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大学院 博士課程進学、とは

ゆーです。

突然ですが、博士課程って進学すべきなのでしょうか?

以前から言ってますが、ボクは綺麗事が好きではありません。
なので、「良いことしか書かないのは違うんじゃないの?」って思っちゃいます。
かといって、「否定的なことしか言わないのも、それはそれでどうなの?笑」って思いますね。

というところで、今回は博士課程について少し書いてみます。

まず、最初に言えるのは、博士課程ってキツいです。笑

研究で成果を出さないと卒業できないし、研究室でマネジメントも担うことが多いし、生ぬるいレベルだと先生からのプレッシャーもある(先生からのプレッシャーがない研究室は、やめておくべきと思ってます。ただ、ハラスメントだけはお気をつけください、意味が違います)。

ただですね、このキツさって修士課程なら社会に出てから味わわないと、当然ながらレベルに差が生まれてきます。
自分が会社に入ってから実感しますね。
でも、会社ではなかなか体験できない
そうなると、自分で環境を設計して、そういう状況に身を置かないといけない。

博士課程を出た人の入社1年目と、修士課程で入社した人の4年目は同い年に当たりますが、雲泥の差があると感じます。
それぐらいに博士課程を経て得た成長は大きい
(もちろん、どちらにも例外はいますけどね。笑)

思考回路が違います。
会社のことを理解してるのは、やはり先に入社した修士課程の方なんですが、そんなものは1年もあれば追いつきます。
そもそも仕事の行き着く先に対する考え方など、見える範囲が違うため3年もすれば歴然とした差が見えてきます。

修行と思って進学するのはありですね。

一方で、学費を払って行くところになるので、何年も通ってられない。
結果を出せないと学位も当然もらえないので、そのあとのキャリアも想像できなくなります。
なんでもかんでも手に入る場所ではありません。
モラトリアムの延長と考えて進学すると痛い目を見ます。

社会に出ていくときに、厳しい言い方をすれば「いらないという烙印」を押されてしまうことも…。
(職に就けなくなってしまうこと自体には、問題があると思いますが。)
海外だと定着してる認識のようですが、博士課程はお金こそ払っていくところではあるものの、“学生ではなく仕事をする人”という感覚を持ち合わせる方がいいかと思います。


と、こんな感じなので「博士課程は行くべきだ」とも言えませんし、「やめるべきだ」とも言えません。
個々の覚悟の持ちようにもよりますし、目的意識によっても適性は変わってきます。
でも、能力の違いはそれほど関係ないと思います。
そのほかの要素を考える必要が多分にある。

後輩の進路相談に乗ることも多く、誰にでも進学を勧めることはしませんでした。
目的、金銭面、研究内容、将来像、性格などなど複合的に考えなければいけないので、その人自身を知らないと是非を問われても答えは出せない。

ちなみにボク自身は、修士の時の自分にあまりにも自信を持てなかったので、進学しました。
結果、良かったです。
自他ともに認めるぐらいに変わりましたので。

一つだけ言えるのは、博士課程は“行く価値のある”ところです。
行くべきかどうかは断言できなくても、価値の有無で言えば間違いなく“ある”と言えます。
上でも書きましたが、修行期間みたいなものなので、強いていうなら「自分を律することができるかどうか」これが一番必要だと思ってます。

恩師の言葉に「人間、楽な方に流れやすい」というのが残ってます。

仕事として取り組むべきと書きましたが、そうは言っても学生です。
責任も重くない。
そうなると、どうしても後輩が遊んでいたりすると、楽な方の魅力に誘惑されます。
それでも流されず、卒業後の自分の像と向き合い続けることができるかどうか。
これができれば、専門性に限らずどこでも活躍できると思います。
研究者として強くなるだけでなく、仕事ができる人になりますので。
選択肢として持つ、その価値は十分です。

まさにいま博士課程に在籍してるけど意義を見出せない方、
学部生・修士の学生さんで進路に悩む人、
将来研究者になろうと考えてるけど道の見えない人、
はたまたお子さんが理系の道を歩んでいる方々、
そういう人たちの参考になれば。


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