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「好きなものに自覚的だね」

「他人と写真を撮る意味」から続いています。
 

今回の撮影を通して気づいたことは、街撮りにはあまり興味がないということ。LikeはあるけどLoveがない、熱量不足。グラフィカルな写真、目に付いた面白いもの。そういうのって、どうやら自分にとってはわざわざ撮る対象ではないらしい。(人の撮ったのを見るぶんには、面白い)

 ノスタルジックだったり、身に付けるものの色使い、
 植物などの生の要素を感じられるもの、生活の気配。

そういう人に近い、よりウエットなものに惹かれている。無機物に向ける、愛がない。だから人工物だけを撮っても面白い写真にならないし。それを経験から学習してしまって、わざわざシャッターを切れない。

そういえば、写真をザッとチェックした先生に「好きなものに自覚的だね」と言われた。

光が好きで、柔らかさが好きで、色がアクセントになるのが好きで、それからどこか寂しさを感じるものも、温かい気配のものも好きだ。


最初に「好きなものを撮れ」との話があったので、ごくごく素直にそうしただけなんだけどな。好きなものは、素直に感じられる。だから「あっ!」と感じた、その気持ちのままに被写体を選べばいい。

これは、当たり前のことじゃないんだろうか。

自分にとっては。"好き"と"興味がない"はわかりやすくて、それ以上も以下もないフラットな感情。"嫌い"の方がずっと曖昧で流動的で、複雑で。怒り、悲しみ、むなしさ、恨みや辛み…何度でも引っ張り出しては、こねくり回して、飽きず向き合って。

そんな風に執着してしまう負を含む感情の方が、圧倒的に底の深い感情だと思う。


もしも、そういうものを撮るようにと言われたら…やっぱり「自覚的だね」と言われるような写真を撮るんだろうか。それとも、向き合えずに曖昧とぼんやりとしたものになってしまうんだろうか。


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