「アメリアの花」第10話

第九章 ここはどこ?

「目を開けてみて。もう、大丈夫だから」
 ……ゆっくりと目を開ける。
すると、目の前には不思議な空間が広がっていた。ピンクのドーム状の壁に、机と椅子だけが並べられており、その椅子の一つには……僕が座っていた。
まぎれもない、僕。選んでいる服も同じで、まるで、鏡を見ているような、そんな感じだ。
「僕……もしかして、アメリアの世界の?」僕は思わず僕に駆け寄った。
「アメリアの世界?」紗雪が何を言っているの? というような顔をして首を傾げる。「……あぁ、アメリアの花が咲いている世界の達也君ってことね。そうよ。……じゃあご紹介しましょう。あなたがアメリアの花の世界の達也君。あなたが、何だっけ? なんていう花だっけ?」紗雪は僕に尋ねる。
「タンポポだよ。タンポポ」
「そうそう、タンポポの花が咲いている世界の達也君」
 紗雪は僕らを交互に見て言った。
「ここが私の住んでる世界で、私が、とってもかわいい紗雪ちゃん。ふふ」
 紗雪は二人を和ませようと冗談を言ったのかもしれないが、その冗談に二人とも、笑えなかった。
言葉なく、お互いを見つめ合う。アメリアの僕は不安そうな顔をしていたが、僕もきっと同じ顔をしていたのだろう。
「……よろしく」声が重なった。
 僕は紗雪に勧められるまま、アメリアの僕の隣の、真っピンクの椅子に座った。そして紗雪は立ったまま、話し始めた。
「……んもう、ちょっとは反応してくれたっていいじゃない……」
さっきの冗談のことを怒っているらしい。でもこの状況で笑う方が難しいじゃないか……。
「……まあいいわ。まず……どこから説明しようかしら。あなたたちは二人とも、上神達也君っていうのは、もう分かっているわよね?。二人とも違う世界に住んでる、同じ人物なの」
再び僕たちは顔を見つめあう。紗雪の言っている意味が、理解できなかったからだ。
そんな僕たちを見て、紗雪は困った顔をした。
「うーん君たち、そこも知らないのか」紗雪はがっかりとした表情をする。「……ねぇ君たち、パラレルワールドって知ってる? 並行宇宙とかって言われたりもするんだけど。……知ってると話が早いんだけどなぁ」
「……うん、なんとなく知ってる。別の次元に存在する世界のことでしょう?」もう一人の達也が答える。
その答えは、僕が知っているのと同じようなものだ。
「そう、そんなものよ。あなたたち二人と、……まぁ私もそうなんだけど、違う次元に住む、同じ人物なの。で、あなたたち二人は違う世界を生きてきていた。考えることも、することも、少しずつ違っていたのよ。……もちろん、あなたたち二人だけじゃなくて、本当に無限の達也君が存在しているの」
 紗雪は普通の顔して話しているが、こういう話は物語の中の話で、現実にそんなものがあるなんて思ってもいなかった僕は、理解しようにも、理解することはなかなかできない。だけど、ここにもう一人の僕がいる以上、それを信じないということも同時にできないのだ。
「……で、今までは良かったんだけど、最近、二人とも同じように、活気がないっていうか、元気がないっていうか。うーん、なんて言えばいいのかしら。……説明が難しいわね」紗雪は困った顔をして頬に手を当てた。「とにかく、このままだったら、あなたたちだけでなく私にも、他の世界のあなたという存在にもあんまり良くない影響が出てしまっていたところなのよ」
 僕たちのせいで、紗雪や他の僕たちに良くない影響が? 初めから理解できない話が、余計ややこしくなっている気がする。
「え? どういう意味? どんな影響が出るっていうのさ」僕は尋ねた。
「……うーん、私も実はね、違う次元の上神達也ではあるのよ。あなたたちと性別が違って、それでもって、技術の進歩も、あなたたちがいる世界よりも何百年も先を行っている世界に住んでいるけど……。……まずここまでは理解できる?」紗雪は僕たちの顔を交互に見つめて言った。
「同じって、本当に紗雪も俺なのか?」僕は言った。
もう一人の僕はほとんど僕と言っていいほど似通っているのに、紗雪とは性別も、おまけに住んでいる世界も違う。パラレルワールドの同じ上神達也だと言われても、まるで信じられない。
「そうなの。そういうこと。違う世界で違う人間だけど、私は君たちのお父さんとお母さんの子供なのよ。……そう、ちなみに弟は浩太っていうのよ」紗雪は笑う。
「え?」僕もアメリアの僕も二人で驚いた。
 その顔を見て、得意げな顔をする紗雪。
「ふふ。そう……。つまり、私はもっと進歩した世界の上神達也が、女だったバージョンってわけよ」紗雪は視線を部屋に移す。「……あぁ、そうそう。この場所が、私の部屋なんだけどねぇ。……ちょっと変わってるでしょ? どことなく、未来的な感じがするでしょう?」
 ……未来的って言うか、悪趣味って言うか……。そう頭の中では考えたが、口に出すことはやめておく。僕は紗雪の次の言葉を待った。もしかしたらアメリアの僕も同じようなことを考えているのかもしれない。そう思うと笑えてきた。
「ん? 二人ともどうしたの?」紗雪が尋ねる。
 二人ともということは……。アメリアの僕を見ると、彼も笑っているのが分かる。きっと同じことを考えていたんだろう。
「なんでもない」二人で否定した。
「なんか……気持ち悪いのぉ。……まぁいいわ。話を続けるわよ」紗雪はそう言うと、ふぅ、と息を吐いた。「まぁそれで、最近私自身がとっても無気力になってきちゃって、未来を悲観するわ、過去を後悔するわで、前に進まなくなっちゃったのよ」
