凪(なぎ)です。 自己免疫系の難病SLE(全身性エリテマトーデス)の持病持ちです。 こ…

凪(なぎ)です。 自己免疫系の難病SLE(全身性エリテマトーデス)の持病持ちです。 このnoteは、暮らしの中で気づいたなんとなくを形にお届けする日常ブログです。 自分を許して、自分を愛していくために ゆっくり進む私の日常を不定期にお届けしています。

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自己紹介。

最近は気持ちも、感覚も色々変わったので 改めて記事を残すことにします。 名古屋在住の42歳。 出身は東京の府中です。テレビで知ってる人は競馬場とかで有名なのかな? けれど私の中では大國魂神社の方が馴染みが深いかな。 緑多くて、けやき好きな自分としてはあそこの空気が一番好きです。 幼少期から20歳あたりまでは地元にいて そこから専門学校卒業後に離婚して別に暮らしていた父親のもとに引っ越し、静岡の三島へ。 今だと 若者が頑張って活気付いているとこで、水がいつも美味しいし、

    • 光と闇の織りなす、あったかい世界に触れてきた。

      先日…、といっても5月13日のことになるのだけれど 春先に気になる絵を見かけて、それがどうにも気になってしまって 久しぶりに美術館に行ってきた。 それが、ちょうど今回のタイトルカバーにしているこの絵なのだけれど。 なんだか柔らかくて優しい世界だなぁと最初は感じていたのに 描かれた「吉本作次」さんが初めて描いた世界は、入り口で見た時とても闇が深くて 普段だったら私が敬遠してしまうくらい大きな闇のはずなのに 彼の描く世界には闇の中にも底の方にあったかい光も同時にあって 最初

      • いつも、ができなきゃお休みしよ。

        1ヶ月以上もお休みしていた。 なんでかって なんか、書けなかった。 私の中で自分の在り方や、見る視点が どんどんくるくる変わっていって、ネットの世界は早く回るから 世界が忙しすぎて、途中でポイってなった。 その間に もう見れないなって思ったものや 感じた人には、ありがとうして、手放して整理。 ネットだけで繋がった人たちとの出会いって 一瞬一瞬、ほんとすぐ終わる人もいれば 今住んでいる同居人みたいに 長々続く関係もあったりするのだけれど 私はあんまり 長く続く人はい

        • 余白の時間て、ありがとさんをする時間だと思うの。

          最近、 「余白(余白)」を取ろう、みたいなのを そこかしこでよく見かけるたびに 私は昔、映画館で働いていた時間を思い出す。 その時は 「余白」なんてものはあまりなくて。 新人の私は覚えることに何もない時間を費やして 館内の案内放送が始まったら その時点で、やれチケットをもぎったり、トラブルの対処したり、 始まったら始まったで定期的に館内チェック行ったり 終わったらゴミの受け取り、清掃、また案内…、 空いたら、覚える時間へ。 とまぁ、とにかく ほとんどのことが5分刻みで起

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        • 光と闇の織りなす、あったかい世界に触れてきた。

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          いい子って、演じ続けるとバグっちゃうの。

          私は昔。 小学校から30代の後半ぐらいまで 【頑張らないと愛されない。】 と、頑張っちゃってた時代がある。 理由は一つ。 「母親の前でいい子でいたら、(私は)嫌われない」 って、当時思っていたから。 だけどそれって 本当の私を隠したままで進み続けるから 心の中の私は 「そっちじゃないよ、本当はこっちだよ!」って 感覚としては真逆なホントの生きやすい私を何度も教えてくれてたのに 外側で体を使うリアルで暮らす私にはそこが届かなくて 私は誰かのための良い子をずっと演じ

          いい子って、演じ続けるとバグっちゃうの。

          クエスト初心者はレベル100にはすぐなれないのよ。

          この間、よく見ていたバラエティの番組で 主婦の方々の旦那様への不満はなーに?みたいなのをやっていた。 奥様方、結婚歴長い方から短い方までめっちゃつらつら。 いろんな不満を言っていたけれど そんな中で私が引っかかるのは 「私はこんなに頑張っているのに」 だった。 「旦那は適当なことばっかり。」 「私の苦労を一つもわかっちゃいない。」 ぶつぶつ言う人たちは なんだろうな。 ただ寂しいんだろうなぁって思った。 ネチネチ言うけど そこには、相手に構ってほしいんだなーって愛

          クエスト初心者はレベル100にはすぐなれないのよ。

          ダメな自分だって、存在していいじゃん?

          22日の昨日。 ちょっと前から計画していてずっと行きたかった第二の故郷でもある 静岡の三島に弾丸日帰り旅行を決行した。 なんでかって ずっとずっと。願ってたから。 1年前に亡くなった愛犬に会いに行きたかったこの想いを叶えに。 でも面白かったのはその日 ほんとに朝からトラブル続きで 私と、二つ上の親友でもある同居人で鈍行で行ったんだけれど 長旅には慣れているものの 初っ端からどこぞの駅で緊急停止のプチ事故あって 数分の出遅れ。 ちょっと先の駅でも 突然の踏切の故障で数分

          ダメな自分だって、存在していいじゃん?

          適当な自分は許せない?

