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「君たちはどう生きるか」今更、焦って映画館に観に行った理由。

宮﨑駿が書いた一冊の本を読んで、映画館にいかなければと思った。

先日、宮﨑駿が書いた一冊の本「虫眼とアニ眼」を読みました。

ジブリの映画は小さい頃から人並みに観てきたけれど、彼が何を考え、何を伝えたくて映画を作っているのか知りませんでした。

子どもたちはどうなんだろうということを、いつも思い浮かべて生きている」。

「基本的にアニメーション作ってて一番最後に残るのは、子どもを楽しませたいという気持ちですね。ただ、それだけなんです。」

ずっと、子どもたちのことを考えて、映画を作ってきたのです。

そう知ったとき、初めて「ジブリ」ではなく「宮﨑駿」のファンになった気がして、そんな彼が今どんな作品を作ったのか、非常に気になってきました。

ということで、公開からしばらく経つ「君たちはどう生きるか」を映画館で観なきゃ、と焦って観にいったわけです。(まだやっていてよかった・・)

賛否両論と噂の本作でしたが、私はものすごく好きな作品でした。もしかしたらジブリの中で一番好きかもしれません。
なぜそう思ったか、そして映画の感想を書きたいと思います。

ここからは考察と、ネタバレを含みます。尚、映画を一度しか観ていないので(特に妊娠の部分)間違っている部分もあるかもしれません。

本人からどう見えているのか。どう感じているのか。それを宮﨑駿は表現している。

前述の本を読んだとき、「千と千尋の神隠し」の終盤で、千とカオナシが電車に乗るシーンについての解説があります。「あの電車に乗るシーンを描けてよかった」と。

他の乗客は影で描かれているのですが、その理由として「自分が初めて何かに乗ったとか、何かドキドキしているときにまわりがどうだったかっていうのは覚えていないですよ。覚えていない世界をつくるにはどうしたらいいかって考えた。要するにその世界では人間は影なんです。」と言っていて、なるほどな、と思いました。

だから、「本人からどう見えているのか」を表しているシーンがないか?を考えながら、今回の映画を観てみました
すると、今までよりもジブリをグッと深く理解できたような気がしました。

当然のことかもしれませんが、アニメに無駄な表現、シーンはありません。なんなら泣く泣く作ったシーンを削ることもあるそうです。ということで、よくわからない部分でも、何かそうした意味があるはずです。その意図を考えながら見ていくと、ジブリはより一層楽しめる気がしました。

自分の子どもは今1歳で、これから大きくなっていき、まだまだ何度もジブリを見ていくことになると思います。自分がそうしたように、来週の金曜ロードショーを楽しみにしたりしながら。(ちなみにアニメを観せすぎないで、と宮﨑駿は言っていますが…。笑)
同じような方にも、ぜひ宮崎駿が書く本を読んでみてもらいたいなと思います。

映画の評価が分かれるという前情報。自分はすごく好きな作品だった。

観終わった後、どの点で評価が分かれたのかがはっきりとわからず、ネットで検索してみたところ「ずっと退屈だった」という感想がありました。

そこで私が楽しめた理由を考えてみると、時代設定が昭和の日本である「自分の好みのタイプのジブリ」だったからかもしれません。

戦時中の日本が舞台でありながら、ファンタジーとも繋がっている。

私が好きなジブリの映画は「コクリコ坂から」や「風立ちぬ」。ファンタジー系よりも、昭和のあたりの日本を描いた作品が好きです。

特に「コクリコ坂」を観ると感じるのは「この時代に生きてみたかった」ということ。振り返ると「東京物語」を代表とする小津安二郎監督の映画を観た時もそう思いました。私が好きなのは、昭和の日本の風景や文化、流れている空気なのだと思います。だから自分には刺さったのかな、と。
特に宮﨑駿の描く昭和の日本は魅力的に感じます。

今作は内容はほぼファンタジーではありましたが、昭和の日本とファンタジーが繋がっている、というのが面白いと思いました。
他にもこういう作品あったかな?「千と千尋の神隠し」はファンタジー要素もあるけれど、千尋はもっと「最近の子供」という現代的な部分がありました。あ、トトロはそうかもしれません…!

