yumeyamama(はたごや画策中)

那須の山の中で、古民家を移築したカフェをやっています。が、還暦を迎えるに当たってカフェ…

yumeyamama(はたごや画策中)

那須の山の中で、古民家を移築したカフェをやっています。が、還暦を迎えるに当たってカフェ業務を後進に譲り、ライフワークとしての染織にがっつり取り組む意気込み。書きたいこと、いろいろあります。はたごやとは、機織り小屋のこと。誰もが織りたいときに織りたいものを織れる小屋、を目指して。

マガジン

最近の記事

92歳母の引越し④那須まちづくり広場があった!

2021年後半、いよいよ完全な独居状態になった母に、なんとか快適で安全に暮らせる場所を探したいと思っていたが、それはそんなに簡単ではなかった。 フレイルな人のむずかしさまず、母は全然要介護な状態ではなかった。 比較的費用が安く抑えられる有料老人ホームや、サ高住でも介護が手厚い施設は、要介護1以上が入居条件になっている。 言い方は悪いかもしれないが、自宅で介護するのが難しくなった年寄りに、家族が相談して施設に入ってもらう。そういう場合の受け皿という感じ。 自分でご飯を食べて、

    • 92歳母の引っ越し③住み替え先がまだまだ見つからない!

      2020年、コロナ禍となり高齢者施設の見学もままならない状況だったが、秋になりどうにか2件のサ高住を見学することができた。 私一人で見に行き、なかなか良いなと思った場所について母に勧めてみたところ、母の答えは「なんで私がそんなところに引っ越さなきゃならないのよ」だった。 それには、住みなれた自宅を離れたくない、という他にも理由があった。 いつも誰かしら孫がそばにいた母の家は東京・杉並区にある。 私は妹と二人姉妹なのだが、結婚後早い時期に妹は長野県、私は栃木県に移住してし

      • 92歳母の引っ越し②住み替え先が見つからない!

        ようやくサ高住を見に行ける。2020年コロナ禍となり、老人ホームやサ高住の見学は一時お預けとなった。 しかしその年の秋頃、感染状況の落ち着きをにらみつつという感じで、母の自宅近くのサ高住2件から、見学できるというお知らせをいただいた。 母はこの頃まだ、自分がどこかに住み替える必要があると感じていない様子だった。寝たきりにでもならないかぎり、自宅に住み続けられると思っているらしかった。 あまりショックを与えてもいけないので、私一人で見に行くことにした。 介護が手厚いと閉

        • 92歳母の引っ越し①どうにかしなくちゃ!

          気になること、あれこれ。東京・杉並区の自宅でひとり暮らししている母の住み替え(リハウス?)を、なんとかしなくてはと、3年前くらいから考えはじめた。 理由はいくつかある。 90歳ごろから、足腰の衰えが顕著になってきた。歩行器を導入したけれど、一人で外歩きはムリ。病院通いにも、付き添いが必要になってきた。 自宅は一人住まいには広すぎる。2階に寝室、浴室、トイレがあり、1階にキッチンと居間、トイレ。階段の上り下りが大変そうだ。「運動になる」なんて言っているが、腰に負担もかかって

        92歳母の引越し④那須まちづくり広場があった!

        マガジン

        • ばっちゃん記
          2本
        • 小さなカフェの持続化
          5本

        記事

          2021年を振り返り、2022年にやりたいことを思う

          2021年は、親しい人・お世話になった方を沢山見送った年だった。 101歳で亡くなった、北海道のお父さん(夫の父)。親戚のY家のお母さん。同年代の友人のお母さん。仕事でつながりがあり、お世話にもなっている方のお母さん。 ウチがこの地に引っ越してきて、お店を始めることになった27年前、本当に本当にお世話になった工務店(当時)のMさん。開店当時から、作品を置かせてもらってきたコミカルな陶芸家のKさん(父方の叔父)。 みんなみんな、本当にありがとう。お世話になりました。 自分の歳

          2021年を振り返り、2022年にやりたいことを思う

          ドッグカフェでも猫カフェでもないのですが。

          ウチは那須の観光中心部からちょっと離れた、森の中のカフェ。 数年前から、「犬連れなんですけど、大丈夫ですか」というお問い合わせが増えてきて、断る理由もないので「いいですよー」と言ってきたのだが、このことについて最近モヤッとすることが多い。 まず、基本的に人間のためのカフェなので、ワンちゃんウェルカムというスタンスではないし、ワンちゃん用の設備やメニューがあるわけでは全くない。 さらに、お客さんの中には犬好きの人もいれば、犬が苦手な人もいる。最近は少なくなったものの、「不

