他人に信用されるには、実績とは別のものが必要なのです
以下の言葉は、ネット上で拾った言葉ですが、貧乏人で、学歴も修行歴も無い、わたくしの実感として、全くその通りですなあ。。。
貧乏人で、学歴が無く、さらに影響力の強い団体に所属していない人間が、長年現実的に実績をどんなに積み重ね、他人に利益を与え続けても、さしたる現実的実績が無いけども、学歴がある人、名家の人や、お金持ちの、たった一言に(それが的外れであっても)敵わないのです。人々はそちらを信用します。現実はそういうものです。
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貧乏人の言うことを聞く人は少ない。やはり裕福で学を修めた人の言葉に多くの人が付いていく。 貧乏人はまずは自分の生活をどうにかしてから他人の生活に口を出せと。
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一般的に、人々は自らモノの良し悪しを見極める力がありませんから「保証」や「認定」が欲しいのです。「保証や認定」があれば、中身は相当ヒドイものでない限り、問題にはされません。
また「ブランド品が欲しい」という欲求があり、そのブランド品を所有する喜びがあります。
なので「中身よりも看板が重要」となり勝ちなのは当然の話なのです。
また、見た目の良い看板を得るのにも努力やお金が必要ですから、良い看板を持っている人たちが評価を得られるのは当然のことなのです。
また、そのような「保証や認定」があるからこそ「あまりにヒドイものは少なくなる」「底が上がる」効果もあります。
だから「保証や認定」は、社会的には便利であり悪いことではないのです。
しかし「保証や認定」無しで、それでもやりたいことをやって生きていくには、ただただしぶとく地道に進んで行くしかありません。それが人生なのであります。
ですが、割とそういう生活は楽しいです。
自分を保証するものが無いということは、自由でもありますからね。
毎日厳しいですが、一つ一つの歩みに細かな、そして確かな発見の実感があり、見晴らしは良いのです。
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