 紗雪はそう言うが、僕なんてそんなの日常茶飯事だ。何がいけないというのだろう。僕がそう思っていると、それをキャッチしたかのように話し始めた。
「いい? そんなこと、今までなかったのよ。未来を悲観するなんてこと全然なかったから……。心は前に進みたがってるのに、無意識の部分で動けなくて。おかしいなぁと思って原因を探したわけ。ちなみにこの世界ではそんなの、コンピューターでちょちょいっと調べれば一発で分かっちゃうわけよ。それでね、調べてみたら、あなたたちが原因だって分かったの」紗雪は僕たち二人を交互に指さす。
 僕たちは話を聞いていることしかできない。全く理解できないからだ。
「コホン。……えっとね、パラレルワールドに住む私たちは、違う世界にいるけど互いに影響しあっているの。まず私が住んでるこの世界にいる人たちは、自分の生きたいように、自分の人生を決めて生きている。あなたたちの世界には常識とかルールとかなんだかめんどくさいのがあって、そのおかげでいろんな行動とか選択が制限されちゃってるんだけど、私がいるこの世界には、そんなものはないわけ。だから、本当に自由に生きているのよ。誰が何を言おうと、自分の道を突き進む! 自分の決めた道を生きていくのが当たり前の世界なの。でも、あなたたちの世界って違うでしょ? まず、親がいて、学校があって、社会があって、えっと……国があって。その中で自分が選ぶべき道は、みたいな感じで自分の人生を選んでる人がいっぱいいるでしょう? あと、『普通』って言葉に縛られてる人が多いのなんのって……」紗雪はげんなりした顔をしている。「いい? そういうのがこの世界には一切ないわけ。ね。学校だって、国だってないわよ。地球って縛りもないわよ。他の惑星の生き物だっているんだから。もうそれはそれは、地球に住む人、宇宙に住む生物も仲間って感じで、みーんな一致団結しちゃってるんだから」紗雪はここまで話してしまうと、首を傾げた。「……あぁ、違う違う。脱線しちゃうわねぇ……」紗雪は首を振り、困った表情をした。「……えっと……ここまでで分からないこと、ある?」
 僕といえば、紗雪の弾丸トークと、話の内容の分からなさに圧倒されてしまっていた。やっと出た言葉は、「大体が分からない」という言葉だった。
「俺も……」もう一人の僕も答える。
「え? うそ。分かりやすく説明したつもりなんだけどなぁ」紗雪は人差し指を顎に当てる。「んー、ま、とりあえず最初に話をして、最後に質問コーナー設ければいいか」紗雪は僕らに質問することを諦めたようだ。ニコッと笑うと、「ふふ。あなたたちの学校みたいねぇ」と言った。
 紗雪は一人で笑っているが、僕たちは笑えない。
「……うーんどこから話そうかしら」紗雪は首を傾げる。「……そうね、じゃあ私に起こったことから話すわね。自由に生きるのが当たり前なこの世界で、二、三年前からどういうわけか好きなことが分からない、何をしたらいいのか分からないって状態になっちゃったわけ……。こんな自由な世界に住んでいるのによ? 何でも可能で、何でも自分で決めて生きていく世界でよ! しかも、この私が!」紗雪は私が、を強調して言った。「この世界では、そんなことはあり得ないわけ。だから調べたの。原因を。さすがにおかしいって。で、さっき言ったように色々調べていったら、パラレルワールドが影響してるっていうのが分かったの。パラレルワールドっていっても、本当に無数にあるのよ。だからその中から私に影響を与えている世界を探さなきゃいけない。でもね、それも調べればすぐわかるのよ。……で、調べた結果、私の世界に悪影響を与えているのが、あなたたち二人だったってわけ」紗雪は僕らを見る。
「……なんとなく、分かった?」
「……うーん、それって本当に俺らのせいなの?」僕は言った。
 紗雪の無気力の原因を、自分たちのせいにされたので、少しムッとしていたかもしれない。
「……そうなのよ。私たちの世界って、混じり合っていないようで、密接に結びついてるんだから。例えばね、こんなことがしたいなとか、こうなりたいとか、夢を持つじゃない。あとはそうねぇ、デジャブがあったり、直感で『こうしたほうがいいかも』なんて思ったりするでしょ? それは、同時に存在しているパラレルワールドからの情報だったりするのよ。例えば絵描きさんになりたいってあなた」
紗雪はそう言って僕を指さす。
「……それは最近思うようになったことでしょう? 実はこのパラレルワールドは未来ともつながっていて、未来に絵描きさんになっているあなたも、このパラレルワールドの世界のどこかに存在しているの。もちろん、お笑い芸人になって世の中を風靡しているあなたも存在する」紗雪はそう言って今度はアメリアの僕を指さした。「ここにはすべての可能性が存在していて、その中で自分が何を選ぶかで、その先の未来が展開していくのよ。……で、今回あなたたちの無気力が、私の人生に大いに影響を与えていたからこそ、この世界ではありえない、しかも、私にはあり得ない、無気力を作り出していたのよ!」紗雪の言葉には熱が入っている。顔が赤くなっていた。
「へぇえ。すごいんだな」僕らは感心する。
紗雪を見ると、なんだか少し、得意げな顔をしているではないか。
「ふん。すごいでしょ。あなたたちの世界で、このことを事実として知っている人は、あんまりいないんじゃないかしら。いえ、いないに決まってるわ……」そう言うと、紗雪はどかっと椅子に座った。「ふぅ。ちょっと休憩。……なんか、飲み物でも飲む?」