ファンタジー要素の謎はそこまで気にならず。自分にヒットしたのは地味な部分だったかもしれない。

例えば石の存在であるとか、産屋とか、墓とか、一度観ただけでは理解できない部分が多々ありましたが、そのあたりはそこまで深く追求したい気持ちにはなりませんでした。
元々知識として詳しくないからなのか…単純に趣味の問題なのか…は、今はわかりません。

振り返ると、「ハウルの動く城」や「天空の城ラピュタ」を観た時もそうだったので、もちろん映画としておもしろいと思うのですが、理解できない部分があってもあくまでファンタジーであると自分の中で割り切ってしまっているのか…。

それよりも作中の随所で考えさせられることがあったので、ずっと退屈せず観ることができ、終わり方もきれいにまとまっていたと私は思いました。
そう考えると、自分にヒットしたのはどちらかというと地味な部分なのかもしれません。

助けなければいけない人物も、助けてくれる人物もどんどん増える。その度に自分の視点も変わる。

夏子を助けなきゃ、から始まり・・・え、犠牲者増えてる!!?さらにはこの人も助けなきゃいけないの!?とびっくりもしました。笑

その度に、人間なら人間の、鳥なら鳥の、それぞれが暮らす世界が見えて。
段々と客観的になり、自分が中心になって物事を考えていることに気がつかされます。
ペリカンの視点にも、ワラワラの視点にも、敵として描かれるインコの視点にもなり、私たちは生き物を、命を食べて暮らしている、ということを改めて考えさせられました。
一体何が正解なんだろう、どの選択をするべきなのだろう。

それは必ずしも悪なのだろうか?自分に都合が悪いというだけで、判断していないか。

ワラワラを食べるペリカンは悪なのか。

「ワラワラ」を食べてしまうペリカンのことを、主人公は悪だという。
でも、もう飛べないペリカンは、それを食べるしかないのだと言い、死ぬ。
その話を聞いた後、主人公はペリカンの墓を作る。

すごく印象的なシーンで、その後敵として出てくるインコの印象を変えました。

自分を食べようとしてくるインコは悪なのか。

自分を食べようとするインコたち。最初は敵だ、悪だというように見える。
でも、食堂で食事をしたり、家で子どもと食事を作る母親のようなインコたちが映る。
そこには彼らの世界があり、暮らしがあることに気がつかされる。
インコから見れば、人間は敵であり、食糧でもある。
生きていくために食糧が必要なのは同じだ。
最後、世界が壊れそうになり、インコたちが慌てて風呂敷を抱えて逃げようとする部分は、冒頭の戦火のシーンとも重なる。

人間と同じなんだ、と観ながらずっと考えて、複雑な気持ちにもなりました。

なるべく多くの人が助かるためには、多少の犠牲は仕方ないのだろうか。

ワラワラがペリカンに食べられるのを助けるシーン。「このままだと全部がやられてしまうから、多少のワラワラの犠牲はしょうがない」と言っているように見えたのが、少し心に引っかかりました。

わざとらしいような、デジタル表現の取り入れ方が面白い。

映画全体を思い返した時、印象をつけたい部分にだけ、わかりやすく、なんなら「わざとらしく」デジタル表現を使っていたように思いました。

序盤の病院が燃えるシーン。火の動きや、主人公が火事に気がつき階段を駆け上がるとき。
物語としてはいきなり母親が死ぬわけで、早々に泣きそうになりましたが、その表現で一気に映画に引き込まれました。

他にも、夏子たちと家の中を歩くばあやの動きは、コミカルというよりは気持ち悪く描かれていたように思います。

自身の作品のセルフオマージュという視点で、もう一度見直したい!

