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【読書感想文】著:柿原朋哉『匿名』感想:静かで芯の強い小説は、派手で刺激的で喧しい現代を生きる自分に強く刺さった

2022年8月26日に発売された柿原朋哉先生の『匿名』。
本屋に陳列されていて、その魅力的な表紙と面白そうなあらすじに惹かれて購入(本屋さんには申し訳ないけど電子書籍で…)。

ギュッと心を掴まれた表紙

読み始める前に著者の柿原朋哉さんのことを調べたら、なんとYoutuberの方。しかも以前はあのUUUMに所属されていたそうです。

全く存じ上げないまま電子書籍を購入したわけですが、この情報を知って、大変に失礼ながらちょっと不安になったわけです。
「いわゆる有名人の『タレント本』的なやつじゃないよな…」と。

正直、Youtuber、インフルエンサーの本の中には、買ってみたはいいものの「ウーン…」という内容の本があることがしばしばありました。
Youtubeで言った内容そのままだったり、極めて当たり障りのない、心に残らないものだったり。もちろんそうでない内容もありますが、もともと文筆業ではないコンテンツで有名な方の出された書籍は、どうしても身構えてしまいます。

その、やや警戒していた気持ちが、内容への没入に対し少しブレーキをかけてしまっていました。
その気持ちのまま読み始めてしまっていたこともあり、「大丈夫かな、これ最後まで飽きずに読み進められるかな…」という心配が、最初の印象でした。


読み始めてみて

主人公である友香が自殺しようとしたところに聞こえてきた「F」というアーティストの歌声、それにより自殺を踏みとどまったという冒頭の衝撃的な始まりの後の1章。
ここは初めから友香の自己紹介や状況説明が続いているような印象で、ゲームで言うと長いチュートリアルを体験しているような感じでした。
このまま説明がひたすら続くと、なかなかに読み進めるのは辛いかもしれない…それがファーストインプレッションでした。

しかし、それも杞憂に終わります。顔も名前もわからない「F」というアーティストと、その歌声に感銘を受けFのファンとなった友香。
この小説の体裁として、この二人の視点が章ごとに交代するものとなっています。1章の友香視点が終わり、2章ではFの視点。そしてまた、3章では友香の視点という形です。

章ごとに視点が変わるのはおかしくありませんし、何よりこういった仕組みの小説は少なくありません。しかし、この小説では「謎の存在のF」と、「Fに命を救われ、Fがどんな存在か知りたがる友香」という関係性が非常によく作用していました。

1章で描かれた友香の、現実に不満と不安を抱えているような、だからこそ魅力的では無い内容が、一方で華やかな舞台で輝き始めるFの姿と対比になり、Fについての章の魅力が相対的に大きくなるように感じました。

また、このように「交互に視点が変わる」からこそ、Fに感動した友香と同じように、読者側としても「F」ってどんな存在なんだろうと思う、むしろ友香と同じ視点で「追いかける」ことができました。

断片的にFの視点を体験することで、Fという存在が謎ではなく「一人の人間なんだ」と認識できるところが凄く良かったです。
おそらくモチーフはado氏なのかなあと思いつつ、読者としてその姿を追いかけ友香と同じスタンス、姿勢となっていました。

一方の視点だけでは見えない出来事が、2つの視点からだからこそ点が線になり面になる。これはミステリー小説のような、謎が解ける感覚に似ており、特に物語の最もピークと思われるシーンは、映像が浮かぶようでした。



友香の考えからハッとさせられたこと

友香は自殺を考えたくらいですから、溌溂として元気いっぱいというキャラクターではありません。
それもあって、人に対して「こんな人だろう」と予想をしており、それがことごとくネガティブなのは面白かったです。
一方で、では実際会ってみてどうだったのか、印象は変わったのか変わらなかったのか…。そのあたりの描写を読んだとき、まさに自分が普段経験していることと似た部分がありハッとしました。

いわゆる、伝聞やネット上の評判から「この人はこういう人なんだろうなあ」というレッテルを張り、いざ対面してみると全くそうではないという経験、自分を見ているようでした。さらに言えば、その印象はほぼ必ずプラスに働いています。つまり、私は知らない人に対して友香と同じようにマイナスなレッテルを張っていたんですよね。

それは私自身が、友香のようにどこか自分に自信が無く、自分が先陣を切るよりも誰かに追従するような性格だからなのかもしれません。
物語の本筋ではありませんが、この部分は非常に自分を見ているようでドキッとしたシーンでした。



純粋すぎるファンの怖さ

先ほど「友香とF、交互に視点」と記載しましたが、これによる「怖さ」を感じることもありました。まさに、友香の「Fを知りたい」「Fに会いたい」という気持ちのことです。