 紗雪の問いかけに、僕らはぎこちなくうなずいた。
「ちょっと待ってて。持ってくるから」
 紗雪は部屋を出ていった。
同じ顔の人間が隣同士で座っている。無言の時間が続く。もちろん、お互いが興味を持っているのは分かるから、僕から勇気を出して話をすることにした。
「あのぅ」
二人で同時に言葉を発していた。そして、同時に笑う。
「すごいんだな、本当に俺なんだ」僕は言った。
「うん、俺がいるね」もう一人の僕も答えた。「……握手、してみないか」
 二人は同時に手を出し、握手をする。
「うわーすげー。自分と握手する人なんてさ、いないだろうね」アメリアの僕が笑って言った。
「うん、そうだね。……っていうかさ、こんな状況があり得ないよ。自分がもう一人いるなんて……」
「そうだよな。……紗雪が言うことが本当だとしたら、俺らは違う世界にも、もっとたくさんいるっていうことなんだよね。……何人くらいいるんだろう」アメリアの僕が首を傾げている。
 僕が考えている時は、こんな表情をしているんだな、なんて思う。
「紗雪はあらゆる可能性があるって言ってたから……。うーん、どうだろう。数えきれないほどいるんだろうね」
「そんな世界、本当にあるのかな。信じられないよ。……夢じゃあないんだよなぁ?」
「多分……。だって、俺らは実際にこうして対面しているし……。あっ、お決まりのアレ、やってみるか?」
 僕がそう言うと、アメリアの僕も笑った。僕の考えていた『アレ』はしっかり通じたようだ。
お互いに片手を伸ばし、お互いのほっぺたを抓ってみる。
「いてっ」二人の声が同時に発せられる。
「やっぱり、夢じゃないんだな」アメリアの僕が頬をさすりながら言った。
「違いは……頭の傷、くらいなのかな?」僕は自分の前髪をかき上げると、もう一人の僕が、それを興味深そうに見つめていた。
「わ、本当、ないんだ。……俺の傷も、もうほとんど目立たないけど、ちゃんと残ってるよ」
 そう言うと前髪を同じように上げた。確かに彼の言う通り、うっすらではあるが傷が残っている。
「痛かった……だろうね」
「そりゃ、ね、三針くらい縫ったからなぁ」アメリアの僕は笑っている。
「俺も落ちそうになったことだけは覚えているよ」
「まぁ……。君は落ちなくてよかったな」もう一人の僕が苦笑いする。
そんな話をしていると、足音が聞こえてきた。紗雪が帰ってきたのだ。扉のない壁に穴が開き、そこから紗雪が現れた。
紗雪は両手の平を上に向け、その手の上に、野球ボールくらいの球体が乗っかっていた。……いや、乗っているのではない。浮かんでいるのだ。球体の色は透き通ったオレンジ色をしていて、プルンプルンと手の上で揺れている。
一体何なのだろう。紗雪は飲み物を取りに行ったはずだが……。これが飲み物だということか? そうだとすると、飲み物はコップに入っているのではない。液体が、手の上で揺れている状態なのである……。
「えっ、これ何、コップは?」
僕は、平然としている紗雪に聞いてみた。
「え、コップ?」紗雪はそう言って首を傾げる。
まるで僕が変なことを言っているとでも言いたげな表情だ。しかし紗雪ははっとして言った。
「……あぁ、コップって、そっちの世界にあるものね? その……液体を入れるものってことよね?」
「そう。水を飲んだり、ジュースを飲んだりするもの」僕はジェスチャーで教えてやる。「そんなね、私の世界にはコップなんてものはないの。浮いていていいものは浮いてるのよ」紗雪はそう言うと、ふっと噴き出した。「……何言ってるのって感じよね。とにかく、あなたたちの世界とこっちの世界は全く違うの。あなたたちの世界から、そうねぇ、あと数百年したら同じような世界になるかもしれないけど……。このジュースは、この世界の果物の果汁なのよ。とっても栄養があって長持ちするから、みんな好んで飲んでいるの。ジュースがこうやって浮いているのは、洗い物とか余計なことをしなくていいように、いろいろ調整されているのよ」
 はい、と言って、手渡されたものの、どうしたらよいかわからず、もう一人の僕と目くばせしてしまう。
「あの、これってさ、どうやって飲むの? 第一さ、どうやって持てばいいの」
 僕は差し出された手の前で戸惑う。
「あぁ、そうよね。じゃあね、まず、見ててね」
紗雪はそう言うと、刺さっているストローで飲み始めた。浮かんでいるジュースは、大人しく紗雪の目の前でとどまっている。そして、その野球ボールくらいの球体は、少しずつ小さくなっていき、最後には消えてしまった。つまりすべて、紗雪のお腹の中に収まってしまったのだ。
「はい。これで大丈夫? こうやって飲んでね。そして持ち方。手を出して。その上に勝手に浮かぶから。無理に持とうとしなくていいわよ」
 僕たちが手を出すと、紗雪がそっと手の上にジュースを浮かばせてくれた。
僕の手の上で浮いているオレンジ色の球体。キラキラと光ってとてもきれいだ。紗雪はうん、とうなずき、ジュースを飲むことを促した。
僕らは恐る恐る、ジュースを吸ってみる。
「う、うまい。なにこれ。おいしい」僕は思わず感嘆の声を上げる。
 もう一人の僕も、味に感激しているようだ。
「でしょでしょ! これ、本当においしいんだから。あなたたちの世界になくて残念だと思う物の一つは、このジュースね。本当、そう思うわよ」
 味はオレンジと、モモ、綿あめが入ったような甘さだ。炭酸ではないけれど、ピリッとした刺激も感じた。僕たちの世界にはないような、とても不思議な味。おいしい。おいしすぎてすぐに飲み終えてしまった。