他の方の考察を読ませていただき、特におもしろかったのが、自身の作品のセルフオマージュが散りばめられている、というものです。

例えば、なんだかやけに特徴的だなぁと思った父の会社が作る戦闘機の部品。確かに、明らかにオウムの目の殻だ!
その視点で見たら、ものすごく面白いと思いました。ぁあ、もう一回観たい…!!

おまけ。最後に、気になった部分を3つ。

これは映画を見直したら考えが変わるかもしれない、記憶違いかもしれない…と思うのですが、率直に感じたことを書きました。

①妊娠しているお腹をあまり映していないような気がした。

・途中から、微妙にお腹の部分だけ映らないようになっているような気がした。
その視点で振り返ると、全身のシーンでは常に手でお腹を触って(お腹を「隠して」いるようにも思えた)いたり、後ろ姿が多かったり、上半身で見切れていたり、妙に後ろ斜めの角度だったり。
また、元の世界に戻った途端に全身が写った、という風にも感じた。

でも全てがそうだったかはわからないし、冒頭の出演シーンではおそらく全身が写っていたはず。(逆に、主人公にお腹を触らせて赤ちゃんの存在を認識させた後からそうなっていたかもしれない?)
屋敷に着き、ばあやを連れてスタスタと歩く横向きのシーンもあったと思うし・・考えすぎかもしれないけれど、その視点でもう一度映画を見直したいと思った。

・妊娠している、ということをわかりやすくするならもっと大きなお腹を描くと思う。「魔女の宅急便」のおソノさんのような。でもそうではないので、もっと違う意図があるのだと思う。
そう考えると「実母が亡くなった後のすぐの妊娠」というのが重要で、強調したかったのか…?
つわりや胎動の時期は個人差は大きいものだけれど、結局は「どれを一番に表現したかったのか」が気になった。

・お腹を隠しているというわけではなく、お腹が目立たない時期であるため、触っていることで妊娠をわかりやすく表現しているのか?お腹が大きいとそこまで早くは歩けないし、物語のテンポも変わってくるかもしれない。
色々と考えると…単純に常に赤ちゃんを気にかけて守っているということかもしれないし、結局そこまで深い意味はないというか、意図していないのかもしれないとも思える。

・「実母が亡くなった後のすぐの妊娠」ということで、父親を嫌な感じで描くと最初は思ったが、全くそうではなかった。
主人公のことも、夏子のことも愛しているように見える。主人公が転校先でもやっていけるように安心させようとしていたし、二人が行方不明になったとわかれば、奇妙な噂の塔にいると聞いてもすぐに助けに向かった。むしろカッコ良かった。(そして声がキムタクである。)

・妊娠を伝えるなら、もっと慎重にやるものではないのか、それもなんだか不自然であったように思う。
新しい母親からではなく、父親が事前に伝えるという方法もあったと思う(そういう時代ではないとか?)。
夏子の様子を見ていると、優しく慎重なタイプというか、主人公とうまくやろうとしているように見えるのに、伝え方が乱暴な印象があった。

②母親から残された本にはどんなことが書いてあったのか。

読んで涙を流していたけれど、どんな内容だったかはわからないので気になった。調べると作品の理解がもっと進みそうだと思った。

③トイレのシーンがなぜ2回もあるのか。

家に帰ってから気づいたのだけど、そういえば主人公がトイレに行くシーンが2回もあったな、と不思議に思った。物語の展開上、トイレではなくてもよかったような気もするし(不自然ではなかったけれど)、何か意図があったのだろうか。


ということで、長くなりましたが、上映後の興奮のままカフェに直行して感想を書きました。

映画のレビューはとても難しくて今まで中々挑戦できず…というのも、本のように途中で付箋を貼ったりもできないからです。でもその分、観終わった後でも印象に残っているものを、今日は書いてみました。

映画館に行くのは本当に久しぶりだったのだけど、誰かと観に行って、感想をあーだこーだ言いたかったな。あの時間がまた楽しいんだよなぁ、と思い出しました。
彼の作るアニメがまだまだ見たい。今作が、彼の遺作とならないことを願います。

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