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衣服の変容が起こったのは日本だけではない


画像1は、現代の日本人が和服を着ないのはおかしい、と言われることに納得がいかないのです。

世の中では、少なくとも日本では、日本人は和服を着るべし!と主張する人は、洋服は昔からずっと現代の形だと思っているんじゃないのか?と疑問に思ってしまうのです。そんなわけがないですよね。

ヨーロッパの衣服でも、近代以前の衣服と同じ形、素材の物を今着ている人はいないでしょう?地域の伝統文化的なお祭りの用途があるとか、あえてコスプレする意図以外には。

例えばドイツのオクトーバーフェストで昔の衣装を着て馬車で。。ということ以外には、近代〜それ以前の鷹揚な衣服を「日常に」着ることはありません。

「現代の日本人が和服を着ないのはおかしいと主張する人たち」に、ここを冷静に考えてみて欲しいのです。(その主張をする人は外国人でも日本人でもいます)

いわゆる洋服でも、今と昔では全然違う、それは当然に、洋服だって改良されて、動きやすくメンテしやすく、審美的にもその時代時代に需要のあるものに改良されたからしょう?

でも、フォーマルでは現代でも煩雑な昔の形式の格好もしますよね?実用的ということよりは、伝統や格式、その地域の風習に強く影響された「儀式」だからです。

それは別に日本と変わらないんじゃないでしょうか?

それなのに、昔と同じ形式の和服を(実際には、現状認識されている和服の形式以前に、過去いろいろ変容していますが)日本人なら今も着るべき、当時は(昭和でも)和服姿でなんでもやった、という論調は矛盾しているのです。

和服しかなかった時代でも運動量の多い仕事の人は、長着なんて着て仕事をしていません。筒袖や、作業用の股引などを着ています。

商店でも長着を長い寸法で着て羽織を羽織っているような人は、肉体労働をしない番頭さんぐらいではないでしょうか?

どんな文化生活でも日常生活の繰り返しによって実用性は洗練されます。

それは地球上のどの地域でも同じことが起こっています。

地球規模で観れば、いろいろな布の素材開発や衣服のパターンの改良によって、最も気軽で動きやすくてメンテもしやすいものが、たまたま西洋型の衣服の延長線上にあり、それが全世界的に受け入れられた、と捉えた方が私は自然ではないかと思うのです。

そうでなければ「人類の衣服の変容」の事実を説明出来ません。

例えば西欧による文化侵略によってそうなった、と主張しても本当に実用的でないものは、その地域の民衆の日常生活では残らないのですから、無理があります。

【厳格な宗教でさえ、その地域に土着化し、多少の変化をする。また、土着信仰と交わらないとその地域に広まり定着しない】

のですから。

元々、現代の洋服でもフォーマルのものは着にくいし、メンテも面倒だし決して着ていて楽ではありません。(現代のフォーマルの衣服も、大昔と一緒の形式ではないですよね)

インドやインドネシアのような昔からの染織、染色大国でも同じ現象が起こっています。

どの世界でも同じことが起こっているのだから、古典的な衣服が現代の日常から乖離するのは自然なことではないかと思うのです。

それは日本だけの出来事ではないわけです。

民族の伝統的衣服を今も着る国や地域はありますが、同じく日本は昔の形式の衣服である長着の形式の着物をまだ作る人がいて、着る人もいるわけです。決して日本は和服を排除したわけではないのです。

が、和装関係は、特に生産側で言えば、産業としては相当厳しいわけですが、それは呉服業界が、昔のままの業態で変化していないから、という理由が大きいです。。。

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私は、「何かを破壊してから新しいものが産まれる」というのは、ないと思っています。

その場合は、だいたい壊しっぱなしで、残るものは残骸ばかりで、混乱が起こります。

そういう場合は「破壊が目的になり、創造は行き当たりばったり」になるんですね。だいたい、失敗します。

文化などで新しいものが産まれるのは「その時代にふさわしい新しいものが産まれて、古いものが淘汰された」という流れによります。

それが自然です。

文化的なものは毎日の生活と密接なため、自然に残ったもの以外は残りません。
何かしらの保護政策や、権力、宣伝などによって、一時的には広まってもその寿命は短いですよね。

後世からみれば、一瞬流行って、その後急速に消えて、まるで違うものに移り変わったものでも、実は新しいものが産まれて、あっという間に古いものが駆逐されてしまったので、そう観えていることは多いと思います。

100円ライターによってマッチが駆逐されてしまったようなものです。

しかし、マッチはその独特の風情や味わい、特殊な用途によって生き残るのです。

しかし、需要が激減したことによって、マッチの生産者が途絶えればマッチはなくなってしまうわけです。

(再生産する経済的価値もなければ後世の人も復興はしないですからね)

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繰り返しになりますが、

良く「日本人は日本の伝統的民族衣服であるキモノを着ない」という言われ方をされますが、それは事実でしょうか?

事実は「衣服の変容は日本だけが特殊なのではなく、全世界的に同じように変わった」という事ではないでしょうか?

私は、日本だけが特殊で日本だけが西洋かぶれして和服を捨ててしまった、という論調はおかしいと思っています。

上記のように、どの国でも、同じような変化があったのです。

それゆえに、和服をつくるなら、その事実を把握した上で自分ならどうするか、という答えをそれぞれが出せば良いのだと思います。

だから、ある人は「日本的感性から産まれた“洋服”」をつくるでしょう。それは既に沢山いらっしゃって、評価も受けていますよね。ちゃんと日本のものとして。。。

それでは、いわゆる「着物」からのアプローチとしてはどうするか?

それはもう、全くそれぞれの資質や感性、自分が引き継いだ技術や素材でやるしかないと思っています。

「洋服で日本を表現する人たち」のように。

だから「和服の“復興”」という姿勢はうまく行かないと個人的には思っています。

日本人だから和服を着るのが自然だ、というのも、日本人だから着なければおかしい、というのも和服の伝統を継承せよ、というのも、上記の通り、破綻している論理です。

現代は「それが好きだから、楽しいから、高揚感があるから、新しい発見があるから」という理由以上に「和服を着る」納得出来る理由は見つけられないと思います。

だから、それで良いのではないでしょうか。

現代、和服が好きな人で、着物を毎日着るのが好きな人、着る頻度はそれほどないけども着物が大好きな人、その他いろいろいますが、それぞれに共通しているのは「それが好きだから、楽しいし、気持ちがいいから」(注、その内容は着る和服の種類や人の好みによってかなり違います)だと思います。

ただそれであれば良いのであって、その核があって、そこから発生したいろいろな物事、であることしか出来ないのではないかと。。。

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「和服は◯◯だから△△でなければならない」というのは論理的に無理だし、その強要は実際、和服から人を遠ざけるのだと思います。実際、そういう人が多いから着物に興味はあったけども面倒だからやめた、という人が沢山います。最近で言う「着物警察」ですね(笑)

衣服の変容は、どの国にも同じく起こっているのですから、そのような強要は、時代についていけなくなったヘンクツな年寄りの繰り言と同じようにしか人々の耳に響かないのです。

(写真・仁平幸春作の、アンティークレース柄の名古屋帯を締めて、ニューヨークの街を歩いている姿)


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東京で染色品(主に和装)と絵画の制作・販売を行っております。こちらでは、雑感を書き綴っております。【同じテーマや内容を違う言い方をして何度も書く】ことが多いです。サイト→https://foglia.jp

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