「……これ、僕の世界に持って帰ってもいい?」僕は尋ねた。
「それはねぇ、ダメなの。持って帰れないのよ。それが決まりなの。あなたたちの世界でも、あらゆる物は移動されずにそのままだったでしょ? あなたたちの身体だけ入れ替えていたから。だから。ダメよ? この世界のもの、持って帰っちゃ」紗雪は人差し指を立てて言った。
「そうなんだ。分かった」もう一人の僕が残念そうに答えた。
 しばらく、ジュースの余韻に浸ったあと、僕は気になっていたことを尋ねた。
「……あのさ、もう俺らは入れ替えられることがなくなるってことでいいんだよね?」
 紗雪は僕を見つめる。
「そうよ。もうおしまい。まぁ、また元の無気力に戻って、私の人生にまで影響するようになっちゃったら、あり得るかもしれないけど。でももう大丈夫でしょう。あなたたちはもう、今までのあなたたちではいられなくなってしまったもの。もうね、気づいてしまったら、変わらずにはいられないのよ。……そういうもんなの」
「……ふぅん。それは残念だな。始めは戻りたいと思ったけど、最後の方は結構、楽しかったからさ。……スリルもあって」アメリアの僕が答える。
 僕も、もう入れ替われられないと思うと少し残念に思ってしまった。
アメリアの僕と同じように、最初は元に戻りたいと思ってはいたものの、また何にもない世界に戻ってしまうのかと思うと、物足りない気がしてしまったからだ。今まで何にもなかった日常に、刺激が得られた気がしたから……。
そんな僕の気持ちを察したのか、紗雪はこう言った。
「んもう、またつまらない日常になるのは嫌だって思ってるんじゃないでしょうねぇ。いい? これだけは覚えておいて。つまらなくしてるのは自分だってこと。日常なんて、自分でいくらでも刺激的にも楽しくもできるんだから。あなたたち、ちゃんとやりたいこと、見つけたんでしょう? これからは自分たちで自分の人生を彩っていくの。もう、私に甘えないでよねっ」紗雪はそう言うと、ぷくっと頬を膨らませた。
「わ、わかった。でもさ、例えばどんなことをすれば楽しくなるかな。毎日が」僕は聞いてみた。
しかし、聞いてしまってからやってしまったなと後悔した。みるみるうちに紗雪の顔が赤くなっていく。
「もう! それは自分で探すんでしょ。私に頼らない! 自分で見つけるのよ。自分で探さなきゃ分からないの」紗雪は早口でまくし立てるように言うと、ふぅ、とため息をついた。「……っていうか、少しは分かってきたんじゃないの? 自分のことは誰かに聞いたって、真似したって、結局は『これだ』って思えるものは自分で決めるしかないんだから。……あなたたち、私と同い年よ? ……もうちょっとしっかりしてくれないかなぁ」
 紗雪が、同い年だって?
「え、俺、もう二十歳過ぎてる人かと思ってた」もう一人の僕が答える。
「俺も……」
「えっへん私は、あなたたちと同じつるっつるの十八歳よ。当たり前だけど、誕生日も一緒なんだから」
 つるっつるってどういう意味だ? とは思ったが、この世界の言葉として存在している言葉なのかもしれない。僕はそういうことにして、スルーすることにした。
「もうちょっとしっかりしてね。うーん、でもあなたたちは幸運な方かもしれないわよ。何しろ十八歳で、こんなことに気づけたんだから。人によっては死ぬまで気づかない人だっているからね。自分の中にパワーがないの。ううん、パワーはいくらでも自分の中に眠っている。でも、使おうと思わなければないのも同然なのよ。人間は本来、自分で物事を変えていけるパワーもあるし、誰かに頼らなくても、自分でどうすればいいかを考えるだけの頭があるの。でもねぇ、自分にはそんな力がないとか、自分で考えるよりも誰かに頼った方がいい。自分には分からない。そんな風に思っている人が大勢いるのよ。あなたたちの世界にはね。いい? よく聞くのよ。自分で、自分の世界を変えていく力が、あなたたちの中にはある。……分かった?」
「そうなんだ。……そうは、思えないけど」僕は言った。
しかし再び失敗した、と思う。思った通り、紗雪の目が吊り上がった。僕は紗雪の説教を聞く前に、両手を広げて降参した。
「……いや、分かった。ごめん。自分でやってくよ。大丈夫。やってみせるよ」僕は力なく言った。
でも、本当にそうなのだろうか。僕は、自分で自分の人生を生きていけるだけの力や知恵が、あるんだろうか。
「いいわ。今は信じられなくてもいい。しっかり覚えていてちょうだい。分かる日がきっと来るから」紗雪は真面目な顔をして言った。「……でもあなたたち、最近楽しかったんじゃない? 漫才のDVD見たり、絵を描いたりして……久しぶりに充実を感じてたんじゃないの?」
「うん、確かに。そうかもしれない」アメリアの僕が答える。
 紗雪はその返事を聞いて、安心したようだ。ニコッと笑うと椅子から立ち上がり、窓際へ向かった。……いや、これは窓ではない。ずっと不思議に思っていたのだが、部屋の中はピンク一色の壁に窓の絵が描かれているだけで、他には何もないのだ。
壁のあちこちにボタンがあって、他には僕たちが座っているテーブル椅子があるだけ。言っておくが、テーブルも椅子も、すべて真っピンクだ。これが自分の部屋だったら落ち着かない。どんな趣味をしているんだと思ってしまう。紗雪は違う世界にいる僕であるということだが、それが嘘なんじゃないかと思うくらいに。
