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現代の和装についての個人的考え

現代、和服を着るということは

【伝統的衣類としての和服を、身にまとい懐かしむのではなく、むしろ新しい感覚を得るために着る意味が強い】

と私は感じています。

「精神的に新しい皮膚を得る手段の一つとしての衣類を提供する」

その新しい皮膚は、感度の良いアンテナの機能を果たします。

現代人にとって普段と違う、もう一人の自分を発見する楽しみを得るための衣類、といった感じです。

私は和装関係を制作する際には、そのようなことを考え制作しています。

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和服には和服独自の皮膚感覚があり、所作も変わり、生地の感触はもちろん、その独自の文様や色、それらが精神に作用します。

現代、和服を着る事は、仮に毎日和服で過ごし、働く人だとしても、日本全体が和服が日常着であった時代とは着る意味が違います。

着る自分にとっては日常だとしても、それを見る人からすれば非日常なのです。他者へ与える影響もみれば、やはり日本全体が和服で過ごしていた時代と、現代に和服を着ることによってもたらされるものは、違うのです。

着物の形は同じでも、昔と今では、精神と肉体に与える効果が違うわけです。

母や祖母の着物を引き継いで着る、ということでも、もちろん思い出や昔の雰囲気を持った布をまとう感覚はあるわけですが、しかし繰り返しになりますが、最も大きい要素は「感覚の刷新」です。

その「新しい皮膚を得る」感覚が、現代、和服を着る理由の大きな理由の一つだと私は考えています。

時代や環境が変われば、当然に「形式は同じでも意味が変わる」のが自然です。そこをキチンと把握し、整理しない限り、いつまでも過去の遺物をもて遊ぶようなことになってしまうように思います。

内容や意味の変化への認識と対応、それは結局は本質的に伝統とつながるということになります。

伝統の「形式」は、過去の方法の一つに過ぎません。

ただ形式に従い、その形式への忠誠を伝統への忠誠としてしまうのは間違いです。

そのような姿勢に現代人の生命はありません。伝統の形式を生きたものにするには現代の血流が必要です。

過去も現代もなく機能する全体を【伝統】と私は捉えています。

【伝統とは過去のものではなく、むしろ時間が消失した無形の生きもの】

極論的で、誤解を受けやすい言い回しかも知れませんが、私は

【伝統はむしろ “今” にある】と捉えています。

仮に、昔には当たり前であったとしても、現代において、それを新しいと感じるのなら、それは “現実的に今の人々へ 与える効果としては新しい”のです。

それゆえ、私は和装を過去の衣類としての側面よりも、むしろ【新しいと感じる側面】に光を当てたいと思います。

私は現代では和服は機能的な衣装ではないと考えています。

どんなに和服の機能的な面を強調しても、昔から労働者は仕事中に長着や大きな袖のものは着ていなかったのですから、現代の機能的な洋服には敵いません。それは事実が証明しています。

洋服でも、その他の民族衣装でも、着るものは動きやすさ、風土に合わせた実用性のみではなく、精神的な作用もまた大きな成立要素です。

実用性のみでは、人間は満たされないわけです。

和装は、現代ではむしろ新しい感覚の衣類なのだと、私は捉えて制作しています。


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