「アメリアの花」第12話

第十一章 その後

 今日はこれから出かける予定がある。
たくさんの人が出席するパーティに、僕が呼ばれたからだ。僕の絵を買ってくれている人が主催でパーティーを開くため、来たらどうかと誘われたのだ。しかし、知っている人がおそらく、主催者しかいない。パーティーに行くのはいいが、人がたくさんいるところはどうも苦手だ。
そんな時、つまり僕は緊張してしまうときや人生を左右するような出来事がある時は特に、必ず持っていくと決めているものがある。それは、あの日手に入れた宝物。いろんな色に変化する不思議なビー玉だ。僕はそのビー玉を、不安な時やここぞという時に見られるように、小さな巾着袋に入れて持ち歩いているのだ。
このビー玉は、僕が十八歳の時に経験したことが現実だったということを示すもの。そして、その時の僕の決意を忘れないためのもの。もう記憶は色あせて、思い出せない部分もあるけれど、これを見るたびに僕が決めた道を思い出す。
 僕はあれから絵を描くことを本格的に始めた。本や画材を集め、いろんな絵を描いていった。周りのみんなは大学に進学したけれど、僕だけは大学に行かず、美術の専門学校に行った。だが結局、途中で中退してしまった。もっと自分の好きなように、のびのびと絵を描き続けたかったから。
 それからというもの、絵を描くだけでなく積極的に展示会に参加したり、インターネットに作品を載せたりと、地道な努力を続けてきた。専門学校を辞めてからはずっとアルバイト生活を続けていたのだが、絵の仕事でもなんとかやっていけることになり、つい先月辞めたばかりだ。
 専門学校をやめることを聞いて、父さんに説教されたときも、僕の作品が認められずに苦しいときも、心が折れそうになったときも、数えてみればそんなことは何度もあった。でも、僕の頭の中には、あの日見たイメージがずっと心に残っていたのだ。
たくさんの人の前で、僕の作品を前に話をするイメージが。僕の中のイメージは、もうすでにぼやけたものになってしまっていたが、あの日見たものを信じ続けたおかげでここまで来れた。
 小さな巾着袋に入れたビー玉を、今日も手に出して眺める。あの時と変わらず、さまざまな色に変化していき、何度見ても飽きない。もちろんあれから紗雪に会うことも、アメリアの世界の僕に会うこともない。紗雪とさよならしてから、すでに八年の月日が経ってしまった。
そんな昔のことを思い出しながら、ビー玉を巾着袋に丁寧にしまいなおす。そして、ネクタイを締め、僕は家を出た。
 外に出ると心地よい風が吹いてきた。道端にはあの時と同じ、タンポポの花が咲き誇っている。この季節になると必ず、アメリアの世界で見た、スカイブルーの花を思い出す。僕の頭の中にあるアメリアの花は、いつまでも色あせない。
アメリアの世界の僕は、今、一体何をしているのだろう? そんなことも考える。
お笑い芸人になって、日本中を沸かせているだろうか。
 ……お笑い芸人。
ふっ。
自分がお笑い芸人をやっていると考えると、どうしても笑ってしまう。でもきっと、アメリアの僕もその世界で頑張ってくれているのだと思う。
 ふと時計を見ると、電車に乗る時間が迫っていることに気づく。そこからダッシュで駅へ向かう。時間ぎりぎりに行動するのは、あの時と同じで結局直らなかった。でも、今はそれでもいいと思っている。
アメリアの僕だったら、時間に余裕を持って出かけているんだろうな。そんなことを思いながら、駅までの道を走り抜ける。
無事電車の時間に間に合い、改札を通って電車に乗ることができた。
今日はどんなことが待っているのだろう。
専門学校をやめるときは家族ともめたが、今は父さんも、母さんも、浩太も、僕の活動を応援してくれている。本当に心強い。
僕たち家族も、あの時から不思議と変わっていった気がする。家族で話す時間も増え、笑顔が増えていった。僕は今一人暮らしをしているが、それでも頻繁に実家に帰ったり、電話をして話をしたりと、家族とは良好な関係が続いている。
浩太も今は高校で数学の教師をしている。そこで、野球の顧問もしているようだ。つまり、あれから浩太も自分の進みたい道に進んでいったということ。そんな浩太を、僕は誇りに思っている。
降りる予定の駅に着いた。そこからパーティー会場へと向かう。歩いてすぐのところに会場があるそうだ。地図を見ながら会場へと向かう。
パーティーに出席するというのは初めてで、とても緊張している。実は何のパーティーなのか、知らずに参加するのだ。
『君の絵を飾っておくから』
ただそれだけを伝えられて招待状が届いた。招待状をくれた人というのが、僕の描いた大作を初めて買ってくれた人。その人とはそれからも何度か会う機会があり、その人はそのたびに僕の作品を買ってくれていた。そして、今回のパーティーに招待してくれたのだ。
僕は人が多いところが苦手だから、隅の方でひっそりとしていよう。……そう思っている。
ふと、再び昔のことが思い出される。あの日見た僕には、いつかなれるのだろうか。こんな調子じゃ、いつまでたってもあの僕になれそうにない。
そんなことを思う。人がたくさんいるところが苦手な僕が、みんなの前で話をする。……考えただけで身震いがする。
僕が見た未来が叶うかどうかは分からない。紗雪もそう言っていた。たくさんの可能性があるからだ。でも、割と近いところには来れたと思っている。一応、絵を描くことで生活ができるようになったし、大きな企業から絵の依頼も、少しずつだが来るようになってきたからだ。
……きっとこれから経験することができるのだろう。僕はため息をつくと、巾着袋の上からビー玉の感触を確かめた。