 紗雪は壁に描いてある窓にさっと触れた。すると、絵の窓が開いた。絵だと思っていた窓は、いつの間にかちゃんと立体になっている。触れると本物になる窓ということか? 思わず僕らも椅子から立ち上がり、窓に近寄った。
そんな僕らに紗雪は驚いて声を出した。
「え、なになに? ただ、窓を開けただけよ」
「だってこれ、絵だったじゃん……」
 驚く紗雪を押しのけて窓に触れると、やはりそこにあったのは本物の窓である。
「あぁ……。そうね。うん。触ると本物になる窓なのよ」
僕は窓の外を見る。
するとそこには素晴らしい景色が広がっていた。あふれんばかりの緑一色。その中にポツポツと、まあるい球体が浮かんでいる。
「すごい……」もう一人の僕が答えた。
「これ、どうなってるの。進んだ世界だから、大きい建物がたくさんあって、緑なんかないかと思ってた」僕が言うと
「違うわ。進んだ世界だからこそ、緑の大切さを知っているのよ。この家だって、地面に着かないように浮いているの。大切な緑を失くしてしまわないようにね。この世界にはもう、大きな建物とか、人口だってあなたたちの世界の半分もいないわよ。みんな十分に満ち足りているし、何より今が幸せだって知っている。戦争や争いなんて存在しないわ。みんなそれぞれ自分の好きなことをして生きてるし、どんなことだって楽しんでいるんだから」
「そうなんだ。全く想像がつかないな。そんな世界……」僕は答える。
「あなたたちの世界も、きっと同じようになっていくわよ。みんな経験して知っていくんだから。自然だって壊さないと大切なことが分からない。失ってみて気づくものなのよ。でも知ることができたら、もう大丈夫でしょ? この世界の過去だって、いろんな争いや、自然を壊した過去があるの。それを味わい切った……。だからもう、この世界にはそれが必要なくなったのよ」
「そうなんだ。……あれ、そういえば、部屋のあちこちにあるこのボタンって何なの?」アメリアの僕が聞く。やはり僕と同じことが気になっていたようだ。
「あぁ、これね。これはねぇ」
紗雪はそう言って近くにあったボタンを押す。すると、壁から真っピンクのベッドが出てきた。
「ここについてるボタンを押すと、家具が出てくるの。家具が全部壁の中にあるのよ。そうすれば部屋だってそんなに大きくなくても十分だもの。この家自体だって小さくなるし、持ち運びも自由にできるのよ。いつでも好きな場所に、好きな時に移り住むことができるの。あなたたちの世界よりも時間はゆっくり進んでいるし、何より、あなたたちの世界で言う、『無駄』を楽しめる余裕があるのよ」
「無駄? 無駄ってさ、必要ないものなんじゃないの?」僕は聞くと、紗雪は少し困った顔をした。
「無駄ねぇ……。あなたたちの世界に行って知ったんだけどね」紗雪は話しながらテーブルに戻った。
僕らもそれに続く。
「あなたたちの世界ってさ、効率重視で、結果が出ないこととか意味がないことって『無駄』っていうことにしてるじゃない。本当、びっくりしたんだけどさ。んもう、こっちの世界だと、その『無駄』こそ最高! って感じなんだけどねぇ」紗雪は両手を広げる。
「え? ちょっとよく分からないんだけど。効率がいいに越したことはないんじゃないの?」
 僕が尋ねると、紗雪は僕の顔の前で人差し指を立てた。
「それが違うのよねぇ」紗雪は僕ら二人の顔を交互に見つめる。そして話し始めた。「……例えばよ? 学校まで歩いて行くじゃない。その間の時間ってさ、あなたたちつまらないものだと思っているでしょ?」
「まぁ、そうだね。だって何もすることないし……なぁ」アメリアの僕が、僕に言った。
僕はこくんとうなずく。
紗雪はそんな僕らを見てため息をつく。
「そうよねぇ……。いい? 私たちの世界の人は、その時間も楽しめるのよ」
「え、どうやって楽しむっていうのさ」僕は尋ねた。躍起になっていたかもしれない。
「そんなの、いっぱいあるじゃない。行く道にある花を見たり、行きかう人を見て楽しんだり、空の雲の動きだって見ることだってできるじゃない」
「うぅん……」僕らは二人でうなってしまった。意味が分からなかったからだ。
そんな僕らをよそに、紗雪はさらに続けた。
「他にもね、何かを達成しようとすることあるでしょ。で、もちろん目標を達成するために行動を取るわよね。あなたたちの世界では、行動に価値を置かないで結果だけになる人がいる。そして、結果に繋がらない行動を良しとしない雰囲気がある。でもね、よく考えてみて。行動自体も本当は楽しいもののはずなのよ。……いいえ、それこそが最大の楽しみなのかもしれない。自分で考えて、行動していくことがどれだけ価値のあることか……」紗雪はふぅっと大きく息を吐くと、話を続けた。「目標の達成に繋がる行動以外の、遊びや仲間との交流、寄り道、おいしくご飯を食べることでもなんでもいいわ。そういうことってあるじゃない。それもね、すべて楽しいもののはずなのよ。あなたたちは、結果が出て初めて喜ぶんでしょ? でもこっちでは、その過程も、『無駄』でさえも楽しいものなのよ……」
紗雪は僕たち二人を見つめる。
「……なんとなく、分かった?」
「うーん……」僕は頭を抱えた。紗雪の言っていることが完全には理解できなかったからだ。
アメリアの僕も、不思議そうな顔をしている。
「うーん。まぁいいわ。こういうヒントを与えたってことだものね。いずれ分かるわよ。その、『無駄』の大切さが。いい? 人生の無駄だと思えるものまで楽しめたら、あなたの人生は全く違うものに変わっているわよ」