          ドッグカフェでも猫カフェでもないのですが。

          ばっちゃん記《その弐》

          ばっちゃん記《その壱》では、今年90歳になった私の母和子の生い立ちについて、聞き書きをはじめたいきさつと、和子の父親(私の祖父)である藤田敬一のルーツについて、わかったことをまとめてみた。 《その弐》では、和子の母親(私の祖母)千代子の実家について、わかったことをまとめ、昭和のはじめ頃の家族生活について、和子の6歳ごろまでの記憶と古い写真で辿った。 文中、引用の部分は和子の語りであり、地の文は私が考察を加えたものなので、いちいち視点が変わって紛らわしいかもしれないが、お間

          ばっちゃん記《その弐》

          沈黙を楽しむカフェ(があってもいいと思う)

          11都道府県に緊急事態宣言が再度発令された。 ここ栃木県も感染者が急増しているので、それは仕方ないことと思う。しかし今回解せないのは、「飲食を介して感染が拡大している」とか「飲食店はリスクが大きい」などと言っておきながら、夜8時までの営業時間短縮を要請するのみで、昼間の営業については何ら制限がないことだ。 夜の時短営業に対しては協力金が支払われるが、もともと昼間しか営業していない飲食店は対象ではない。飲食店が感染を拡大しているのなら、第一波の時とおなじように、すべての飲食

          沈黙を楽しむカフェ(があってもいいと思う)

          ばっちゃん記《その壱》

          私の母は昭和5年生まれで、今年90歳になった。 東京杉並区の自宅で、今もほぼ自力で生活している。孫が同居しているが社会人なので日中は留守であり、90にして身の回りのことを一応ひとりでできるというのは本当にすばらしい。 しかし、寄る年波でときどき言動があやしいこともあり、ボケ防止のため「生い立ち」について彼女の記憶を引き出す試みを始めた。 彼女の父親、母親についても、辿れるかぎりのルーツを辿って記録を残そうと思う。 私にとってファミリー・ヒストリーを辿る記憶の旅があまりに楽

          ばっちゃん記《その壱》

          コロナ対策について思うことなど

          アフターコロナ…というよりウィズコロナでの営業が始まった。 緊急事態宣言下ではテイクアウトのみの営業になっていたウチの店も、宣言解除とともに店内営業を再開し、少しずつではあるけれども、日常を取り戻しつつある。 店内営業については県からのガイドラインがあり、それに従う形でいくつかの対策を取った。 それについてまとめてみたいと思う。 1.客席の間隔を確保する飲食店としては比較的ゆったりした空間が保たれている当店だが、すべての客席間隔を基準どおりに広げるのは難しい。 だが、椅子

          コロナ対策について思うことなど

          テイクアウト営業になって気がついたこと

          緊急事態宣言を受け、テイクアウトのみという営業形態になって一週間。この間、いろいろ考えたことをまとめてみました。 1.テイクアウトを始めるまで3月下旬。緊急事態宣言が出され、いよいよ通常の営業形態では難しくなるなという予想から、ウチもテイクアウトを始めようかと考えて始めた。 しかし、テイクアウトについては、以前ケーキ類を販売しようとして保健所からNGを出された経験がある。 保健所が言うには、「飲食店」として営業許可を得ている店舗では、飲食物は店内消費が原則であり、ケーキ類

          テイクアウト営業になって気がついたこと

          そもそも、なぜ私が染織をライフワークにしたいと思ったのか。

          還暦というのは、やはりひとつの区切りであると思う。自分の人生を振り返り、原点に立ち返って、残りの人生をどう生きるか考える。ノートではそんな作業がしやすいように思い、書き始めることにしました。 不定期の投稿になりますが、お付き合いください。 話は40年くらい前にさかのぼる。 文学部史学科に在籍する学生だった私は、ある日サタジット・レイ監督の映画「大地のうた」を観て、いたく感動してしまった。 古いモノクロ映画だったが、そこに描かれたインドの農村風景があまりに美しくて、「こ

          そもそも、なぜ私が染織をライフワークにしたいと思ったのか。