ネットで拾える過去の情報などから、匿名で活動している有名人の地元など、特定しようとする行為、またはそれらの情報を見るという行為。
これはなかなか、客観的に見るとちょっと気持ち悪い行為だなと認識しました。
それもきっと、「特定するファン側の視点」と「特定されているとは知らずに活動しているアーティスト側の視点」が交互に描写されているからこその「怖さ」「気持ち悪さ」を感じることが出来たと思います。

また、ねとらぼのインタビューで、朝井リョウ先生の『正欲』の話が出てきていたことに膝を打ちました。

まさに、「普通」の行動、それは一般化している行動と言ってもいいかもしれませんが、そんな普通という定義も見方によれば崩れるということを描写されている、そして読者としてそれを感じることが出来たという点で、本作と『正欲』の類似性を感じました。

この「ファンの悪意のない」描写、もしかすると著者の柿原さんご自身がYoutubeにて活躍されているからこそのリアルなんだろうなと思いながら読んでいました。

友香視点では「Fに会いたい」という衝動が極めて美談的な印象を受けるのに対し、FやFをマネジメント・プロデュースする立場からすると非常識な人間でしかありません。
こういうのはやはり、基本的には前者の立場で描かれることが多く、そしてそれがまさに自分の気持ちに従ったこと、咎められることではないような描かれ方をされるような気がします。

でも実際は…。そういうファンの行動が嬉しい人もいると思いますが、一方で特に今回のように匿名アーティストなんかだと、とんでもない非常識な行動なんですよね。そしてそれは大きな変化をもたらすこととなってしまいます。

相反する立場の両者の視点だからこそわかる面白さが、ここにはありました。



思ったこと

文章の書き方で気になったのは、ときどき話の展開が物語のメインルートから外れているな? というところ。
本筋の物語が進んでいる中、過去の回想の話が始まり、そのまま過去の話が続き…という流れ、「あれ、本筋の話途中じゃなかったかな?」と思うことが少しありました。

結果としてその過去描写も物語を彩るのに重要であったので、ひとまとまりでがっつりと説明されて理解が深まったのは確かです。
1章の印象も含め、過不足ない説明を、ある意味まとまったブロックのような形で説明を行う書き方をされる方なのかなと思いました。

思ったのが、このような書かれ方をされたいるためか非常に読みやすい文章だったんですよね。様々な要素がパレットの上の絵の具のように混ざる文章ではなく、それぞれの色を原色そのまま使うような文章のような気がしており、珍しいように感じました。
人によって好みの差はあれど、こういう書き方は一つ一つの話題に集中しやすく、わかりやすいものなんだな…と少し驚きました。

あと、あくまで願望といったところですが、もう少し母と子の関係、特に母のキャラクターを見たかったな…と思うところです。
全体的なボリューム感、ページ数として、あと1.3倍くらいのボリュームで読んでみたかったです。
主要キャラクターになりそうな登場人物が、後半でははほぼ物語に絡まなくなったりすることもあったので、彼女らがどのような生活をし、Fが音源をリリースする度にどのような影響を受けていたのかが気になるところでした。

逆に言えば、出番が少ないキャラクターでも、主に友香の短い語り、人物描写によって「どんな人なのか気になる」と思わされるような存在感を発していました。それは突飛なキャラクターというよりは、自分の知り合いの誰かを投影できるような、「すぐそこにいそうな」キャラクターであったからこそ、存在感が強かったのかなと思います。



終わりに

すごくきれいな小説だったなあ。そんな印象を、読み終わって感じました。

怒涛の展開が続き読み手の体温が上がり下がりする…そんなアグレッシブな小説ではなく、静かにコトコトと煮込まれるスープ、または、雪がしんしんと降り続く深夜のような、温度が一定な印象を受けた本でした。

なんというか、大げさで刺激的、人に熱湯をかけるようなコンテンツでPVを稼ぐエンタメのようなものに半ば辟易していたので、こういった一定の、静かな温度の小説はとても心が安らぎました。

しかし、物語は後半になるにつれ徐々にある事実、この物語の根幹とも言える事実の輪郭をはっきりとさせていきます。
Fと友香、彼女たちの人物像がくっきりとしてくる中で明かされるその事実。
それは確かに大きな事実でありながらも、物語が騒ぎ出すというより、より強く静かさを増すという形の迫力を醸し出していたように思えます。

この小説には、そのような芯の強い印象も受けました。
それはおそらく、物語が二転三転するミステリーではなく、人の心という一点にテーマが絞られたからこその安定感があったのかなと感じます。

Youtuberの方であり、初小説であるというところから、失礼ながら最初は少し心配でしたが、非常に読みやすくすっきりとしていて、純粋で清涼感のある小説でした。

超ド級の展開、派手なアクション、とんでもないどんでん返しなどのキャッチーで目立つような要素があるわけではないですが、しかし確実に、すっきりとした読後感と、少し視界が明るくクリアになるような気持ちになれる、とても良い小説でした。


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