 次に紗雪はドアの方へ向かい、何かのボタンを押した。すると、かすかに楽器の音が聞こえてくる。
ただいろんな楽器を持った人が、好き勝手に音を鳴らしているようにしか聞こえない。しかし、なんとなくそれが心地良く感じた。
「ふふ。これねぇ、ここの世界の音楽の一つなのよ。私はこの中でクラリネットを演奏しているの。素敵でしょ」
「でもさ、みんな音がバラバラで音楽になってないよねぇ」もう一人の僕が答える。
「ふふ。そうでしょうね。この音楽は、自分の好きな時に好きな音を出しているの。心の赴くままに、楽器と、そして一緒に楽器を演奏している人たちと一体となって音楽を奏でているのよ。ほら、自然界でも鳥が鳴いたり虫が鳴いたり、動物の声や葉っぱがそよそよ鳴る音が聞こえてくるでしょ? ……あれを聞くとなんとなく落ち着くじゃない。別に合わせているわけではないけれど、それぞれが、それぞれの音を奏でている。でもね、そこに完全な調和があるのよ。いつだって、どんな時も。それを再現しているのが、この音楽ってわけ。てんでばらばらなようで、でもなんだか落ち着く気がしない?」
「うん、確かにそう……かも。でも、俺らのところでは聞いたことがない音楽だからちょっと不思議な感じがするけど……」僕は言った。
「ふふ。まぁそうかもね」紗雪はうなずく。そしてパッと僕らの方を振り返った。「そうそう。話がだいぶそれてしまったわね。話をちゃんとしないと。えっと……どこまで話したっけ?」
 僕らはお互いの顔を見つめる。
「……えっと、俺たちが人生の楽しみを見つけ出したところまで来たから、これからは自分で人生を楽しくしていくとかなんとか……じゃなかったっけ?」僕は首を傾げながら答えた。
「……あぁ。そうよ。そうそう。これからは、自分で自分の道を見つけていく努力をするのよ」紗雪はうんうん、と頷いた。
「そうそう。あなたたち、今まで自分で自分の人生を選ぼうなんて考えたことすらなかったでしょう。ただ、目の前に引かれたレールの上を歩いていけばいいと思っていたんだわ。しかもそれは、誰かが引いてくれたレールよ。……そんなの、楽しいと思う? 毎日毎日、同じことの繰り返し。挑戦がないわよ挑戦が」
 紗雪の話に熱が入っている。部屋の中を歩き回りながら話している。そして、くるっと再び僕らを振り返った。
「いい? 自分の可能性を信じるのよ。頭の中の思考ばっかりで世界を作っちゃって……。二人してよ! だから私は二人の世界を入れ替えることを考えたの。そしたらいくら何でも気づくだろうって。それで変わっていってくれるって思ってた」
 紗雪は僕らに近づき、テーブルに両手を付けた。
「……でも、気づかなかったのよ」紗雪はため息をつく。「あなたたちに会って連れまわす前までに、五回くらい入れ替えたかしら。……ほんっとに全然気づかないのね、あなたたち。どうかしてるわよ。道端に咲いている花が全然違うのよ? 普通気づかない? クラスの人間が入れ替わっているのよ? 一年一緒に過ごしてきたクラスメイトよ? 本当、私からしたらあり得ないわよ。あなたたち、それだけ何にも見ないで生きていたのよ。んもう! だから私は、わざわざ危険を冒してまで姿を現すことにしたの」紗雪はため息をつく。「……本当はここまでする予定じゃなかったんだから」
「え? そうなんだ……。 あのさmそもそもこんなことって、よくある話なの?」僕は紗雪に聞いた。
「そうねぇ、本当にまれによ。まれに。この世界にはたくさんの可能性が存在しているから、たくさんある可能性の中でこういうことが起こるのはほんの数パーセントあるのは確か。でもよっぽどのことがない限りあり得ないわよぉ。……だから、それほどあなたたちは無気力に生きていたってこと。……しかも、世界を変えたのに気づかないってどういうことよ……」過去のことを思い出して怒っている。
なんだか面白い人だ。僕のことで怒っているのだが、なぜか他人事に感じてしまう。怒っている紗雪のことを見ていると、目の端にキラリと光るものが見えた気がした。
なんだろうと思って光る者に焦点を合わせると、床にビー玉よりも少し小さいくらいの、ピンク色の玉が見つかった。
「あぁもういいわ。次にいきましょう。それで、私が登場してやっと気づいてくれたのよね。少しずつ周りを見るようになっていって、それでも初めのうちは分からなかった。もう、そこも信じられないんだけど。一回で学んでよって感じ。あぁ、また話がそれちゃう。……えっと、そうそう。少しずつ周りを見るようになった。それでどう? 周りを見るようになって、自分自身も見るようになったでしょう。さすがに、世界が変わってるのにこれだけ気づかないってどういうことだ……。って、二人とも思ったでしょ?」
「うん、確かに。こんなにも目の前のことを見てなかったんだなって思ったよ」アメリアの僕が言う。
 対して僕は、紗雪の話は聞いているものの、どうしても光るビー玉が気になってしまう。
「そうでしょ? まぁあなたたちと同じように生きてる人は、二人の世界にもたくさんいるんだけど。まぁそれに気づけただけでもラッキーだったって思いなさいよ。誰だってね、現実の一部分しか見えないの。私たちっていうのは。元々ね。でもその一部分すら、あなたたちは見ようとしていなかったってこと。……でも、もう大丈夫でしょう? 多分……。どれだけ見てなかったかが分かって、こんなことになっちゃったんだから」紗雪はあきれたような顔をしている。
