旅を認識する五感

こんにちは、yuuです。

旅行に行くと、楽しい、面白い、思わぬハプニング、様々な思い出を作る人が多い。その際、どの感覚が思い出と結びついているかは、人それぞれ違うのだと感じたことがある。

一緒に何度も旅行に行った人と、普通なら思い出は共通のものとして語り合えるものであろう。
あの時のこれ、面白かったよね。この時はこんな事があったの、覚えてる?といった具合に。

私は、「視覚」が思い出と結びつきやすい方だと感じている。
感動した風景といった大それたものでなくとも、ふとした瞬間の残像であるとか、一緒に笑いあった相手の顔だとか、そんなもので思い出を認識していることが多い。

以前、一緒に旅行に行った人から「あの時食べた○○、すごい美味しかったよね」と言われ、あ~そうだったね~と適当に返答したことがある。
私は、五感の中で「味覚」が思い出と繋がる回路が鈍いのだ。

だから、美味しかった味を想起させるよう相手が話してきても、「あ、内装がこんな感じで、変わったオブジェがあったよね」的な反応をし、相手をガッカリさせてしまうこともある。

元々、あまり食への興味が薄い自覚もあるのだが、旅にまつわる食の話ばかりされると、その時食べながらこんな会話したよねって言ってくれたらいいのにとも思ってしまう。

どの感覚が鋭く、何が思い出や記憶と繋がりやすいかは人それぞれ異なるのであろうし、思い出はどんな形であれキレイなものであってほしい。
ただ、旅は思い出すことで色を濃くすることもあるだろうから、できれば似た回路を持った人と共有できるのが良いなと思う。

一緒に旅をしていても、思い出として残るものは異なるのである。当たり前だが、なんだか寂しく感じてしまうことがある。
同じものを見て、同じように感じることのできる人の貴重さを実感する。

大人と比べ、子どもの記憶のすばらしさにも驚くことがある。
前の時に、お友達のお父さんがこんなことをして、お友達と自分はあれをしていて、夜ご飯にはこれを食べて、とーっても楽しかったよね。的な、出来事を羅列した感想みたいなものなのだが。

詳細に覚えていて驚くこともあれば、前っていつのこと言ってんだ?と思うような時もある。数年前の話を急にし出したりすることにも慣れてはいるが、よくそんなことまで覚えているねと思うことが多々ある。

同じものを見て、同じように感じ、自分が見落としている思い出を補ってくれるような子どもの記憶を、いつまでも持っていてほしいと思う。きっと無理だが。

せめて思い出話をされた時には、「そんなことあったっけ?」と素っ気なく反応するのではなく、「え?それ気づいてなかったわ。見たかったな~いいな~」くらいの反応を示したいものだ。
それが自らの記憶に残らなかったとしても、子どもには蓄積する記憶の一つになるかもしれないから。

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