          子供の頃 私はしっかりしてないと 愛されないんじゃないか?って思ってた。 ま、勘違いなんだけどさ。 けど、それくらい何か一生懸命やらないと 母はいつも怒ってたなぁって印象が強いんだよね。 私は怖い顔を見たくないし いい子でいようと必死だったから 「しっかりしよう。」「しっかりしなきゃ!」ってのは その頃の私の心の中の口癖だった。 でもね? 大人になってもそのクセって染み付いてるのか 認め切れるすとん、とした腑に落ちる感覚がないからなのか 実は今でもある。 だからその時

          適当な自分は許せない?

          自分に正直に、なっていこーよ。

          SLEという難病を持って一緒に暮らす形になってから 1年過ぎてると思うのだけれど 今年は2度目の冬だ。 あの頃よりは しんどさもだいぶ減ったけれど 寒さには昔よりずっと弱くなったので 関節の痛みでゆっくりしてることの方が朝は長くなったなぁと思う。 難病になりたての頃は 初めてがいっぱいで覚えることばっかりで 病気を知ることも、制限がかかることも重々気をつけないと だめなんかな?って考えてた。 だから周りにも伝えて、自分でも意識して、基本適当な自分に 徹底して色々教えてい

          自分に正直に、なっていこーよ。

          「ない」から「ある」を始めよう。

          思うところあってプロフールを変更した。 というのも ちょっと前に講座を受けてから 私は何か自分とズレてるとこないか? と、違和感を認められず、受け入れずな期間が 結構長いことあって それを昨日だかに やっとこしっくりきて、変えることにしました。 私は どんなこともだけど、ここ最近はずっと 自分の中で「ない」なのに「ある」にしようとしてた。 心の中は「no」してるのに また追いつこうって頑張っちゃってた。 その度思った。 「あ、また良い子なろうとしてる。」 「あ、や

          「ない」から「ある」を始めよう。

          らしくいたら、いいと思うんだ。

          新年早々に いろんなことが起きて 情報を見てザワザワした人多いと思う。 不安だよね。 心配よね? じゃぁ、なんで見るの? わざわざ、自分の感情をざわつかせることよりも そういうときほど 「いつも通り」を大事にしたらいいとおもう。 そんなとき、何をやったら「いつも」に戻れるかな? それだけを考えて 自分を丁寧に扱うことを意識した方が よっぽどいいっておもう。 そんなときほど 「みんなで力を合わせて!」 「祈りましょう」 なーんて言葉が飛び交えば飛び交うほど そ

          らしくいたら、いいと思うんだ。

          振り返り、立ち止まろう。

          明けましておめでとうございます。 去年は多くの方々に見ていただいて、本当にありがとうございます。 今年もゆるゆる、適度に呟こうと思いますので どうぞ宜しくお願いします。 さてさて。 新年1発目のnoteにいうのもなんだけど 実は…… 最近は画面の前に立つのも億劫なぐらい 私はここ数日ずぅーっと、頭が眠くて眠くて。 ずっと休む、だった。 休む、って私にはとっても大事なことなんだけれど けど年末はなんだか休んでばっかで申し訳ないなぁってなって その度に勝手な罪悪感で頭

          振り返り、立ち止まろう。

          すっごくなくても、大丈夫

          前にすごいは誰でもなれるって書いたけれど 逆もまた、すぐなれるんだよね。 私は昔ねぇ。 「すごいにならなきゃ!」って思って生きてきたことがある。 それは 大前提として【お母さんに褒めてもらいたい】があったから。 子供の頃からダメダメだと言われ お姉ちゃんなんだからしっかりなさいがデフォルトだった私は 『努力しないと私は愛されないんじゃないか?』 ってのがいつもあった。 だから私は、良い子のフリが今も得意だ。 言い方はあれなんだけどね…笑 だけどそれがあったから生き延

          すっごくなくても、大丈夫

          私なんて…、と言えるじゃない?

          私はよく 自分をいじめていじめ続けてきた時代があって そういう自分と同じ人に、過去何度か出会ったことがある。 その中に 人を褒めるけれど、自分なんて…とよく口癖のように 言って自分をいじめる。 そんなパターンの人にも数人あったことがある。 大抵、自分と似た人がいると 私はあんまり関わり合いになりたくないなぁと 避けてしまいがちだったけれど 今考えると そんなタイプの人たちって 《それだけ自分を大事に思えてる人》でもあるんだよね。 人には愛は全くないけれど(マニュアル

          私なんて…、と言えるじゃない?

          すごいなんて、誰でもなれる。

          最近ずっと自分を観察してきて 思いついたら、色々やって見てるんだけれども こんなタイトルにしたのは 私自身が「すごい!」って褒められたので印象的だったのが ただ 【指定されたものを直ぐに実践した】 それだけだったんだ。 そんな 自分からしたら些細なことも 他人からすればやっただけで「すごい!」となるんだったら (じゃぁ 実践すれば誰でも直ぐすごいになれるじゃん?) とは 内心その時思っていた。 …同時に (じゃぁ、それやってすごいになったらいいじゃん?) と

          すごいなんて、誰でもなれる。

          自分を責めてばかりだった

          最近、落ち込むと自分責めが再発している。 あれだけ向き合っても どっかで自分いじめ楽しいからしちゃうんか? いやもうしたくないなぁって思うから ここ数日はずっと毎日が自分観察の毎日の積み重ね。 そういえば 私は小さい頃から いい子の仮面をかぶるのだけはやたらうまかったなぁ。 と思うと 大人になってからはめんどくさいことに このクセはなかなかの曲者で、うまいことやりくりするのだけは 上手になってったなぁ、と。 で、なんでこの話を思い出したかって 私はそこができないとやた

          自分を責めてばかりだった