“ 超正常 ” が一番過激だと思います
創作的な分野では良く、異常な精神状態や、作為的に変わった、歪んだものが個性とか表現とか言われていますが、それは結局は「何かに対する何」という比較が存在するものであって、実は個性的でもないし、まして創作ではないと私は思っています。
私は「超正常」であることが、最も個性的であり、過激であり、なおかつ普遍的であると思います。
「超正常」であることは、人間のいわゆる道徳や思想において判断される正常・異常という価値観ではなく、完全に摂理に乗っている状態なので、それぞれの個体が最も開かれて機能している状態です。
また、それは例えば山の頂上にあって固定した状態ではなく「常に開かれ続けている過程」でもあります。
開かれ続けている過程でもある、ということは、それは常に生育している何かである、ということです。
何かの到達点にそれがあるのではないのです。
いわゆる芸術作品の名作というのはそういうものです。
仮に、その都度の到達点ではあるとしても、その到達点は始まりであり、始まりが到達点でもあるという、時間を超越した状態です。
その「超正常の世界で起こる」自然な歪みは、必然からくる歪みであり、人為で添加した「遊び心」なるものではありません。
その見た目は、美しく激しいものもあるでしょうし、また反対に大爆発の直前の静謐さを持つものもあるでしょう。
「超正常」の世界は全て無駄無く、それぞれが役割を担って機能している連動体です。
その世界では、破壊と創造に分離がありません。
破壊は創造そのものであり、創造そのものが破壊なのです。
一般に言われる、芸術は爆発だとか、破壊と創造、というものではありません。
それだと、破壊と創造が分離してしまって、時に「破壊が目的の破壊」という残骸しか残らない状態になります。
人間が思念的に起こす破壊には残骸が残ります。
しかし創造による 破壊には残骸はありません。
そして、超正常の世界は、即物的と言っていいぐらいに、それ、そのものです。
夢の世界ではなく、夢を遥かに超えるものです。
それは最早その世界、そのモノであり、何も差し挟むことはなく、極めて個性的に、いつでも新鮮に、かつ普遍的に存在しているのです。
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