたのだ。

我慢強い方かもしれないが、こういう時、自分が我慢をしているという実感は増すばかりである。それなら、我慢の閾値が低く、早々に人に頼れる方が人生幸せなのではと思う。

適切に上手に人に頼ることの重要さと、一人目の出産時になってやっと向き合えたのだ。無遠慮な人にはなりたくないが、我慢の閾値を少しづつ下げていくことを意識した。

未だに、しなくても良い我慢をしてしまうことがある。いつも後になって気付くのだが、それでも一人目の出産時よりは、我慢していない気がする。
胎盤と一緒に恥を捨ててきた、なんてことを昔からよく言うようだが、私の場合は、我慢する自分のかけらを、少ーしだけ落としてきた程度のように思っている。

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