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「語彙力がない」「言語化できない」ってそんなにダメなこと?【4分】

NHKのテレビ番組、『スイッチインタビュー』の最新回を観た。

出演者は、俳優・歌手の上白石萌音さんと、言語学者の川原繁人先生。

6月14日(金)に放送されたEP1の終盤での、お2人のやり取りが、非常に印象に残っている。

以下が、そのやり取り。(敬称略)

川原:
私の好きじゃない言葉に「語彙力足りない」がある
感動したときに「やばい!」というのを批判する人もいるけど
冷静に言語化する前の感情を否定するのもどうかと思う

上白石:
やばい!ってすごく面白い言葉
あれほど正確に感情を伝えられる言葉もないかも
言い方で全然違う

『スイッチインタビュー』「上白石萌音×川原繁人」EP1

お2人の「やばい」に対する考え方に、まさに私が考えていたこと!と、たいへん強く共感した。

今日は、「やばい」を取り巻く事情、「語彙力」や「言語化」にまつわるあれやこれやについて、書こうと思う。


「やばい」ってダメな言葉なの?

何に対しても「やばい、やばい」と発言する、おもに若者に対して、警鐘を鳴らすような意見はかなり頻繁に眼にする。

個人的には、「やばい」と言うこと自体がよくないというより、程度問題だと思うのだけれど。

先日も、伊東四朗さんが、若者言葉として「やばい」を取り上げて、危機感を示した、というネット記事を目にした。

伊東は「年寄りがそんなこと言うと“うるさい”とか言われますよ」と言いつつも、「若い人が使ってる言葉で、気になることは多いね」と吐露。「一番は、例えば“ヤバイ”です。“ヤバイ”だけはやめてほしい。特に、女の子がしゃべるのは勘弁してほしいなと思う」と打ち明け、「あれ、犯罪者の隠語だからね」と語源を説明した。

Yahoo!ニュース

伊東さんのおっしゃることにも一理ある、とは思う。

ただし、言葉は時代によって変化するもの、というのが私の立場。

たとえば、「天気」という言葉は、「今日はお天気です」のように元々は「天気」だけで「良い天気」のことを表していた。

「天気雨」も、晴れているのに降る雨、のことだ。

でも、今はどうか?

「今日の天気はどうですか?」と中立的な使い方もするし、「今日の天気は荒れ模様です」と使い方次第で「悪い天気」のことも表せる。

言葉は、変化するのだ。

「やばい」の語源が「犯罪者の隠語」にあるにしても、今それを知っている人が、はたしてどれほどいるのだろう?

言葉の語源にまで気をつかって、正しい、美しい言葉を運用しようとする心掛けを否定するつもりはない。

自分自身で心掛けるのは個人の自由にしても、いっぽうで、他人の言葉づかいにまで干渉するのは、ちょっとした違和感を覚える。

人には人の考えかたがあるはずで、それを尊重するのも、ひとつの美徳のありかたなのでは?とも思うからだ。

だから、「やばい」という言葉を極力使わない選択をしている人のことも尊重したい、というのが私の考えかたなのである。

「言語化できない」は悪なの?

近年、言語化できることはすばらしい、言語化できなければ意味がない、言語化できる人が有能な人だ、みたいなマッチョな言説があふれているように感じる。

私ユミヨシは、こうやってnoteを書いていることからもお分かりのように、比較的言語化が得意なタイプの人間だし、周りからもそう思われているっぽい節がある。

だからといって、言語化に関するマッチョな言説に賛同できるわけではなくって、私とてかなりの息苦しさを覚えるし、言語化が苦手な方からしたら、その気持ちはなおさら深刻なものであろうと想像している。

ひとつ、忘れてはならないことがあって、それは、言語化する前の段階として、「感じる心」の存在、その豊かさが不可欠だということだ。

何かを見て、聞いて……、からだぜんぶで体験して、感じる。

その感じたものが、あまりに豊かで、あふれてしまって、ぴったりくる言葉が見つからない、思わず「やばい」と言う。

こんなことも、きっとたくさんあると思う。

「やばい」しか言葉が出てこなくても、「感じた心」はたしかにそこに存在するし、豊かにあるし、言語化できなくても、しなくても、それでじゅうぶんなんじゃないかって、思いたくなる。

それでも、どうにかしてその心を言語化したいのなら、それはまた別の論点だ。

三宅香帆さんの『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』という本あたりが参考になるはず。

(※アフィリエイトではありません。)

おわりに

今日の短歌

白紙では塗り絵にならず黒線の導きあって鮮やかになる/弓吉えり


真っ白な何も描いていない紙で、塗り絵はできない。

それだけでは物足りなく見える、でも絶対に必要な、黒線で囲まれた絵があって、はじめて色を塗る、という行為が生まれる。

ひとつひとつ、丁寧に色を塗っていったら、いつしかそれは鮮やかな1枚の絵になってゆく。

きっと、心と言葉の関係もそう。

感じる心を大切にして、その心があるから、言葉にする、言語化することができる。

どちらのほうが大切とか、そういう話じゃなくって、どっちも同じくらいすごくすごく大切で。

だから「語彙力がない」ことも、「言語化できない」ことも、そんなに悪いことじゃない、むしろ今のあなたを大切にして、と願うばかりで、今日も私は生きている。

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