会場に着くと、受付の人に招待状を見せるように言われる。
パーティーなんてものに参加するのは初めてで、何をすればいいのか分からず戸惑ってしまう。受付の人に言われるままに、受付表に名前を書いた。すると、受付の女性が『あっ』と声を出し、『こちらからどうぞ』と入り口まで連れて行ってくれた。
他の人は受付に名前を書き、すぐ近くの入り口から入っていくのに、僕だけが違う入り口に連れて行かれたのだ。
……一体、……なんだろう。
着てくる服装でも間違えたかな、と、自分の服を改めて確かめるが、特におかしなところはない。僕と同じようなスーツを着ている人は何人も見たからだ。
僕だけみんなと違う入り口を案内されたことに対して不安を感じた。だが仕方ない。僕は考えることを諦めて受付の女性に案内された入り口から入ることにした。
扉から中に入ってみると、たくさんの人がいると思っていたその場所には誰一人いなかった。代わりに小さくて暗い個室があるだけだった。これじゃあパーティのパの字もないではないか。
それに、暗い部屋に入ると、ついつい紗雪を思い出してしまうのも、あんなことが起きてからの後遺症と言ってもいい。
紗雪の声が、頭の中でこだまする。
「あなた、すごいわねぇ。こんなにたくさんの人の前で講演するぐらいの芸術家になっている未来があるのよ」
 この言葉は、自分に自信がなくなったときに必ずこだまする言葉。
そう。僕はあの未来を実現するんだ。僕は両手を硬く握りしめた。
それまでは、叶えるまでは絶対諦めない。
僕が両手を硬く握った時、個室のカーテンが開き、タキシードを着た見知らぬ男性が現れた。
「こちらへ。上神達也さん。お待ちしておりました」男性は僕の前で深く礼をした。
「え?」
 僕は訳も分からぬまま前に出ると、カーテンが開き、一瞬会場のまぶしさに目の前が見えなくなった。そしてだんだんと目が慣れていく。
初めに目の前に見えたのは、僕を見つめるたくさんの人たちだった。
訳も分からず、僕は後ずさりしてしまう。
僕を、みんなが、見ているではないか……。
状況が全く飲み込めずあたふたする僕に、タキシードの男性はさらに前に行くように促す。
一体、何が起こっているのだ。
促されるままに舞台の前の方に進んでいくと、パーティーに招待してくれた佐藤さんが、笑顔で僕を見つめているのが見えた。口で、大丈夫、と言っているように見えたが、僕は全然大丈夫じゃない。困った表情を彼に向けると、彼はウィンクを返してきた。
そうじゃないんだけどなぁ、と思ったが、彼はそんな僕の気持ちを全く気にもしてないようだった。
僕は舞台の前に立つと、佐藤さんがマイクを持って話し始めた。
「さぁ、登場してくれた彼が、上神達也さんです。僕の大好きな絵を描く人だ。今日は彼の絵をぜひ、みなさんにお見せしたいと思ってね……。……本当に素晴らしい絵を描くんだよ」佐藤さんはそう言うと、僕の肩を優しくポン、とたたいた。「じゃあ、カーテン、お願いね」
 その声を合図に、僕の後ろにあったカーテンが引かれていく。
舞台に、僕が以前描いた絵が、姿を現した。
 その絵は、アメリアの花畑に紗雪が空を見上げて立っている姿を描いたものだった。そのアメリアの絵を中心に、佐藤さんが買ってくれた僕のさまざまな絵が、周りにも飾られていた。
「上神君、本当に驚かしてすまないと思っている。……サプライズだったんだよ。今日は、君のためのパーティーなんだ。上神君の絵を披露するパーティー」佐藤さんは笑顔で話をしている。
しかし、僕はまだ状況を把握できていない。
「えっと……」
「はは、そうだな……。驚かせたうえに申し訳ないが、無理を承知で、ここでみんなに、一言、お願いできないかな」
「えっ、そ、そんな、僕が……」
戸惑う僕の前に、タキシードの男性がマイクを持ってくる。
どうしよう。何を話せばいいのだろうか。そんなことを考えて頭が真っ白になる。しかし、マイクは僕の手に握られてしまった。僕は仕方なく、自己紹介をすることにした。頭は真っ白のまま……。
「え、ぼ、僕が、この絵を描いた、上神達也です。このようなパーティーにお招きいただき、か、感謝しています」
 それだけ言うと、助けを求める目で佐藤さんを見た。
佐藤さんは、さっきから変わらず笑顔を僕に向けている。
違う違う! 僕は助けてほしいのに……。
「……じゃあ、私の一番のお気に入り、この、『アメリアの君』という絵について、少し教えてくれないかな」僕が話をしないので、佐藤さんが話し始めた。「……この絵は、どうやって描かれたのかな」