「うん、もう、大丈夫だと思う」僕は言った。紗雪の目を見て、しっかりと。
「んもう、胸張って大丈夫! って言ってくれるといいんだけどね。……君たちは今、自分のことが見えてきたところ。えーと、タンポポの君は絵を描くこと。アメリアの君はお笑いをすること。これで二人、別の道に進むことになるわけだね」
「いや、僕はまだ絵を描くって本当に決めたわけじゃあ……」僕は慌てて訂正した。
「え? あぁ、いいのいいの。これから絵の道に進んでも、進まなくても。もちろん君も、お笑いの道に進んだっていいのよ。ただ、楽しいって思えるものが自分にもあるんだって知ってほしかっただけ。レールに敷かれた道を選ぶんじゃなくて、自分で選択する人生にしてほしかっただけなのよ。あなたたちが興味を持って絵を描いたり、お笑いのDVDを見たりできるようになったおかげで、私自身も変わり始めているわ。あなたたちだけじゃない。他のパラレルワールドに存在する、あなたたちと同じ存在の人たち全員の人生が動き出しているの。私も元気になって、行動的になってきたわ。なかなか進まなかった物事は進むし、やりたいこともパッパッて思いつくようになってきた。エネルギーの停滞が減ってきたってこと」紗雪は得意げに言った。
見えないけどある世界。僕らには到底想像できない世界が広がっているのかもしれない。見えないけれど、確実に存在している世界。僕の可能性も、アメリアの僕の可能性も……。どの世界の僕の可能性も無限大なのかもしれない。
話のキリがいいところで、僕は気になったことを紗雪に聞いてみた。小さいビー玉のことは、頭の片隅に置いたまま……。
「ねぇ、この世界の全体に俺という存在は何人くらいいるの?」
「え? うーん、私も把握できてないのよ。ほら、ポンポンって無限にできるものでもあるから。例えば今私があなたたちに話しをしているでしょう。今から話す内容をAかBで迷ったとするじゃない。それで私はAを選んで話した。でも、同時にBを話す私も存在するのよ。……本当、たくさんあるんだから。もっともっと文明が発達した世界では、すべてを把握して自由自在に行き来できたりするかもしれないけど。でも私たちの世界では、ある程度近い世界に存在しているところまでね。把握できるのは」
「そうなんだ。僕らの知らない世界がたくさん広がってたってことなんだね」アメリアの僕が答える。
「そうよ。たくさんの世界が広がっている。そして、忘れないでほしいのは、今選んでいる場所が、望んでいる、望んでいないにしろ、あなたたちが選んで存在しているっていうこと。だからこそ、自分で変えていくの。自分の力で、自分の世界を変えていくのよ」
紗雪はそう言うと、ふーっと息を吐いて、天井を見上げた。
「さて、そろそろ元の世界に戻ってもいいころかしら。何か、説明しきれていないところ、あるかしら。質問、ある?」
「ううん。えっと、とにかく、俺らは自分で自分の人生を選んでいくってことだよね。そうすればいいんだよね」僕は言った。
「そう。自分で選んで、もっと周りに興味を持って。人と話して人を知って、自分自身も同時に知るのよ。ううん。人と話すだけじゃない。自分自身とも話すのよ。自分を知るために。静かな時間を持って、自分自身を見つめるの。あなたたちの世界の人たちは、自分のことを知らなすぎる。自分が何を好きで何が嫌いなのか。何に喜びを感じるのか。何が得意なのか、どういうときにどんな感情を持つのか……あらゆることをちゃんと知ろうとするのよ。あとはね、無駄。何かをする過程を無駄だと思ったりするけど、どんなものにも無駄はないの。どんなことにも自分が楽しめることを探して楽しむことね。……分かった?」
「うん。分かった」僕らは同時に答える。
 紗雪が僕らに立ち上がるよう言った。本当にお別れの時が近づいてしまったようだ。
 紗雪に促されて、ドアの方へと向かう。僕はちらっとあのビー玉を見た。
僕は紗雪とアメリアの僕がドアを見ている隙を見て、床に落ちていたピンク色のビー玉をさっと拾った。そして、何食わぬ顔をしてズボンのポケットにしまう。大丈夫だ、二人とも気づいていない。
僕はこれを持ち帰る。
ここに来たっていう証拠を残しておきたい。これが夢だったなんて、これをなかったことになんてしたくない。紗雪はここの世界の物を持って行ってはいけないと言っていたけど、これくらいなら大丈夫だろう。
僕はポケットにしまった小さいビー玉を、ズボンの上から触って確認した。
 紗雪が部屋のドアを開ける。すると、またあの真っ暗な世界がそこには広がっていた。僕らは紗雪について歩いて行く。
「えっと、まずはアメリアの達也君からね。あ、しっかりと私と手をつないでね。ちゃんとついてきて」
 そう言うと、紗雪は僕らに手を差し出した。僕らは紗雪を真ん中にして手をつなぎ、そのまま真っ暗な道を進んでいく。僕には何も見えないが、やはり紗雪には見えているのかもしれない。今までも、紗雪は一度たりとも立ち止まることはなかったから。僕らの目と、何かが違うのか……。それともなんかの機械があって、指令が出ているとか。そのことも質問してみようと思ったが、そう思ったところで紗雪が立ち止まった。
「さ、ここの扉から出ればあなたの世界に着くわ。あなたを連れ出した時間に戻ってる。だからそのまま出ていけば全然問題ないわ」
 そう言うと、紗雪は目の前の扉を開け、アメリアの僕を押し出した。
「じゃあね! しっかりやんなさいよ! もう私と会うなんてことはないように! バイバイ」紗雪はなぜか、ぶっきらぼうだ。