 これは僕がアメリアの世界と、紗雪のことを忘れないために描いた絵だ。……でも、そんなことは言えないのは分かっている。僕は少し考えた。たくさんの人の前というだけで気が動転しているのに、佐藤さんの質問で、さらに頭が真っ白になる。何を言えばいいのだろう……。
「……え、えっとそうですね、この人物は実在している人で、でももう会えない人なんです。この花はアメリアという花」僕はそう言うと、一度深呼吸をした。「……架空の花なんです。スカイブルーがとてもきれいで、それが一面に咲いていたらどんなに美しいかと思って描きました」
 おぉ~、と歓声が聞こえる。何の変哲もないことを言ったはずなのに、歓声が沸く。それだけで僕はしり込みしてしまう。
早く、この場から立ち去りたい……。
「素晴らしい。本当に素晴らしいよ。……この絵は……」佐藤さんが誇らしげに絵を見つめる。「……他にもね、素敵な絵がたくさんあるんだよ。ぜひ、今日のパーティーで見ていってほしい」
佐藤さんはそこまで言うと、再び僕を見てにっこりと笑った。
「……さて、今日はもう一つ、サプライズがある。実はね、僕は君のスポンサーになりたいと思っているんだ。君の絵は素晴らしい。ぜひ、日本だけでなく、海外でも活躍するアーティストになってもらいたいんだ」
笑っていた佐藤さんの表情が、真剣な表情に変わる。
「……だからこそ、こうしてみんなの前で話すことにも慣れていってほしい。もちろん、イヤだと言われれば仕方がないが。……どうかな。僕が全面的にバックアップするから……」
 佐藤さんの言葉が終わると同時に、会場で拍手が沸き起こった。
佐藤さん、そしてパーティーに出席するすべての人の目が、僕に注がれている。
今初めて聞いた話だ。驚きと緊張で、何も考えられない。
『お願いします』
その言葉はすぐに浮かんだが、何しろたくさんの人の前だ。それだけで、声が引っ込んでしまう。
僕は深く深呼吸をすると、声を発した。
「ぜひ、お願いします。そんなことになるなんて、思ってもみなかったので……本当に嬉しいです」僕はもう一度深く息を吐いた。「……でも、サプライズ、多すぎですよ、佐藤さん」
 少し困った顔をして言うと、会場がどっとわいた。
佐藤さんも笑っている。そして、拍手がより大きくなった。
「それは良かった。その返事を聞いて、僕も嬉しいよ。はは、でもそろそろ足が震えすぎて倒れてしまいそうだね。一言、また最後に挨拶だけもらって、あとは自由に交流を始めよう」
 佐藤さんはそう言うが、最後にまたもう一言か、と身構えてしまう。
……何を話せばいいのだろう、と思いながら重い口を開いた。
「えっと……今日はパーティーに来ていただき、ありがとうございました。えっと本当に驚いていて……」僕は再び深呼吸をした。「……これからも、たくさんの絵を描いていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします」
 僕はそう言うと、丁寧にお辞儀をした。そして改めて会場を見渡す。
すると、奥の方に小さな窓があるのが見えた。そこに人影も見える。少し遠くて見にくいが、僕はその窓がどうしても気になった。遠くに見える窓を目を凝らしてよく見てみると、そこにいたのはなんと、僕と……紗雪であった。
ハッとした。
ここでやっと、僕が紗雪と別れる最後の日の出来事と重なったのだ。
僕は、あの時の未来にいるのだ。つまり僕が望んだ、あの日見た未来を実現することができたということ。自分の手で、掴むことができたんだ。
「上神君、ありがとう。それでは下に降りてきてくれないか」
 佐藤さんの声にはっとする。
僕は慌てて舞台を降りると、佐藤さんが笑顔で待っていてくれた。だが僕はあの窓が気になって仕方がない。背伸びをしてもう一度窓の方を見てみると、その瞬間に窓は消えてしまった。
誰か、気づいた人はいるだろうか。……いや、いないだろう。みんな反対の方向を、僕を見ていたのだから……。
「いやぁ、悪かったねぇ。これから、こういうのにも慣れていってもらわないとね。スポンサーの件、ありがとう。君は絶対、海外で活躍するほどの才能があると思っているよ。大丈夫。絶対成功するよ。よろしく、頼むよ」
そう言うと、佐藤さんは笑顔で右手を差し出した。
「いえ、こちらこそ。本当にびっくりしましたけど……、でも本当にありがとうございます。よろしくお願いします」
僕と佐藤さんは固く握手をすると、僕を連れて佐藤さんの親しい人、それも、有名な会社の社長や、すでに多方面で活躍しているアーティストを紹介してくれた。
 初めは驚きでいっぱいだったけれど、本当にとんでもないところに来てしまったのだということを、じわじわと実感していくことになった。