「さようなら。いい経験ができたね」僕が言うと、
「うん、紗雪、タンポポの達也、ありがとう。楽しかったよ。また……って言えないところが少し寂しいけど。元気にやってくれよな。……じゃあ……」
 そう言い終わるか終わらないうちに、目の前の扉は閉まってしまった。なんとあっけない別れだろう。
「次はタンポポの達也君ね」
 紗雪はそう言って僕に振り返ると、僕の手を強く握り、引っ張っていく。だが、数歩も歩かないうちに、紗雪が立ち止まったのだ。
「え、こんなに近いの?」
 紗雪はこっちを振り返ったが、暗いため、表情が見えない。
「ふふ。ちょっと面白いことを思いついちゃって。アメリアの達也君も一緒に連れて行けばよかったけど。……まぁ仕方ないわ。あなただけ、特別に見せてあげる」
 何を? と質問をする間もなく、目の前に突然丸い窓のようなものが現れた。
「ここでね、あなたの未来を見せてあげようと思って。あ、言っておくけど、未来の可能性もたくさんあるから、この未来だけがあなたの未来って決まっているわけではないからね。ただ、可能性の一つとして参考にしてみてね。ふふ、こういうことも、本当はやっちゃいけない決まりなんだけど」
「え、大丈夫なの? やめておいた方がいいんじゃないの?」ビー玉を持ってきた僕がよく言うよな、と自分でも思う。
「いいのいいの。大丈夫。見るだけだから」紗雪はそう言うと、目の前の窓を見るよう促した。
 真っ暗な中に浮かんだ窓を覗いてみると、その視線の先に誰かが立っているのが見える。目を凝らして見ると、その人物が僕だというのが分かった。
いや、正確に言うと今の僕ではない。僕がもっと大人になっている。いくつだろう、二十代……くらいだろうか。父さんや母さんよりも少し若い僕が、そこにいた。
何をしているんだろう。たくさんの人の前で、講演をしているようだ。僕の後ろには、大きな絵が飾られている。
美しい、スカイブルーの絵。
なぜかその絵が、僕が描いた絵だということが直感で分かった。
きっといつか、僕が描く絵なんだ。
絵は遠くて、ほとんど見えなかったけれど、スカイブルーが印象的なとても美しい絵だった。
「ふふふ。あなた、すごいわねぇ。こんなにたくさんの人の前で講演するほどの芸術家になってるのよ」紗雪は僕を見て言った。
「信じられない」僕は窓から目が離せない。
「あなたは自分の未来を信じて、そのまま進んでいけばいいの。いい? でも、これ以外にもたくさんの未来が存在しているのは覚えていて。違う道を選んでいるあなたもいることはいるわ。……もちろん、もっともっと広い世界を相手にして活躍しているあなただっているの。あなたがどれだけ自分を信じて進めるか。それだけが未来を決めることができるのよ。分かった?」
 僕は紗雪を見た。
「……分かった。頑張るよ」
 僕は身体に力が入っていたのかもしれない。
 そんな僕を見て紗雪は笑った。
「ふふ。まぁいいのよ。頑張らなくてもいい。肩の力を抜いて。楽しめばいい。あなたの人生は、あなたが彩りを与えるのよ」
 そう言うと、再び僕の手を引いた。僕がいた窓がすぅっと小さく消えて行く。僕らは再び、真っ暗な道を歩き始めた。
無言が続く。僕の頭の中では、さっき見た場面が何度も何度も再生されていた。
僕が、あの場所に……立つんだ。そう考えると、心の奥が、少し勇気づけられた気がした。
再び右も左も分からない中を歩いていく。そして数分が経った頃だった。目の前に突如扉が出現した。もう、紗雪ともお別れだ。
紗雪は立ち止まると、僕に言った。
「はい。あなたともお別れね。……もう、会うこともないはずよ。あなたの人生は動き出したんだから。私とまた会うことがないように。……そっちでもしっかりやるのよ」腰に手を当てて、偉そうに話す。
そんな紗雪を見ていると、つい面白くて吹き出してしまった。
「何よ。なんか変なことでも言った?」紗雪は不思議そうな顔をしている。
「いや、何でもないよ。本当、色々とありがとう」そう言うと、僕は右手を差し出した。紗雪もその手に気づき、僕の手を握った。
「じゃあ、楽しんで、ね」紗雪はさらに、手を強く握った。
「うん、じゃあ」
「さようなら」

第1話:https://note.com/yumi24/n/n93607059037a
第2話:https://note.com/yumi24/n/n3bd071b346dc
第3話:https://note.com/yumi24/n/n8a0cdcc0c80b
第4話:https://note.com/yumi24/n/nc8ac115f964a
第5話:https://note.com/yumi24/n/na76adb055d59
第6話:https://note.com/yumi24/n/n6560a9cf543d
第7話:https://note.com/yumi24/n/ne0acc397b084
第8話:https://note.com/yumi24/n/n6c8aa5ee47f2
第9話:https://note.com/yumi24/n/n6c8aa5ee47f2
第11話:https://note.com/yumi24/n/n884c542a75fd
第12話:https://note.com/yumi24/n/n43e05c9161bd

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?