訳も分からないまま、あっという間にパーティーの時間は過ぎた。
 パーティーが終わると僕は会場を後にし、家へと帰って行く。家に帰るまでの道のりも興奮は収まらず、ずっと心臓がドキドキしていた。
終わったばかりなのに、もうすでにパーティーの時間に起こったことの記憶が、ほとんどなくなっている。それほどまでに目まぐるしくたくさんの人と出会った。いろんな業界の人に声をかけられ、僕の絵を褒めてもらった。本当にありがたいことだ。
とうとう、夢見ていた場所に来ることができたんだ、と感動した。ひたすら僕はあの日見たイメージに向かって走り続けてきた。僕はそのイメージを今日、見ることができた。これからは自分で目標を作っていかなくてはならない。
今までよりも、大きな目標を。
家に着くと服を脱ぎ、ポケットからハンカチを取り出した。すると、それと同時に巾着袋がぽろっと落ちてきた。ビー玉がそこからコロコロと転がっていく。
そうだった。今日は胸ポケットに入れておいたんだ。
僕はビー玉を拾って手の上に乗せた。
今日、紗雪にビー玉を返せばよかったかな……。そんなことを考えたが、あの状況で返すのは無理だろう。むしろ、もう会えないと思っていた紗雪を、一目だけでも見ることができて、とても嬉しかった。
 僕は今までこのビー玉を見ながら、あの日見た風景をずっと夢見てきたんだ。
 そう考えると感慨深いものがある。
君の役目は、終わった……。

でも、まだ次がある。

「次は、世界」

 そう口に出すと、心臓がキュウっとするのが分かった。
「大丈夫。きっとできる。だからそれまで、また、ビー玉君、よろしく頼むよ」
 僕はまた、新しい未来のイメージをビー玉に吹き込む。
世界で活躍し、さまざまな著名なアーティストと一緒に活動しているイメージを……。

第1話:https://note.com/yumi24/n/n93607059037a
第2話:https://note.com/yumi24/n/n3bd071b346dc
第3話:https://note.com/yumi24/n/n8a0cdcc0c80b
第4話:https://note.com/yumi24/n/nc8ac115f964a
第5話:https://note.com/yumi24/n/na76adb055d59
第6話:https://note.com/yumi24/n/n6560a9cf543d
第7話:https://note.com/yumi24/n/ne0acc397b084
第8話:https://note.com/yumi24/n/n6c8aa5ee47f2
第9話:https://note.com/yumi24/n/n6c8aa5ee47f2
第10話:https://note.com/yumi24/n/n9d21c65b01ac
第11話:https://note.com/yumi24/n/n884c542a75fd

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